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誤振込みされた給付金を返さないと?

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:イメージマート)

■はじめに

 山口県阿武町の職員が、1世帯10万円の給付金463世帯分を誤って1世帯に過剰に振り込んだ事件がありました。返還を求める町に対し、世帯主は「金は別口座に動かし、元に戻せない。罪は償う」と拒否しているということです。

 これは誤振込みといわれている事案で、ときどきニュースにもなりますが、法的には難しい問題があって、阿武町も解決に苦慮しているということです。法的な問題状況について整理しました。

■法的な問題はどうなっているのか

学説の状況

 誤振込みされた金額については、以前は、たとえば郵便物の誤配のように、自己の支配領域に他人の財物が偶然入ってきたのと同じだと考えられていました。

 したがって、それを銀行の窓口から引き出した場合には、銀行員をだましたとして詐欺罪が、またATMから引き出した場合は、無断で金銭に対する銀行の占有を奪ったとして窃盗罪が成立するとされてきました(ATMから引き出した事案で、東京高判平成6年9月12日が窃盗罪を認めています)。

 ところが、民事判例ですが、平成8年4月26日に最高裁が、誤振込みされた金額については口座名義人に有効な預金債権(預金を引き出す権限)は成立しているが、民法上は法律的原因のない不当な利得(民法703条以下)であって返還義務があるとされました。

 誤振込みについては、銀行間で「組戻し(くみもどし)」という手続きが取られ、ミスを事後的に是正することができますが、この制度も、預金債権者の同意が必要で、銀行は勝手に行なうことはできません(最高裁平成12年3月9日判決)。

 つまり、預金の引き出し行為じたいは民法的には問題がないとされたわけですが、これは刑法の考え方と矛盾するのではないかと、問題が紛糾しました。

 この最高裁判例を受けて、学説は3つに分かれました。

  1. 民事上は有効であっても刑事上の判断とは別で、誤振込みの事実は銀行にとってきわめて重要な事実だから、名義人は誤振込みであることを銀行に告げる義務があり、この事実を秘して払い戻しを受けるのは詐欺罪に当たる(ATMの場合は、誰もだましていないので窃盗罪)。
  2. 民事上は預金債権が有効で正当に引き出せるので、犯罪の問題は生じない。あとは、誤振込みした者の不当利得返還請求権の行使という民事的な手段の問題となり、刑法とは無関係である。
  3. 民事上は有効であっても、郵便物の誤配と同じであり、偶然に自己の支配領域に他人の財物が入ってきたので、それを「領得した(自分のモノとした)」場合は、占有離脱物横領罪が成立する(委託関係が前提となる普通の横領罪は成立しません)。

裁判所の判断

 このように学説は分かれていますが、第1説が多数説かと思われます。そこで、裁判所の判断が待たれましたが、最高裁は、平成15年3月12日に、誤振込みの事実を知りながら預金を窓口で引き出した行為について、預金債権は有効だとしながらも詐欺罪の成立を認めました。その理由は、銀行は誤振込みを正す組戻しを行なうことができたのに、受取人がその事実を告げずに預金を引き出す行為は、銀行の利益を損なうものであり、銀行との関係で詐欺行為にあたるというものでした(上記、第1説と同じ考え方)。

 なお、この立場からは、ネットバンキングで資金移動を行なった場合には、電子計算機使用詐欺罪(刑法246条の2)が成立することになります。

■まとめ

 理由のないお金が誤って振り込まれたので、その金額について返還する法的な義務があることは当然です。しかし、それと預金を引き出す権限があるかどうかは別の問題です。

 そもそも振込みとは、銀行間で安全かつ迅速に資金を移動する手段であって、おびただしい数の、また多額の資金移動を円滑に処理するために、仲介銀行が資金移動の原因となる法律関係の存否や内容等の正しさを吟味することなく資金移動を迅速に行なう仕組みです(上記平成8年の最高裁判決)。したがって、誤振込みの場合は、相手方に預金債権を認めたうえで、組戻しを行なうか不当利得返還請求という事後的な救済の制度を利用することになります。

 問題はこれを超えて、犯罪となるかですが、民法上有効にお金を引き出せる以上、これを詐欺などの犯罪だとするのは無理があるように思います。なぜなら、上のような理由で詐欺罪になるとするならば、たとえば振込人と受取人が直接電話で話し合いを行い、受取人が誤振込みされた金額を銀行に告げずに引き出し、振込人に直接現金で返還したような場合であっても、銀行との関係で詐欺罪になるからです(松宮孝明『刑法各論講義[第5版]』(2018)189頁以下)。

 返さないと刑事告訴するぞと迫ることも分からなくはないのですが、犯罪の成立を認めても返金に直結するものではありませんし、その場合は返金があれば犯罪ではなくなるとすることがスジですが、それは無理です(万引き犯人があとで盗んだ商品を返還しても窃盗の事実は消えない)。

 そもそもこのような場合に、民法と刑法で判断が異なることは国民としては好ましいことではありません。誤振込みの場合には基本的に民事的な手段で解決をはからざるをえないということになるのではないでしょうか。(了)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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