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今L.A.の街を埋め尽くす「FYC」は、果たして何?

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ダコタ・ファニングらの「The Alienist」もエミーを狙う(筆者撮影)

 エミー賞ノミネーションの投票が始まった。L.A.の街は、どこも「FYC」であふれている。

 大きな看板広告、バス停、ベンチ。家を出て目的地に着くまでの運転中に、この3つのアルファベットを掲げたテレビドラマの広告を、いったいいくつ目にすることか。家で新聞を開いても、この種の広告だらけ。業界向けウェブサイトやツイッターにも、この3文字が着いてくる。

「FYC」は、「For Your Consideration」の略。そのまま訳せば「ぜひ、ご検討を」だが、平たく言うと「あなたの一票をお願いします」だ(最近、ずばりと『検討だけじゃなくて入れてください』と書いた広告も見た)。業界人の街L.A.では、もちろんオスカーキャンペーン中も、この言葉は毎日見る。だが、今の時期、これらがさらに増えたと思うのは、気のせいではないはず。テレビ界の競争が激化する中、投票者に自分たちの作品を知ってもらうことは、これまで以上に大切で、かつ、大変なのである。

作品数が多いNetflixは、日替わりのように違うドラマの全面広告を「L.A.Times」に出す。看板広告も、それぞれの作品に対して掲げている
作品数が多いNetflixは、日替わりのように違うドラマの全面広告を「L.A.Times」に出す。看板広告も、それぞれの作品に対して掲げている

 ストリーミングサービスやケーブルチャンネルがクオリティの高いオリジナルドラマを次々に製作するようになり、テレビ界がルネサンスを迎えて以来、「良い」と言われる作品の数は、増える一方だ。ひと昔前ならば、テレビのシーズンは9月か10月に始まって、5月には終わりだったから、新しく出てきた作品を心に留めておくのは簡単だった。しかし、今や、シーズンなど関係ないNetflixやAmazonが、これでもかというほど新作を次々に出してくる。負けじとばかりにケーブルもこれまで以上に本数を放映するようになったため、ドラマシリーズだけでも、エミーの資格があるものは、この2年の間に143本から180本に増えた。

キャサリン・ゼタ=ジョーンズが主演した、100分の”テレビ用映画”「Cocaine Godmother」のエミーキャンペーン広告
キャサリン・ゼタ=ジョーンズが主演した、100分の”テレビ用映画”「Cocaine Godmother」のエミーキャンペーン広告

 さらに、単発の、“テレビ用映画”と呼ばれる2時間の特別ドラマがある。テレビの質が上がったことが周知の事実となって偏見が減り、映画業界よりもクリエーターに自由が与えられることで、長期にわたる契約をしなくていい単発ものにはとくに、オスカー俳優や大物映画監督が関わるようになってきた。この部門のエミー候補者は、今や、オスカーかトニーかという顔ぶれで、業界人は、見ていなかったら、内心、罪悪感を覚えるほどである。

 そもそも、エミーはオスカーよりずっと部門が多い。シリーズものはドラマとコメディに分かれているし、ほかにミニシリーズ、バラエティ、リアリティ、スケッチなどがある。そして、テレビはひとつを見るのに時間がかかる。映画ならば、1作品はせいぜい2時間か3時間。メジャーネットワークによる1シーズン22 、23話が常識だった頃より短いものが増えたとはいっても、1シーズンは10話から20話だ。

 さすがに全部の作品のすべての回を見るのは困難とあり、エミーにおいて、プロデューサーは、該当するシーズンの1話を選んで提出し、投票はその特定の回に対して行われる。しかし、なんの脈略もなく、突発的に途中の回を見ても、思い入れしづらいというのが現実だろう。その回の俳優の演技がどんなによかったにしても、それよりは、最初から全部を見ていて大ファンになっている作品に入れようと思うのが、投票者の自然な心理ではないか。

 だからこそ、製作側は、自分の作品が埋れてしまわないように必死なのだ。投票者に自分たちの作品を見てもらい、良い印象をもってもらって、「あと何回か、続きの回も見てみよう」と思ってもらえるよう、あわよくばはまってもらえるように、製作側は、上映会を兼ねたユニークなイベントに、知恵をひねる。

VH1は、ショップスペースを借り切って、リアリティ番組「RuPaul's Drag Race」のエミーキャンペーンを展開中。一見普通の店だが、中に人は誰もいない
VH1は、ショップスペースを借り切って、リアリティ番組「RuPaul's Drag Race」のエミーキャンペーンを展開中。一見普通の店だが、中に人は誰もいない

 たとえば、最近では、FXが、ザック・ガリフィナーキス(『ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』)のコメディ番組「Baskets」のキャンペーンで、ガリフィナーキス本人にファーストフード店で働かせ、投票者に直接サンドイッチを渡してもらうということをやらせてみせた。一方で、VH1は、マーク・ジェイコブスやNARSなどが並ぶメルローズ・アベニュー一等地のショップスペースを借り切って、リアリティ番組「RuPaul’s Drag Race」のコスチュームをディスプレイしている。一見、普通のショップに見えるが、ドアは閉まっていて入れず、中に店員もいない。あくまで、道ゆく投票者にアピールするための巨大な広告なのだ。作品数がとりわけ多いNetflixは、豪華キャストを集めたトークイベントなどを30以上行っている。

いつも同じだった昔、着いていけない今

 テレビ界が大きな変革を迎えて、今年でちょうど20年。1998年に「SEX AND THE CITY」、その年明けに「ザ・ソプラノズ/哀愁のマフィア」を立て続けにデビューさせたプレミアムケーブルチャンネルHBOは、その後、クオリティの高いテレビの代表格として、エミーを占領していくことになる。そして今から5年前の2013年には、Netflixが「ハウス・オブ・カード 野望の階段」でオリジナルドラマ製作に乗り出した。当初はストリーミングに資格をあげて良いのかどうかとの論議もなされたが、このドラマはこれまでに各部門含めてエミーで33のノミネーションを受けている。

 さらに、昨年は「ハンドメイズ・テイル/侍女の物語」が、ストリーミング作品として初めてドラマシリーズ部門作品賞を受賞した。この快挙がいつか果たされるのであれば、やってのけるのは先駆けで作品数も多いNetflixではないかと思われていたのだが、実際にはそれまで陰に隠れていたHuluだったのだ。

昨年、ストリーミングとして史上初めてエミーのドラマ部門作品賞を受賞した「ハンドメイズ・テイル/侍女の物語」は、第2シーズンで、今年もまたエミーを狙っている
昨年、ストリーミングとして史上初めてエミーのドラマ部門作品賞を受賞した「ハンドメイズ・テイル/侍女の物語」は、第2シーズンで、今年もまたエミーを狙っている

 HBOも、Netflixも、Huluも、お金を払って加入しないと見られない。やはりエミーの常連であるShowtimeも有料、Amazonもプライム会員になっている必要がある。優秀なドラマを作ることで、これらの会員数は明らかに増えた。同時に、全部に入らないかぎり、一般人にとっては見られない作品がいつだってあるというジレンマが存在する。いや、それ以前に、そもそも数がありすぎて、普通の人にはとても着いていけない。

 その結果、エミーは、知らない作品の争いになり、一般人から遠くなりつつある。「タイタニック」が受賞した年は視聴率が上がったのに、アートハウス系映画が中心だとさっぱりのオスカーと同じだ。アーティスト数は増える一方でも、昔のように国民の誰もが知っている大ヒットソングがない時代となったグラミーにも、それは言えるだろう。

 かつて、エミーに対する不満は、「いつも同じ」というものだった。90年代から2000年代頭にかけて、コメディシリーズ部門といえば「Cheers」「となりサインフェルド」「フレンズ」「ふたりは友達?ウィル&グレイス」あたりだったのだ。メジャーネットワークしかなく、番組の絶対数が限られている上に、人気がある番組は10年近く続くという時代、それは当然のなりゆきだったのである。

メジャーネットワークのFOXは、今年1月に始まり、高い視聴率を得た新番組「9-1-1: L.A.救命最前線」をエミーに推している
メジャーネットワークのFOXは、今年1月に始まり、高い視聴率を得た新番組「9-1-1: L.A.救命最前線」をエミーに推している

 とは言え、今も、毎年候補入り、あるいは受賞する常連はある。HBOの「VEEP」「ゲーム・オブ・スローンズ」などは、その代表。投票者をすでに味方につけているこれらの番組があることで、新参者の入れる余地は狭くなる(今年、『VEEP』には資格がない)。だが、そこに入り込めれば、おそらく視聴者が増えるだけでなく、チャンネルのステイタスが上がって、今後の作品に才能ある監督やタレントを惹きつけやすくなる。だから彼らは賞を欲しがり、そのためにせっせとキャンペーンに励むのだ。たとえ結果が出なかったにしても、出演してくれたタレントや監督に対して、「精一杯やりました」という姿勢は、見せられたことになる。

 L.A.に住む我々は、もうしばらく、番組名を叫び続ける道を、日々運転しなければならない。ノミネーションの投票締め切りは25日。ノミネーション発表は来月12日で、授賞式は9月17日だ。残りあと3ヶ月。それらすべてが終わり、これらの看板が撤廃された後には、オスカーの「FYC」が待っている。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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