超多忙な棋士の月間記録 大山康晴15世名人は15局、谷川浩司九段は12勝
いつの時代もトップクラスの棋士は多忙
8月27日。徳島市で王位戦七番勝負第5局▲豊島将之名人・王位(29歳)-△木村一基九段(46歳)戦が始まりました。2019年の夏は、来る日も来る日も、両者の熱戦を観ているような気がするという方も多いでしょう。
木村九段は順位戦では現在、A級に所属しています。2回戦は既に木村九段-佐藤康光九段戦以外は終わって、3回戦が進行中です。木村-佐藤戦がおこなわれるのは9月半ばで、それだけスケジュール調整が難しかったということでしょう。
豊島名人・王位の8月の対局スケジュールを見てみましょう。
現在戦われている王位戦七番勝負など、タイトル戦の番勝負は、全国各地を転戦します。その前後には移動時間や、前夜祭などのイベントもあります。それらを考えると、トップクラスの棋士がいかに多忙であるかがうかがえるでしょう。
豊島名人・王位は2017年度末(2018年3月)、やはり大変な過密スケジュールに追い込まれています。
2017年度A級順位戦は史上空前の大激戦となりました。11人のうち、上位6人が6勝4敗で並びます。そして名人挑戦権をかけ、史上初の6人プレーオフがおこなわれました。豊島八段(当時)はA級プレーオフと、王将戦七番勝負(久保利明王将に挑戦)を並行して戦うことになりました。
王将戦七番勝負では、久保王将に2勝4敗で敗退。
A級プレーオフは、A級初参加で順位下位の豊島八段は5連勝しなければ名人挑戦権まで届きません。そこでは3連勝の後で羽生竜王(当時)に敗れています。
もしこれだけタイトな日程でなければ、結果もまたあるいは・・・というところですが、トップクラス棋士の過密スケジュールは宿命のようなものです。勝てば勝つだけ忙しくなっていきます。
豊島八段はこの月、9局戦って6勝3敗。もし王将戦最終第7局とA級プレーオフ最終局まで対局することがあれば、月間11局でした。
昭和の鉄人、大山康晴15世名人
タイトル通算99期という羽生善治九段などは、平成の間中ほぼずっと、常人から見れば考えられないような日程の中で戦い続けてきました。ちなみに羽生九段の月間最多対局数は11局です。
歴代の月間最多対局数、第1位は15局です。これは大山康晴15世名人(1923-1992)が棋聖在位中の1975年12月、52歳の時に記録しました。
不戦勝が1回ありますが、それもカウントし、15局戦って9勝6敗です。これはもう、殺人的と言ってもいいスケジュールです。
12月は王将戦リーグが佳境を迎える季節です。大山棋聖は5勝2敗の好成績をあげ、同率の有吉道夫八段(現九段)と対戦。プレーオフ(挑戦者決定戦)では有吉八段の勝ちとなりました。
日本将棋連盟杯争奪戦は決勝で大内延介八段に勝って優勝。
中原誠名人と戦った名将戦決勝三番勝負の第3局は、早指し選手権の真部一男四段戦がおこなわれた同日。
棋聖戦五番勝負(1日制)では二上達也九段の挑戦を受け、12月に2勝、翌1月に1勝して、3連勝で防衛を果たしています。
十段戦七番勝負(2日制)では中原誠十段(名人)に挑戦。これは11月に2敗、12月に2敗して、4連敗で敗退となっています。もし最終第7局までもつれこんだら、いったいどんなスケジュールになっていたのでしょうか。
ちなみに十段戦七番勝負は、1970年から75年まで6年連続で中原、大山の両雄が対戦しています(シリーズを制したのは中原5回、大山1回)。
1975年度、大山棋聖は73局戦って48勝25敗。当時、大山棋聖は対局数と勝数のトップ常連で、この年度でもそうでした。
大山棋聖は当時、超一流のプレイヤーであるだけでなく、将棋連盟の理事という立場もありました。この頃は新しい将棋会館の建設や名人戦の契約問題など、歴史的な重要案件が存在しています。そうした中で大山棋聖は、運営の中心でも重責を担っていました。改めて「鉄人」、あるいは「超人」と言うよりありません。
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恐ろしいことに、大山15世名人がキャリアハイの年間53勝(21敗)を記録したのは、1979年度。56歳から57歳にかけてのことでした。
平成初期の覇者、谷川浩司四冠
1991年度。当時、谷川九段は竜王、王位を併せ持つ二冠でした。そして11月に12局、12月に13局の対局がついています。
12月の成績は12勝(1敗)。これが現在にまで残る、月間最多勝記録です。
竜王戦七番勝負(2日制)では森下卓六段(現九段)の挑戦を受け、1勝2敗1持将棋の後、12月に3連勝して防衛を果たしています。
棋聖戦五番勝負(1日制)では南芳一棋聖に挑戦。12月に2勝、1月に1勝して、3連勝のストレートで棋聖位を獲得しました。
王将戦リーグは4勝2敗で4人が並んでプレーオフに。最終戦(挑戦者決定戦)の中原名人戦がおこなわれたのは大晦日の12月31日でした。この時、通算勝数は中原999勝、谷川599勝。結果は谷川竜王の勝ちで、王将挑戦権獲得と、通算600勝を達成しました。
谷川現九段は、当時をこう振り返っています。
翌1月からおこなわれた王将戦七番勝負では、谷川挑戦者が南王将を相手に4勝1敗の成績をあげ、王将位も獲得。自身初の四冠を達成しています。
以上ご紹介したように、月間・最多対局数は15局(1975年12月、大山康晴棋聖)。月間・最多勝は12局(1991年12月、谷川浩司竜王・王位)です。これらの大記録が更新されることは、果たしてあるのでしょうか。
ちなみに藤井聡太四段(現七段)がデビュー以来無敗の29連勝を達成した2017年6月は、10戦10勝でした。