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急性呼吸器感染症(ARI)対策の新たな一歩 5類定点へ

高山義浩沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科
(写真:イメージマート)

インフルエンザやCOVID-19を含む急性呼吸器感染症(ARI)について、新たなサーベイランス(監視)体制の導入が厚生労働省より提案されています。以下、その背景、具体的な内容、そして課題について解説します。

急性呼吸器感染症(ARI)とサーベイランス

急性呼吸器感染症(ARI)とは、急性の上気道炎(鼻炎、咽頭炎、副鼻腔炎など)から下気道炎(気管支炎、肺炎など)までもを含む、大きな疾患グループの総称です。インフルエンザやCOVID-19は広く知られていますが、RSウイルス感染症や咽頭結膜熱といった子どもに多い病気も含まれます。

感染症のなかで、ARIはもっとも頻度が高い流行性疾患ですが、新たなウイルスによってパンデミックを引き起こされるなど、社会全体に深刻な影響を及ぼすことがあります。ところが、現行の感染症法では、インフルエンザやCOVID-19など特定の病原体ごとにサーベイランスが運用されているものの、包括的なARIという分類が存在せず、「未知の(病原体が同定されない)感染症が発生していても気づくことができない」という問題がありました。

そこで、厚生労働省は急性呼吸器感染症全体を「5類感染症」に追加する方針を打ち出しました。これにより、全国約3000箇所の定点医療機関からの受診者数データを基に、動向と特徴を継続的に監視する体制が構築されます。また、その一部の医療機関から提出された検体を遺伝子解析することで、新たなウイルスや変異株の検索も持続的に行われるようになります。

国際的な協調によるARIの監視

この新たなARIサーベイランスの導入は、国際的に協調した取り組みの一環です。

2023年3月、世界保健機関(WHO)は、各国の医療体制に合わせて調整しながらも、グローバルにARIを監視する戦略的指針を示しました(WHO: “Crafting the mosaic” A framework for resilient surveillance for respiratory viruses of epidemic and pandemic potential)。この枠組みは「モザイクアプローチ」と呼ばれ、各国のサーベイランスシステムや調査研究をゆるやかに統合することを目指しています。

WHOの「モザイクアプローチ」は、以下の3つの領域(Domain)に分けられます。

Domain I 新興・再興呼吸器ウイルスの検出と評価

新たに出現または再流行するウイルスを早期に検出・評価する体制を強化し、新しい病原体が世界的な公衆衛生危機を引き起こす前に対応します。具体的には、新たなウイルスの特徴を明らかにし、その感染力や病原性を可能性を評価することで、(拡がりの状況を正しく把握したうえで)封じ込め策を実施したり、ワクチンや治療薬の開発を迅速に開始することに繋げます。

Domain II 流行中のウイルスの疫学的特徴の監視

現在流行中のウイルスについて、その疫学的および臨床的特徴を監視します。遺伝子解析を通じてウイルス変異や新たな亜型の出現を監視し、ワクチンや治療法の有効性を評価します。また、リスク集団を特定して、効果的な予防戦略を設計するうえでの基礎データを収集します。

Domain III ウイルスに対する公衆衛生介入の評価

公衆衛生介入の効果を評価し、感染症の影響を抑えるための戦略を最適化します。実のところ、COVID-19対策は各国ごとに手あたり次第という側面が否めませんでした。そこで、サーベイランス情報に基づいて、非医療的介入(マスク着用、ソーシャルディスタンスなど)や医療的介入(ワクチン接種、抗ウイルス薬など)の有効性を検証します。これにより、現在および将来の公衆衛生介入を支える基盤とします。

なお、WHOが基準として示す症例定義は、以下の2種類があり、各国の事情に応じて運用されています(WHO: surveillance case definitions for ILI and SARI)。

インフルエンザ様疾患(ILI; influenza-like illness)

38度以上の発熱および咳を伴い、発症から10日以内

重症急性呼吸器感染症(SARI; severe acute respiratory infections)

38度以上の発熱または既往があり、咳を伴って入院を要する状態であり、発症から10日以内

アメリカでは、約3,400の医療機関が定点として指定され、ILIのサーベイランスが行われています。イギリスでは、一般診療医(GP)による診療所を中心として約1,000ヵ所指定され、ILIのサーベイランスが行われています。オーストラリアでも250の医療機関が定点として指定され、やはりILIのサーベイランスが行われています。

次のパンデミックがいつ起きるかは誰にも分かりませんが、それまでに日本が整備できていなければ、相当マズいことになるところでした。個人的には、間に合ってよかったな・・・ と思っています。

WHO資料3ページの「Figure 1」を筆者翻訳
WHO資料3ページの「Figure 1」を筆者翻訳

市民生活への影響は?

とくにありません。少なくとも市民への負担が増えることはなく、当面は、メリットも期待できません。このサーベイランスは、経時的にデータを蓄積することで、ようやく機能するようになります。このため、少なくとも数年は動かさないと「なんにも言えない」でしょう。

将来的には、流行のパターンが把握されるようになり、感染症流行の兆候を早期に検知することで、救急医療や入院病床といった医療資源について先手を打った準備が可能になるかもしれません。また、情報の透明性が向上すれば、感染症に関わるデマや誤解の拡散を防ぐ一助となる可能性もあります。

でも、このサーベイランスは次のパンデミックへの備えとして設けられるもの・・・ と割り切って、この制度の存在を知っておいていただければと思います。

医療機関への影響は?

定点医療機関は、かなり面倒くさいです。厚労省が示した症例定義では「発熱の有無を問わない」とされているため、発熱頻度の少ないウイルス(RSウイルスなど)や軽症者を幅広く捉えることができますが、医療機関の負担増加は半端ないと思います。

ちなみに、先ほど紹介したように、WHOが示す症例定義では「体温が38度以上」とされています。日本はどうして、三段跳びぐらいで向こうに行っちゃったのかなと思います。

小規模な診療所の負担はいかばかりかとお察しします。とくに小児科なんて、初診患者のほとんどがARIだろうと思います。相当な手間が増えることでしょう。定点からの辞退が続出するとサーベイランスそのものが維持できなくなりかねません。

当院も定点医療機関なのですが、沖縄県から支払われる協力費は月に4,100円にすぎません。この協力費は都道府県ごとに設定されていますが、パンデミック対策は国主導で進めるべきものであり、国が責任をもって予算措置まで行っていただければと思います。

そして・・・ もういいかげんに医療DXを進めませんか? 

たとえば、台湾では病院と検査室から自動的に報告を受けるリアルタイムかつ包括的なサーベイランスシステムが全土を網羅しています(Shu-Wan Jian, et al. (2017). Real-time surveillance of infectious diseases: Taiwan's experience. Health Security, 15(2), 144–153.)。日本においても、ARIによる受診も入院も死亡も、リアルタイムで把握することは技術的に可能なんです。三段跳びをやるなら、そっちに進んでほしかったところ。

沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科

地域医療から国際保健、臨床から行政まで、まとまりなく活動。行政では、厚生労働省においてパンデミック対策や地域医療構想の策定支援に従事してきたほか、現在は規制改革推進会議(内閣府)の専門委員として制度改革に取り組んでいる。臨床では、沖縄県立中部病院において感染症診療に従事。また、同院に地域ケア科を立ち上げ、主として急性期や終末期の在宅医療に取り組んでいる。著書に『アジアスケッチ 目撃される文明・宗教・民族』(白馬社、2001年)、『地域医療と暮らしのゆくえ 超高齢社会をともに生きる』(医学書院、2016年)、『高齢者の暮らしを守る 在宅・感染症診療』(日本医事新報社、2020年)など。

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