寺田寅彦忌 「天災は忘れた頃にやって来る」昭和初期から「忘れる前にやって来る」令和へ
寺田虎彦忌
伝説の警告「天災は忘れた頃にやって来る」を言い出したといわれる物理学者で随筆家の寺田寅彦は、明治11年(1878年)11月28日に生まれています。
この年は寅年で、しかもこの日は寅の日でした。
このため、寅彦と名付けられたといわれる寺田寅彦ですが、亡くなったのは57歳になった、昭和10年(1935年)12月31日のことです。
このため、12月31日の大晦日は「寅彦忌」、あるいは、ペンネームの吉村冬彦から「冬彦忌」と呼ばれています。
伝説の警告は著作物として書かれたものではない
「天災は忘れた頃にやって来る」は、寺田寅彦の言葉とされていますが、著書の中にはその文言はありません。
しかし、これに相当する発言が色々と残されています。
例えば、災害が相次いだ昭和9年(1934年)は災害が相次いでいます(表1)。
この年の11月に寺田寅彦が書いた「天災と国防」には、防災対策が進まない原因は、希にしか起こらないので、人間が忘れたころに次の災害がおきるという意味のことを書いています。
災害が忘れる前にやってくる時代
寺田寅彦が「天災は忘れたころにやってくる」といったとされるのは昭和初期のことです。
しかし、近年は、天災に人災が加わった災害が相次いでいます。
寺田寅彦であったら、「災害は忘れる前にやってくる」といったかもしれません。
平成30年(2018年)は、西日本豪雨などの自然災害が相次ぎました(表2)。
そして、平成31年・令和元年(2019年)も、台風15号や台風19号などにより、災害が相次いでいます。
風台風であった台風15号
令和元年(2019年)の台風15号は、9月5日15時に南鳥島近海で発生し、北西進しながら発達し、小笠原近海で強い台風になりました。
その後、台風15号は小笠原近海で向きを北に変え、伊豆諸島に接近した8日21時には、さらに発達して、中心気圧955hpa、最大風速45m/sの非常に強い台風となりました。そして、9日3時前に神奈川県三浦半島を通過し、9日5時前に千葉市付近に上陸しました(図1)。
令和元年(2019年)は、7月に台風6号、8月に台風8号と台風9号が上陸と、すでに平年の上陸数の2.7個を上回っていましたが、台風15号は4個目の上陸台風となりました。
関東地方に上陸した台風としては、過去最強クラスの台風15号により、最大瞬間風速(最大風速)は、千葉市中央区で57.5メートル(35.9メートル)、東京都神津島空港で58.1メートル(43.4メートル)、羽田空港で43.2メートル(32.4メートル)、横浜市中区で41.8メートル(23.4メートル)という、記録的な暴風を観測しました。
暴風により送電線の鉄塔が多数倒壊し、大規模停電が長期にわたりました。
1都6県では一時93万軒が停電しましたが、このうち千葉県では64万軒が停電し、2週間たっても2300軒の停電が復旧しませんでした。
台風15号による被害は、床上浸水や床下浸水といった浸水被害よりも、住家の全半壊、一部損壊被害が圧倒的に多く、典型的な風台風でした。
雨台風であった台風19号
令和元年(2019年)10月6日3時にグアム島のあるマリアナ諸島の東海上で発生した台風19号は、西進しながら発達し、7日18時にはマリアナ諸島において大型で猛烈な台風に発達しました。
1ケ月前の台風15号が関東地方くらいの雲域だったのに対し、台風19号は東日本から北日本を覆うくらいのかなり広い雲域の台風です(図2)。
雲域が広いと台風による雨の時間が長くなり、総降水量が長くなりますので、雨に警戒すべき台風です。
この台風19号は、その後北西に進路を変え、予報通りに日本へ接近しました(図3)。
10月に北上する台風は、日本の南海上の海面水温が真夏より低くなっているため、衰えてから接近することが多いのですが、令和元年は海面水温が平年より高かった為にあまり衰えず、猛烈な台風で接近しました。
台風19号は、12日17時前に静岡県の伊豆半島に上陸しました。
令和元年(2019年)5個目の上陸台風である台風19号は、上陸寸前の台風は非常に強い大型の台風でした。
台風の北側に分厚い雨雲が台風前面の東よりの風によって伊豆半島から関東西部の山地吹き付けられました
このため、神奈川県箱根の12日の降水量922.5ミリは、これまでの日本記録であったの高知県魚梁瀬の851.5ミリ(平成23年7月19日)を上回りました。
台風19号により東海から東北まで広い範囲で大雨となり、11日~13日の降水量は、神奈川県箱根994.5ミリ、埼玉県浦山683.5ミリ、群馬県田代442.5ミリ、宮城県筆甫607.5ミリでした(図4)。
令和元年(2019年)の台風19号により広い範囲で記録的な暴風や大雨となる恐れがあることから、気象庁では10日には東海から関東などの都県に大雨特別警報を出す可能性に言及した情報を発表しました。
また、昭和34年に伊豆半島から関東西部で大雨が降って、伊豆半島を中心に1000名以上が亡くなった狩野川台風に似ているとも発表しました。
これらの情報を受け、首都圏の鉄道各社は12日以降の計画運休に踏み切り、飛行機の欠航等が相次ぎました。
気象庁は、12日15時32分に東京都と群馬、埼玉、神奈川、山梨、長野、静岡の各県に大雨特別警報を発表し、その後も栃木、茨城、福島、宮城、岩手で大雨特別警報の発表が相次ぎ、広域関東圏と東北の13都県ので発表になりました。
平成30年7月豪雨(通称:西日本豪雨)のときの11府県での特別警報を上回り、過去最多の発表となりました。
広域関東圏と東北の太平洋側を中心に河川の氾濫が相次ぎ、加えて、川の水が堤防を越えて外に溢れ出す事態も相次ぎました。
このような「外水氾濫」に加え、市街地に降った雨水が、増水して水位が高くなった本川に流れることができずに地表にあふれ出す「内水氾濫」も各地で発生しました。
人的被害が大きくなる外水氾濫、被害金額が大きくなる内水氾濫が同時におきたのです。
台風19号による被害は、風による被害も大きかったのですが、それ以上に雨による被害が大きく、典型的な雨台風でした。
台風19号の犠牲者のほとんどが60才以上の高齢者であることや、水没した車内で亡くなるという「車中死」という新たな問題が発生しました。
現在の科学的国防軍
寺田寅彦が、戦前の日本帝国陸軍と海軍が絶大なる力を持っていた時代に主張していたことがあります。
災害を避けるためのあらゆる方法や施設は、「科学的研究にその基礎をおかなければならないという根本の第一義を忘却しないようにすることがいちばん肝要」と主張しています。
加えて、防災のためには軍隊のような組織を作り、日々防災のための研究を続け、災害出動の訓練を行って災害に備えるという考えを主張しています。
昭和9年(1934年)の11月に書いた「天災と国防」には、防災のための具体的な施策として科学的国防軍創設の提案があります。
防災のためには軍隊のような組織を作り、日々防災のための研究を続け、災害出動の訓練を行って災害に備えるという考え方は、現在の防衛省や消防庁などの業務の中で実現しています。
年末年始で多くの人が休んでいます。しかし、防衛省や消防庁、気象庁や海上保安庁、地方自治体などの防災担当者は休みなく活動しています。
年末年始も休みなく備えている人々によって、私たちは災害の拡大から守られているのです。
しかし、これだけでは災害は減りません。
各自が、日頃の減災対策をおこなっていることの積み重ねがあって、防災担当者の努力がいきると思います。
減災対策
災害を防ごうとする防災対策をやろうとし、手間と時間とお金がかかりすぎるということであきらめてしまうのが最悪の選択です。
少しでも災害を減らすために、できることの積み重ねが大事です。
災害の程度がワンランク減ること、特に人的被害がワンランク減ることは大きな意味を持ちます。
たとえば、簡易固定であったために地震で家具が倒れてきて下敷きになったとしても、簡易固定しておいたおかげで家具の倒れるスピードが落ちたことで死亡が重傷に、重傷が軽傷に変わったとすれば、どうでしょうか。
地震で家具が倒れて下敷きになったことは同じでも、その後におきることは雲泥の差になります。
図1の出典:気象庁ホームページ。
図2、図3、図4の出典:ウェザーマップ提供。
表1、表2の出典:気象庁ホームページをもとに著者作成。