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「安心、安全なオリンピック」というスローガンに決定的に欠けているもの

原田隆之筑波大学教授
(写真:アフロ)

オリンピックまであと2か月 

 東京オリンピック・パラリンピックの開催まで、2か月を切りました。依然として東京や大阪を始め、大都市部は緊急事態宣言の真っ只中です。さらに、宣言は北海道と沖縄にも拡大されました。

 このような状況のなかで、本当にオリンピックを開催できるのか、誰もが懐疑的であるし、世論調査を行うたびに開催反対派が賛成派を大きくしのぐという結果になっています。 

 最も新しいところで、毎日新聞が5月22日に行った世論調査では、「中止」「延期」が6割超という結果でした。特に中止の意見は、前回調査よりも11ポイント増加しています。

相次ぐ失言と批判

 こうしたなか、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が「われわれは犠牲を払わなければならない」と発言したことが、大きな反発を招いています。その後慌てて「日本人に向けて言ったのではない」と火消しに躍起になっていますが、後の祭りです。

 なぜ、オリンピックのためにわれわれが犠牲を払わないといけないのか、人々が怒るのは至極当然のことです。

 少し前にも、お世辞のつもりなのか「大会が可能になるのは日本人のユニークな粘り強さという精神、逆境に耐え抜く能力をもっているから。美徳を感謝したい」と述べましたが、これにも「なぜオリンピックのために我慢を続けないといけないのか」という反発の声が上がっています。

 さらに、IOC副会長で調整委員長でもあるコーツ氏は、「緊急事態宣言中での開催は問題ない」との発言をしています。

 つまり、多くの人がコロナに罹って苦しんでいる状況であっても、そして日本人が外出自粛を要請され、感染拡大を恐れて家に籠っているときですら、自分たちはオリンピックをやってお祭り騒ぎをするつもりだということでしょうか。飲食店は店を開くことができず、医療従事者が夜も寝ないで奮闘しているときですら、自分たちには関係がないということでしょうか。

 これらの発言から透けて見えるのは、日本のことなどどうでもよい、オリンピックさえ開催できればよいというきわめて自己中心的な発想であると言わざるを得ません。

対策は万全なのか

 菅首相は「安心、安全なオリンピック」というスローガンを繰り返しています。そして組織委員会は、「バブル方式」などさまざまな対策を講じると述べています。「バブル方式」というのは、あたかも泡で包むかのように、大会関係者を選手村内に隔離して開催するということです。

 IOCが先ごろ公表した「プレイブック第2版」では、マスクの着用、最小限の物理的接触、検査の徹底、行動管理、隔離、接触確認アプリ(COCOA)の活用などの対策が列挙されています。

 しかし、これらは本当に徹底されるのでしょうか。ルールを守ることにかけては国際的な誉れ高い日本人ですら、今や感染対策を疎かにしたり、不要不急の外出、大勢での会食などをしたりする人々が増えています。そのなかには、厚労省の職員や医師会の会長までもが含まれる始末です。

 厳密なルールを設けたとしても、海外からの若い選手たちや大会関係者が皆、これを厳守するのでしょうか。

 私はかつて、感染防止対策が機能しなくなっているのは、「理想的な人間像」を前提にした対策だからだと述べました(「気のゆるみと言うな 心理学に基づいた緊急事態宣言解除後の感染防止対策」)。自粛をきちんと守る、会食を避けるなどの対策は、厳守されれば効果はあるでしょう。しかし、それらは社会的動物である人間の習性に反していて、現実的には、それがいついかなるときも守られるとは限らないのです。つまり、「現実的な人間像」を前提にした対策でなければ、失敗するのは目に見えています。

 さらに、大挙して押し寄せる報道関係者に至っては、「バブル方式」や「プレイブック」の対象ではありません。彼らは、自分で予約したホテルに宿泊し、街中で飲食や活動をするでしょう。感染爆発の起こっている国々、感染力の強い変異株が猛威を振るっている国々からも、多くの報道関係者が押し寄せるでしょう。こうしたことに不安を抱くなと言われても無理な話です。

 「プレイブック」のサブタイトルを見ると、「大会の安全と成功のためのガイド」と書いてあります。揚げ足を取るわけではありませんが、やはりここでも「大会の安全」にしか関心が向けられていないように見えてしまいます。大会とは関係のない一般市民の安全という視点が欠落しているように思えます。

 「大会の成功」は、一般市民の安全が確保されなければありえません。「プレイブック」はプレイヤーのためのものだから、一般市民のことまでは書いていないというのならば、政府や組織委員会は、一般市民の安全をどう守るのか、人々の不安に丁寧に答えつつ、具体的な対策を示すべきです。

 大会は無事に開催できたが、その後に日本で感染爆発が起きたというのでは、払う犠牲が大きすぎるし、その可能性は小さいとは言えないでしょう。

「安心、安全なオリンピック」

 さて、最後にもう一度、このスローガンに戻ると、今決定的に欠けているのは、「安心」です。どれだけ安全策を講じても、仮にそれが徹底されたとしても、「安心」するかどうかは、メッセージの受け手であるわれわれの側にゆだねられています。それを政府やIOCが強要することは不可能です。 

 大会の開催に反対をしている多くの人は、いまこの状況でどんな対策が講じられようとも「安心」することができないというのが現実であり、これが自然な人々の心情です。

 その「心」を無視し続けているから、IOCや政府が何を言っても反発を招く一方であるし、強行開催としか受け取られないのです。

 我慢を強いて、危険に晒して、犠牲を払ってまで開催するオリンピックとは、一体何なのでしょうか。そこにはどんな大義があるというのでしょうか。

 このスローガンがむなしく響くのは、一連の発言や対策のどれを見ても、われわれの「心」が無視され、彼らの側にも真摯な「心」が欠如しているからなのでしょう。

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

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