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木がめちゃ生える日本 森の案内人が「今が有史以来、最も茂っている」という理由

佐藤智子プロインタビュアー、元女性誌編集者
木の恩恵を日々感じると語る「森の案内人」三浦豊さん撮影/Yutaka Miura

「森の案内人」として活動する三浦豊さん。「森は山にあるもの」という概念を覆す、街の中の森を見つけるスペシャリストでもある。森とはいったいどういうものなのか。1本の木をも見逃さない、三浦さんの「森」への視点とは?

―― 今までどれくらいの数の森に行かれましたか?

「もはや数えてないんですよね(笑)。同じ森も何回も行っていますし、1本の木で森みたいになっている所もあるし、自然にまつわる名所であれば、3000カ所は行っています」

―― すごい。どれぐらいの期間で?

「今、42歳で、森を歩き始めて15年目です」

―― 頻度は? 例えば、2日森に行かなかったらウズウズするとか。

「そこまで依存してませんが(笑)、週の半分以上はどこかしら森に行っていますね」

「一つ一つの木に対して詳しく説明する姿に愛を感じる」との参加者の声が多い 撮影/Minako Yoshida
「一つ一つの木に対して詳しく説明する姿に愛を感じる」との参加者の声が多い 撮影/Minako Yoshida

「森と林は全然違う」

―― 三浦さんは、「森の案内人」なのに、「山の案内人」に間違えられるんですって?

「そうなんです。多くの方が、森=山と思われているようです」

―― 三浦さんが言う「森」とは、どういうものなんでしょうか。

「基本的には、木がいっぱい生えているところです。森は『盛り』を語源としていて、木々が『盛り』上がるように生い茂っている状態。人が木を植えなくても自然に。それに対して、林は『生やす』が語源で、人が特定の場所に特定の種類の木が生えるように手を加えたものなんです」

―― 林は人が関わっていて、人工的で、森は自然発生的。

「そうです。だから、道端にも森の片鱗が見られる。雑草も一つ一つをよく見ると、時系列につながっていきません? その芽が伸びて、どうなっていくのかと」

―― 小さな芽、葉も森の片鱗だと。森の赤ちゃんがあちこちにあって、三浦さんにはその先が想像できるんですね。どう育っていくのかが。

「道端にある草の中には、目立たないですが、木も混じるんですよ。それがだんだん茂みになってくる」

―― ぱっと見で、草と木の違いも分からないんですが。

「草は地面から芽生えて、地上部分が1年以内に枯れます。生えては枯れる、の繰り返しです」

―― 草にも興味があります?

「相性があるみたいで、草の名前は何回聞いても覚えられない。木は一度聞いたら忘れられないんです(笑)」

街の中に森の片鱗が。道端の雑草の中にも木が混じっている

―― 道端の雑草の中に混じっている木は、どうやって、伸びていっているんですか。

「木は、1年以内では枯れないんですよね。伸びた部分の先端付近で、冬芽をつけることができるんです」

―― どれくらい伸びるんですか。木は年単位で何センチというイメージがありますが。

「めちゃめちゃ早い木は、桃の木とかは、1年で1.5メートルぐらいになることもあるかな。昔から霊的な木とされていて。だから、桃太郎も成長が早いですよね」

―― 街の至る所に小さな芽が成長し続けている。それを含めたら、街中に森がある。それを見るのも楽しいわけですね。

「そうなんですよ。それが僕の人生を大きく変えました」

道端の草や芽につい目がいってしまう  撮影/佐藤智子
道端の草や芽につい目がいってしまう  撮影/佐藤智子

―― 森に魅せられた人生ですね。

「本当に都会のアスファルトの間からでも、木はどんどん大きくなるんですよね。もともと日本は国土の99%が森でしたから、その恵みをいただいて今があると思うんですが、『木のみかた』(著書)にも書いていますが、都会でも森に帰ろうとしている」

―― 森は、勝手に盛り上がっていくんですものね。

「林と違ってね。林は人が役に立つ木を選んで、その木がよく育つようにライバルを省いたりして育てる。スギとかヒノキとかね。僕はこれからの時代、木が生えているのはどういうことなのかをみんなと共有したいんですね。林と森は全然文脈が違う。人が育んだ場所なのか、自然に育まれた場所なのか」

三浦さんの著書『木のみかた 街を歩こう、森へ行こう』(ミシマ社)撮影/Yutaka Miura
三浦さんの著書『木のみかた 街を歩こう、森へ行こう』(ミシマ社)撮影/Yutaka Miura

―― 三浦さんは自然に生えてくるものがやっぱり好きなんですか。

「いや、でもないんですね」

―― ないんですか。何がきっかけで、森というか、木が好きになったんですか。

「僕は建築学科出身で、日大芸術学部デザイン学科建築デザインコースで、「建築意匠」を専攻していたんです。建築は意匠と構造と設備があって、意匠はコンセプトやデザインや美的なことを考える。大学3年生のときに衝撃的なことが分かりまして、僕が格好いいと思うことは人も格好いいと思うとは限らないという」

「格好いいこと」を突き詰めたら、「居心地のいいこと」だった

―― 三浦さんが格好いいと思うのは何だったんですか。

「僕はこう見えて、クラブ系の音楽が大好きだったんですよ。アンダーワールドとか、ジャイルス・ピーターソンとかテイトウワ、ケミカルブラザーズとか電気グルーヴとか」

―― ノリノリの。外見が真面目でおっとり系のイメージですが。

「素朴なね(笑)」

―― でも、個性的なものが好き。

「そうですね。見た後、世界を広げてくれる、街の風景が違って見えるぐらいの刺激的なものが好き」

―― それが、木とどういう関係性があるんですか。

「僕が『自分の格好いいは何やろ』を突き詰めたら、いろいろ気になったんですよ。夕日とか、子どもの笑顔とか、抽象的ですが。苔を触ったら気持ちいいとか、風がふっと吹くとか、葉っぱが揺れているとか。それは、『心地がいい、居心地がいい』というキーワードになったんです。その時、東京にいたので、建物がいっぱいあって、『居心地がいい空間は?』と思ったら、庭がある空間がいいなと」

街の一角にも巨木が存在している 撮影/Yutaka Miura
街の一角にも巨木が存在している 撮影/Yutaka Miura

―― 音楽もグルーヴ感が好きで、気持ちがいいことが好き。「格好いいこと」を突き詰めていくと、「居心地のいいこと」だったということですね。

「建築は、ビジュアル第一で、風通しが悪いのも結構ありますよね。空気が流れていないんです。だから、風が動くってすごいなと思って。その空間に何がいるかというと、木の枝葉が揺れているのがポイント高いなと」

―― 空間として、風通しや空気の流れを見ていると、それは木の揺らぎでわかると。

「はい。現代は壁で囲っていて、閉鎖的な感じがするんですよね」

―― 閉塞感がありますもんね。

「何か気詰まりがある。イライラしているというか。風が抜けたり、空間が広いと違うのかなあって」

「森の案内人」が連れて行く場所は都会の一角

―― 都会だと、窓も開けられない高層ビルや閉鎖空間にいて、「どこに森があるの?」と思える。「森は見たいけれども、山に行かなきゃ見られない」とみんな思ってしまうんですが、三浦さんが、ガイドツアーで連れていかれる森というのは。

「都会の一角も多いですからね」

―― 「森の案内」で、山に行かずに街の中を歩くという発想はどこから出てきたんですか。

「街に住んでいて、森というワードはないですよね。僕も森とは思わなかったんですが、東京の街の中を歩いていたら、3年目ぐらいで気付いたんです。居心地がいい空間は、風が抜けている、庭がある、あと、人間以外の生き物がいる。蝶々が飛んでいるとか。街に住んでいると、人間だけと思いがちじゃないですか。でも、結構いろんな生き物がいる。『居心地がいいとは?』という、大きい問いをずっと考えている感じです」

人間は多くの生き物たちと共存している 撮影/Yutaka Miura
人間は多くの生き物たちと共存している 撮影/Yutaka Miura

―― 建築に行かずに、木のほうにいっちゃったのは?

「大学生の時に、東京の街をとことん歩こうと、リュックに、多めの水、タオル、着替えを詰めて、気合いを入れて回っていたんですよ」

―― 何時間ぐらい回っていたんですか。

「1日がかりですね。駅に降り立って、ふらふらと。写真を撮ったり。グーグルマップもない時代に。街を歩くと、謎のものがいっぱいある。街歩きウォッチングですね」

―― じゃあ、最初は木に特化してなくて。

「全くですね。木に興味なかったし、23歳までサクラとヒマワリしか知りませんでした」

「何気なく下を向いたら植物が。『ある』ではなく、『いる』と思えた」

―― 街を歩きながら、どんなものを面白いと思ったんですか。

「高級地帯に謎の空き地があるとか、ツタが絡んでいる廃屋の横にイケイケのセレクトショップがあるとか、東京はカオスじゃないですか。京都生まれ、京都育ちの僕にはすごいエネルギーの集まり、無秩序さが楽しく見えたんです」

―― いつぐらいから木に特化していくわけですか。

「じわじわ来たんです。下を向いたら、何気なく見ているところに、結構、東京には植物がいるなと。『あるなあ』ではなく『いるなあ』と思えて。例えば、コインパーキングをつくるとしますよね。そのままにしておけば、どういうふうになるかと予想できるようになって」

路地も空き地も工事現場も木のワンダーランドに思える 撮影/Yutaka Miura
路地も空き地も工事現場も木のワンダーランドに思える 撮影/Yutaka Miura

―― 歩いていくうちに、時間の経過をも想像できるようになったということですか。

「はい。断片をとにかく見ていたので、パターンが気になって、時系列でつながりだして」

―― 放っておいたら、いつの間にか木になっているみたいな。

「そう。大きくなるんですよね。アスファルトを敷き詰めてもやっぱりヒビが割れるんです。ブロックとブロックには隙間があるし、そこに種が入って生えてきたり、土の中で眠っていた種が芽生えたり。それがまさに、センスオブワンダーで。今もクラクラするくらいです(笑)」

―― 木が茂っている森だけじゃなくて、芽生える過程から好きということなんですね。

木の種類なら1000種類はわかる

―― その木が何だろうかと知ろうとしたのはいつぐらいから?

「庭師に就職してからですね。24歳くらい」

―― 木は1回見たら覚えられるとおっしゃっていましたが、木の種類をどうやって調べるんですか。

「図鑑とか、植物園に行ったときにプレートがあるじゃないですか。あれを見て。系列になっているんですよね。何科とか」

―― それまでは植物のことはあんまり知らなかったんですよね。

「そうですね。知っていくと、つながりだして」

次回のガイドツアーのための資料を作成。たくさんの種類の木の名前が 撮影/佐藤智子
次回のガイドツアーのための資料を作成。たくさんの種類の木の名前が 撮影/佐藤智子

―― ちなみに、木の種類は何種類ぐらい言えます?

「生えている木は分かると思うんです。1000種類ぐらいかな。1個ずつ特徴がある。時々『おや?』というのがいるんですけれど。『何々に似ているな』で分かりますね」

―― 系図みたいな感じで分かるんですね。この種類はこうだと、成り立ちから知っていると。

「僕は専門教育を受けていないので、知りたかっただけで。ただ、知識や識別には力を入れてないですね」

―― 覚えようと思って覚えたわけじゃなくて興味でいつの間にか覚えてしまった。

「やっぱり気になったから」

―― 子どもの時から、草木が好きというわけじゃなくて。

「なくてですね。小学校のときに父親が、毎週末、野山に強制的に連れて行ってくれたのが良かったのかもしれない。今は感謝していますけれどもね。体験していないと選べないと思うので、何かにつながったのはすごくありがたいなと思います」

ガイドツアーには素敵な方ばかりが参加してくる

―― 今、お仕事としては、庭師と案内人の両方をされている?

「庭師はほとんどやってないですね。ただ、『この森をどうしたらいい?』とか、『木を植えて、気持ちいい空間に』とかは相談に乗らせてもらっていますが、ガイドツアーをメインでやっています」

―― どういうところに行かれていますか。

「依頼があれば、全国どこでも行きます。北海道から南は今のところ、宮崎かな。明治神宮とか、街の中に森があるところや、谷根千のような街のガイド。高尾山や白神山地や、奈良の春日山原始林ツアーも先日やりましたし」

―― 街の中の森ガイドツアーは手軽に行けるじゃないですか。どういう方が来られていますか。来る方の印象としては。

「これはやっていて興味深いというか、だからやっているのかもしれないですけれども、素敵な方ばっかり来ますね。1人でやっていることだから、ささやかなんですよ。それなのに嗅ぎ取って来てくださるのはやっぱり嗅覚がある方ですね」

―― 皆さん、木が好きなんですかね。

「何か気になるんでしょうね。これも面白いんですが、森とか木とか全く興味のない僕が興味を持ったのと同じで、やっぱり無意識のところで、興味を持っている人が今、増えているような気がするんですよね。喚起されていないだけで」

街の中を歩きながら木について語る 撮影/Minako Yoshida
街の中を歩きながら木について語る 撮影/Minako Yoshida

―― 「森の案内人」というとアウトドア派なのかなと思って、「私、そんなに歩けないし、疲れているし、忙しいし、お金もないし」という人にとっても、三浦さんのツアーは手軽ですよね。どこかの駅で待ち合わせするということですから。

「しかも、渋谷駅とか池袋駅とかね」

―― 「森の案内人と行く渋谷」というのは面白いですよね。渋谷のどこに森があるの? と。

「それが、すごい神社があるんですよ。渋谷駅の新南口から行くんですが。すごかったですよ、あの森は。南青山とか、六本木でもやったことがありますね」

―― 東京のど真ん中。東京って、木が多いんですか。 

「多いです」

―― 気付いてないかも。東京といえば、コンクリートジャングルと思っていて。

「結構これは、僕は大ごとやと思っています。僕の人生ではカバーできないくらいに木がものすごく増えています」

「案内人になって、速く歩けなくなった(笑)」

―― ガイドツアーに来られる方の感想は? どんな質問をされますか? 「疲れていたけど、来てよかった」みたいな、または、「詳しい木の種類を教えてください」と言うのか。居心地よかったと言うのか、勉強になったと言うのか。

「どうなんやろ。人の中にも森みたいなものがあると思っていて、その人の中の茂みみたいものが、わっと芽吹くというか」

―― 眠っていたようなものが。

「抽象的で申し訳ないです。人それぞれで、全然違うんですよ。『目から鱗だった』『こんなことを気にしたことがなかった』とか。僕たちは歩いていても、通り過ぎているんだなと思いますね。発見、確認じゃなくて、歩くのは移動というだけで。僕は、案内人になって、速く歩けなくなったんですよ(笑)。いつも景色を見ているから、時々、人と歩いていたら、みんな速くて、『ちょっと待って』となるんです」

―― じゃあ、三浦さんは、目的地まで5分という道では、どういう行き方をするんですか。道端を見ながらですか。

「無意識に見てしまいます。我々は、場所に対して、名前を付けて誰々の所有地ということにしていますけれども、やっぱり植物がすごいのは、土地という概念がないですよね。常にその場所に自然に出てくるんで、生垣でもお隣を気にせず茂っていきますよね」

今、木がものすごく増えている

―― 生き物の生命力とか、無秩序に自然に生えてくる感じがたまらないんですね。

「たまらないですね(笑)。生き物としての畏敬の念みたいなのはすごくあります」

―― 参加者の方も、今までは気付かなかったものが見えてくるということですか。

「だとしたら、うれしいですね。何もないよ、というところに限って、めちゃくちゃ茂っていますからね」

日本中、木が茂み続けている 撮影/Yutaka Miura
日本中、木が茂み続けている 撮影/Yutaka Miura

―― 今、有史以来、すごく木が生えていると著書でも書かれていましたが、本当ですか。森林伐採や自然破壊が進んでいるから、「このままいったら木がなくなっちゃう」と誰もが思っているじゃないですか。

「僕は世界規模を知らないです。めちゃめちゃドメスティックな人間なので。世界も知りたいですが、日本で手いっぱいで。日本でいえば、もれなく生えています。60、70年前ぐらいまでは、日本人は薪や炭を使っていましたから、食事を作るのも火を使って、灯りをつけるのも、エネルギー源は、木を伐らないとまかなえなかったのと、牛馬を飼っていて、草むらも伐って、えさにしていた。だけど、今は、牛馬もいなくなり、薪も使わなくなった。人が住んでいるところは常時、木が必要だったけれど、エネルギー革命で木を伐らなくなった」

―― 木を伐る必要がなくなって。

「都会でもどんどん芽吹いていて、有史以来の茂り具合ですが、そこに人は興味がない」

―― そこが面白いなと思ったんです。木は勝手に生えてきて、ある意味、無法地帯に。木にしてみれば人に無関心になられたおかげで、伐られずに済んだ。自由に生える環境になった。人から見ると、無理だよというコンクリートの割れ目からも。

「そうですよ。めっちゃ生えますよ」

アスファルトの割れ目からでも芽吹く 撮影/Yutaka Miura
アスファルトの割れ目からでも芽吹く 撮影/Yutaka Miura

―― すごく生える木というと。

「エノキ、ヤマグワ、アカメガシバ。痩せ地に草が生えて、それが枯れてたまって土ができて、そこに木が生えると、もれなく盛り上がっていく。空き地になると一気にきますね」

―― いきなりアスファルトから木が生えるんじゃなくて、ひび割れたところにまず草が生えて、草が土をつくるわけですね。

「あ、アスファルトからでも木が生えることはありますよ」

「無理そうなコンクリの割れ目からも生える」木の凄さとは?

―― 隙あらば生える。木って、すごいですね。切っても切ってもどんどん生えてくる。

「木は本当すごいです。特に日本では、今、ものすごい茂り方をしているなと思います」

―― 縄文時代の木が生えてきたとも言われていますね。

「東京には江戸時代からの大名屋敷で守っているところがあるので、特に浜離宮、芝離宮とか、めっちゃくちゃいますね。大きいタブノキ、シイノキなどの主のような木が」

―― 縄文時代の木が、どうして生え始めたんですか。

「徐々にですね。縄文時代といっても、肥沃だったり痩せ地だったり、斜面だったり平地だったり、湿地だったり岩だったり、人が焼き畑をしていたり、いろんな環境に適応して、木が生えていて、縄文時代=肥沃というわけでもないと思うんです」

木はどんな状況でもベストを尽くす。伐られてからどう生きるか

―― 縄文時代と同じような土が現代にもあるということですか。

「徐々にたまってきていますね。木の伐採がなくなったことと、薪に使うしば刈りをしなくなったのも大きいですね。昔は落ち葉を取って、自分たちの排せつ物と混ぜて堆肥にしていたけれど、それも取らなくなった」

―― 木にとっては今、最高にベストな環境ということですか。

「ちょっと前までは、そうです、と言っていたんですが、最近見方が変わってきて、『木はどんな状況でもベストを尽くす』というか。切られたら、アンハッピーで落ち込むとか、我々の喜怒哀楽というのではなく、ブレずに生きているような気もしてきました」

どんな場所でも木は成長しようとしている 撮影/Yutaka Miura
どんな場所でも木は成長しようとしている 撮影/Yutaka Miura

―― 伐られたとしても、ただただ生え続ける。

「幹が伐られてから芽吹くことができる木もいれば、本当に純粋に終わる木もいる。種類や個性によっても違いはあるけれど。伐られたことを振り返っても仕方がない。僕たちは、振り返ってその痛みを人と言葉でシェアできる。木はそういうことじゃなくて、伐られてからどう生きるか。僕たちとは、また違った生き物なのかなと思って」

―― 再生力が、もともとあるということですか。復活力というか。

「はい。やっぱり、自分というものを広げてみると、こうやって、酸素を吸えることも彼ら木が出してくれている酸素のおかげやし」

「木を見ていると、生きているという圧倒的な肯定感を感じる」

―― ずっと木を見続けられていて、底知れぬパワーを感じますか?

「感じますね。いい映画とか、いい音楽とか、いい本を読んだ後みたいに、パワーをもらいまくっている。木を見ていたら、元気をもらいません?」 

―― はい。それをいろんな人に体験してもらおうと思って、活動されているんですか。皆さん、再発見されていますか。「あんまり別に」ということもありますか。

「伝わらない人には伝わらないですよ。そこも『人っていいなあ』と思うんですよ。一言で通じる人もいれば、言葉を尽くしても伝わらないことがある。そこが多様性なのかなとか。本当にいろんな人がいるなと思って。案内人をやっていてうれしいのは、久しぶりに来てくれることですね。何か不意に来たくなったとか」

木から教えられることばかり 撮影/Yutaka Miura
木から教えられることばかり 撮影/Yutaka Miura

―― 森の案内人をして何を伝えたいですか。

「キザなんですけれども、とどの詰まりが、『生きている肯定感』ですかね。生きているという圧倒的なこと、かけがえのなさだと思います」

―― それは木を見て、生きようとしている感じから分かるんですか。

「はい。それに、死してなお、養分になりますよね。森は『生』だらけですけれども、『死』もいっぱいあるんですよね。木の赤ちゃんは森の中では基本死ぬんですよ。種から芽吹く時点で、種で菌でもやられますし、たまたま生き残ったやつが生きていくという中で、膨大な死を感じるんですよね。木が生きている姿から、僕たちも生きているということに、向き合える肯定感。『僕らはみんな生きている』っていう歌みたいに。かったるいときも嫌なことも悲しいこともありますけど、ひっくるめて、OKという」

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プロインタビュアー、元女性誌編集者

著書『人見知りさんですけど こんなに話せます!』(最新刊)、『1万人インタビューで学んだ「聞き上手」さんの習慣』『みんなひとみしり 聞きかたひとつで願いはかなう』。雑誌編集者として20年以上のキャリア。大学時代から編プロ勤務。卒業後、出版社の女性誌編集部に在籍。一万人を超すインタビュー実績あり。人物、仕事、教育、恋愛、旅、芸能、健康、美容、生活、芸術、スピリチュアルの分野を取材。『暮しの手帖』などで連載。各種セミナー開催。小中高校でも授業を担当。可能性を見出すインタビュー他、個人セッションも行なう。

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