奇跡の「海の上を走った列車」 タモリさんも見学に来た、高輪ゲートウェイ駅近くの鉄道遺構が公開
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1872(明治5)年、日本初の鉄道が、新橋~横浜間で開通。当時海上を走った区間があり、その発掘現場が一般公開されました。ブラタモリも訪ねています。
所用時間は10分の1、運賃は5千円相当
日本初の鉄道。写真は、開業当時に走っていた、10台の蒸気機関車のうちの1台です。
徒歩で10時間かかっていた新橋から横浜が、わずか53分。社会に与えた影響は大でしたが、下等客室でもいまのお金で5千円相当の運賃がかかり、非常に贅沢な移動手段でした。
注目されている高輪ゲートウェイ駅近くの鉄道遺構
田町駅と品川駅の間に新設されたのが、まだ真新しい高輪ゲートウェイ駅。
この駅の新設や、品川駅周辺の再開発事業のために線路を付け替えたところ発見されたのが、高輪築堤(たかなわちくてい)と呼ばれる鉄道遺構です。
築堤とは、海に築かれた堤防のこと。
この区間(約2.7km)は、すでに旧東海道に沿って町が広がっており、用地取得の困難などから海の上を鉄道が走るようになったと考えられます。
従来、国防上の理由で兵部省(現在の防衛省にあたる)が引き渡しを拒んだという説が有力でしたが、近年は否定的な専門家も複数います。
高輪築堤が公開
先日、高輪築堤の一般公開がありました。
※すでに終了。工事完了後に、保存公開が予定されています。
写真は、築堤の海側で支えた石垣です。矢印のように蒸気機関車が走っていました。
石垣の足元には、石垣を支える根石。そして石垣と土のあいだには栗石。城の石垣と同じ技術が用いられていました。
周辺の埋め立て工事(明治末期~大正3年)を機に使われなくなり、真上を京浜東北線が走っていました。写真右手の杭はコンクリート製で、京浜東北線の路盤を支えていたものです。
※土の部分が段差になっているのは、崩れて史跡を傷つけることを防ぐためです。
写真は、津山城(岡山県)の修理中の石垣。根石、栗石の様子が分かります。
根石は石垣全体を支える、重要な縁の下の力持ち。栗石(ぐりいし)は、石垣を裏から支えるとともに、排水路の役割を担います。
日本の高度な石垣の技術が、奇跡の「海の上を走る列車」を生んだと言えます。
発掘の際に出土したもの。
奥の茶碗のようなものは江戸時代。ほかは明治時代のものです。
線路を固定する犬釘も出土。
近年は使われなくなってきていますが、一部の地方鉄道では現役です。
旧新橋停車場跡、かつての横浜駅はいつでも見学可能
高輪築堤は発見後、異例のスピードで旧新橋停車場跡に追加される形で、国史跡に指定されました(2021年9月)。
高輪築堤の公開は期間限定でしたが、新橋駅すぐの旧新橋停車場跡は、いつでも見学が可能です。
また新橋~横浜間には、5組10台の蒸気機関車が走りましたが、1号機関車が大宮の鉄道博物館、10号機関車がJR東日本ホテルメッツ横浜桜木町の1階(写真)に保存されています。
もとの横浜駅は、現在の横浜駅ではなく桜木町駅にあたり、周辺には写真の蒸気機関車、各種資料、記念碑が置かれています。
ブラタモリが高輪築堤を訪ねた際の様子は、下のページにあります。
【ブラタモリ鉄道スペシャル 全ロケ地】タモリさんが鉄道150年の歴史を探る(とらべるじゃーな!)