木村拓哉氏や北川景子氏など芸能人の食事マナーは糾弾されるべきことか?
食事マナーへの批判
<木村拓哉の食事マナーに「汚い」と批判、「ワイルドな男らしさ」の時代は終わった?>という記事が配信されており、少し過激なタイトルだったので気になって読んでみると、いくつか考えさせられるところがありました。
記事の概要は次の通りです。
木村拓哉氏の番組での食事中の態度に始まり、女優である北川景子氏、高畑充希氏、平愛梨氏、さらにはタレントの優木まおみ氏の食べ方について触れられており、テレビを観た視聴者から「マナーがなっていない」「育ちが悪い」という反応があったと紹介しています。
芸能人の食事マナー
最後には、以下のように結ばれていました。
まとめの内容に異論はありませんが、この件については、その裏側にあるものをもう少し深掘りする必要があると考えています。
テレビにおける「芸能人の食事マナー」について以下の流れで考察していきます。
- テレビできれいに食べるのは難しい
- 番組の種類によって異なる
- 食育は専門の領域
テレビできれいに食べるのは難しい
記事で紹介されていた好ましくない食事マナーには、以下のようなものがありました。
- 迎え舌
- テーブルに肘
- 正しくない箸の持ち方
- リス食い
- 仏箸
これらはどれも、指摘されても仕方ない食事マナーかも知れません。
ただ、私は自身の経験からすると、非常に根本的なことですが、テレビを通してきれいに美しく食べるのは、そもそも簡単なことではないと考えています。
何故ならば、テレビでは、ただ食べていればよいだけはないからです。進行に合わせて動いたり話したりしなければなりませんし、テレビで放送されるのは、食事場面の断片のつなぎ合わせなので、きれいに食べているところが放送されているとも限りません。
撮影の流れで台本に忠実であろうとしたり、他の共演者との掛けあいに合わせようとしたりしたため、急いで食べたら、詰め込んでしまったり、美しくない所作をとってしまったりした可能性もあります。
そのため、テレビに映った一場面だけを判断し、食事マナーが悪いと断罪するのは避けた方がよいと思うのです。
俳優や女優、タレントはテレビに映ることに関してはプロフェッショナルなので、食べる所作をも含め、美しく映らなければならないという指摘もあるでしょう。
しかし、そうであったとしてもなお、回っているカメラの前できれいに食べることは、普段より数倍も難しいことであると、理解しておいてよいと思います。
番組の種類によって異なる
好ましくない食事マナーが見受けられた際に、どうしてそのまま使われてしまう、つまり、どうしてそのまま放送されてしまうのでしょうか。
この背景についても考えてみる必要があります。
今回、記事で言及されているのは全てバラエティ番組であることがひとつの注目点です。
出演者が本人の好きな食べ物を紹介したり、値段を当てたりするバラエティ番組であれば、食事マナーは番組の構成上、特に重要ではないので、ディレクターを始めとする制作スタッフも、食事マナーにはあまり気を留めません。
また、撮影中は、テレビの画面を通して感じるよりもずっと緊張感があるものです。
そのため、食事マナーが悪かったとしても、台本に沿う形で順調に流れているのであれば、それをあえて止め、出演者にお願いしてもう一度食べ直してもらい、撮り直すことはないでしょう。
たとえ出演者本人が、よくない食事マナーをとってしまったと自覚したとしても、番組の本筋ではないところなので、他の出演者やスタッフに気を遣って、撮り直しをお願いすることはないかも知れません。
バラエティ番組ではなく、ドラマであればまた違ったでしょう。食事している様子も物語の世界観の一部であり、登場人物に相応しくない食事マナーであれば、その場面の撮影がよしとされないからです。
他にも、食事マナーを紹介する場合であれば当然のことながら、高級店で食のレポートをしたりする場合でも、食事をとる姿は重要となるので撮り直しとなる可能性はあります。
食育は専門の分野
ここまで、テレビできれいに食べることは難しいこと、さらには、食事マナーが重要視されない場合には撮影し直すこともしないので、好ましくない食事マナーが放送されることを述べてきました。
しかし、こういったことを差し引いたとしても、やはり、もともと食事マナーが身に付いていないと思われる芸能人もいるかも知れません。
では、食事マナーが身に付いていない芸能人に対して、「育ちが悪い」「厳格な父親だったんじゃないの?」「老舗の社長令嬢のはずなのに」という記事中の批判は当たっているのでしょうか。
食への考え方や捉え方、食事マナーは生まれ育った環境、特に両親の教えに大きく依存することには、私も賛同しますが、老舗の社長令嬢であることや育ちのよさが、食事マナーに直接関係するとは思えません。
金持ちの家庭で育ったとしても、お米を一粒も残さずきれいに食べるとは限りませんし、フランス料理の作法を全て知っているわけではないでしょう。
反対に、中流家庭であったとしても、食事中はテレビを点けてはならず、会話も禁止され、箸の上げ下げまで注意されながら育ったという人もいます。貧困の幼少期であったからこそ、食材のありがたみを感じ、料理の作り手に感謝するようになることは少なくありません。
また、厳格な父親であり、学校や塾の成績を気にし、交際関係や門限にうるさかったとしても、食に興味がなければ、子供がジャンクフードを食べても気にせず、好き嫌いがあって偏食が過ぎても注意しないかも知れません。
反対に、優しい父親であったとしても、食べている料理がどのように考えて作られており、使われている食材がどのようにして食卓まで届いているのかを教えていたりしていれば、子供は生産者や料理人に対して尊敬の念を抱くようになるのではないでしょうか。
つまり、私が言いたいことは次の通りです。
裕福な家庭で育ったかどうかということや親が厳格であったかどうかということは、食事マナーの良し悪しにはあまり関係がありません。
食事マナーを含む食の教育は、食育という専門分野があるくらい奥が深い領域なのです。
従って、もしも食事マナーがなっていないと思われる芸能人がいるとすれば、それはただ単に、食材や料理、調理に携わる人が大切であると思えない環境で育てられたということです。そしてもちろんそれは、大人になってから自分自身で学ぶことも十分にできます。
食事マナーの違いから
冒頭で紹介した記事の「芸能人の食事マナー」から色々と述べてきましたが、人間が生物であるという観点からすると、人は食と切っても切れない関係にあります。
そして、食にはその人自身の本質に根付く価値観が宿っているからこそ、自分とは異なる食事マナーが受け入れられないことは仕方ないかも知れません。
しかし、単に食事マナーが正しくないと糾弾するだけでは相手への理解が深まらないでしょう。異なる食文化に対しても同じことです。
どうして相手がそのような食事マナーをとるのかと思いを馳せてみることは、相手を理解することにつながるのではないかと、私は考えています。