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「別人を容疑者特定」「演出」「闇の国家」トランプ氏銃撃直後から広がった情報汚染とは?

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
トランプ氏銃撃直後から広がった情報汚染とは?(写真:ロイター/アフロ)

「容疑者特定」「演出」「闇の国家」――ドナルド・トランプ前米大統領銃撃事件を巡り、発生直後から様々な偽誤情報や陰謀論が飛び交った。

大きな事件への爆発的な注目度と情報不足のギャップは、情報空間の空白を生みだし、憶測や偽誤情報、陰謀論による汚染を急速に広げる。

トランプ氏銃撃事件でも、そんな情報汚染の広がりが確認された。米大統領選の山場という熱気も、情報の拡散を後押しする。

情報汚染は、社会の分断と混乱を色濃く映し出す。その分断には、海外からの介入の動きも見られるという。

●41分後の「容疑者特定」

速報:バトラー警察署によると、トランプ銃撃犯は現場で逮捕され、(反ファシストグループ)アンティファのメンバーであるマーク・バイオレッツと特定された。 銃撃の前に、マーク・バイオレッツは「正義が下される」と主張するビデオをユーチューブにアップロードした。

米ペンシルベニア州、ピッツバーグ近郊のバトラーで、演説中のトランプ氏が銃撃を受けたのは、7月13日土曜日の18時11分(現地時間)だった。

その41分後、「マーク・バイオレッツ」という容疑者が特定されたとして、黒いスウェット、ニット帽、サングラスにひげをたくわえた男性が腕組みする写真が、Xに投稿された。

投稿は、130万人のフォロワーを持つXの金色認証マークのインフルエンサーらを介して、一気に広がった。

だがイタリアのファクトチェック団体「オープン・オンライン」などの調査によると、「マーク・バイオレッツ」とされた画像は、銃撃現場から大西洋を隔てて約7,300キロ離れたイタリア・ローマ在住のジャーナリスト、マルコ・ヴィオリ氏のものだった

ヴィオリ氏は7月14日にインスタグラムに声明を公開

銃撃事件発生から約2時間後、イタリア時間の午前2時ごろに、インスタグラムとXへの大量の通知で事態を把握したとし、「(事件と同氏を結び付けるニュースは)まったく根拠がない」と指摘している。

また、発端になった偽情報発信のアカウントは、2018年から同氏に嫌がらせを繰り返してきた、としている。

●他にも「別人の容疑者」

米連邦捜査局(FBI)は7月14日、銃撃現場から車で南に1時間ほど、ベセルパーク在住の20歳の男性、トーマス・マシュー・クルックス容疑者の身元特定を発表している。

事件では、銃撃後トランプ氏と、射殺された容疑者のほかに、選挙集会の聴衆1人が死亡、2人がけがを負っている

しかし事件直後から、前述のジャーナリストを含む、別人の名前や画像が、ネットに出回った。

ロイター通信AFP通信などのファクトチェックによると、1人はピッツバーグ近郊在住で、かつて反トランプデモに絡んで逮捕歴のある男性だという。

USAトゥデイによると、このほかにも「トーマス・マシュー・クルックス容疑者」だと称する、別人による注目狙いのジョーク動画も広がったという。

●「演出」と「闇の国家」

米大統領選が山場を迎え、大統領候補を正式決定する共和党全国大会を2日後に控えたタイミング。その中で起きた銃撃事件に、党派の分断を色濃く示す陰謀論も広まった。

1つは、この銃撃事件が「演出されたもの」だとの陰謀論だ。

銃撃の直後のトランプ氏や警護のシークレットサービスが、「笑顔」を見せているとする画像が出回った。

AP通信ロイター通信などによれば、いずれも現場を撮影した実際の写真を改ざんしたものだった。

改ざん写真のオリジナルは、AP通信のフォトグラファー、エヴァン・ヴッチ氏が撮影したもの。そのうちの1枚は、星条旗を背景にこぶしを振り上げるトランプ氏の写真だった。

このほかにも、共和党全国大会初日の7月15日に、トランプ氏が副大統領候補として指名した上院議員のJ・D・バンス氏と2人で写っている写真で、耳に銃撃の傷がない、とするものも出回った。

AP通信ドイチェ・ヴェレなどによれば、この写真は2年前の2022年に撮影されたものだったという。

さらに、事件は「ディープステート(闇の国家)」によるもの、との陰謀論もある。

銃撃事件から11分後、「ディープステートはテレビの生中継中にドナルド・トランプを暗殺しようとした」と主張したXへの投稿は、表示数が130万回を超えた。

同じアカウントはその12分後、事件が「悪魔崇拝で小児性愛者のエリートを倒すときに支払う代償だ」とし、「CIAによる指令」だと投稿。表示数は570万回を超えた

●「標的」発言の波紋

陰謀論などとは別に、選挙戦の中での「発言」が、事件と絡めて取り沙汰されてもいる。

バイデン大統領は事件の5日前、支援者との電話会議で「トランプ氏を標的(ブルズアイ)にすべき時がきた」と発言していた。

マーク・ジョンソン下院議長などの共和党議員らは、この発言が緊張を高めた、と非難。「標的」という言葉が、銃撃事件と絡めて、X上などで飛び交った。

バイデン氏は事件から2日後の7月15日、NBCとのインタビューで「その言葉を使ったのは間違いだった」と述べている

●ロシア、中国の動き

事件に絡み、海外からの影響工作につながる動きも警戒されている。

ワシントン・ポストNBCニュースなどによると、ロシア、中国などの国営メディアや政府関係者が、トランプ氏銃撃を、米国の分断、暴力、不安定さを示す象徴的な事件とする言説を広げているという。

ただ、米国内からの情報の増幅にとどまり、目立った偽誤情報の拡散は見られないとしている。

シンクタンク「民主主義擁護同盟(ASD)」のシニアフェロー、ブレット・シェーファー氏は、NBCニュースのインタビューに対して、「現時点では、情報環境をこれ以上有害にするようなことは何もできない」と述べている。

●動機、経緯は不明

今までのところ、事件の動機や経緯は明らかにされていない。

そんな情報空間の空白に、様々な思惑の偽誤情報や陰謀論、選挙戦や情報戦を絡めた言説が入り乱れている。

現場で射殺された容疑者の口から真相が語られることはなく、情報の空白と混乱だけが続く。

(※2024年7月18日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

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