戦争に関わるあらゆる場に女性がいた 徴兵制を復活させた国の戦争観とは
9月初旬に1週間、スウェーデンの首都、ストックホルムに滞在した。政府系機関スウェーディッシュ・インスティテュートの招待で、同国の民主主義の現状に関するメディア・トリップに参加するためだ。日本、韓国、マレーシア、インドネシア、トルコ、イスラエル、ロシア、ザンビア、南アフリカ、ラトヴィア、11カ国からジャーナリストが集まり、専門家からレクチャーを受けたり、若いビジネスパーソンが集まる会議を取材したりした。
金曜にプログラムが終了し、翌日土曜日を使って3つの博物館を回った。ノーベル博物館、陸軍博物館、国立歴史博物館だ。これらの展示から歴史の暗い面を隠さず事実として伝えようとするスウェーデンという国の戦争観が見えた。記事ではそれを伝えたい。
ノーベル賞の歴史や受賞者の持ち物を展示したノーベル博物館は、開館前から人々が列を作っており人気が伺えた。
ギフトショップでグレタ・トゥーンベリさんの演説集が売られていたため1冊買って、途中、公園のカフェでお昼ご飯を食べながら読んでみた。トゥーンベリさんが一人で座り込みをしていた国会前から近い緑と歴史的建物でいっぱいの美しいエリアだ。
演説集は英語の冊子(ペンギンブックス)で、非常に読みやすい。トゥーンベリさんが行った11本の演説が収められている。彼女が一貫して主張しているのは、気候変動がもたらす将来世代への危機であり、先進国に厳しく環境対応を求めることであり、何より、問題を放置してきた大人世代への怒りだ。彼女自身は新しいことを主張しているわけではなく、科学者が数十年かけて訴えていたことを繰り返しているだけ、と述べる。
Greta Thunberg著”No One Is Too Small To Make Difference”(Penguin)
その後、NYで開かれた国連気候変動サミットで演説したトゥーンベリさんの様子は日本でも繰り返し報じられた。主にインターネット上で書き込まれた批判を見ていると、トゥーンベリさんの主張を読んでいるか疑わしいものが少なくない。反論するなら、せめてとても簡単な英語で書かれているこの演説集を読んでほしい、と思う。
ところでトゥーンベリさんは、昨年の国連気候変動サミットで”Unpopular(不人気)”になることを厭わず、気候変動に関する不都合な真実を語り続ける、と話している。だから、今寄せられているような批判は「想定内」かもしれない。ノーベル博物館が今年9月の時点でギフトショップに、まだ受賞者ではないトゥーンベリさんの演説集を置いているのは、その活動が高い評価を受けていることの表れだろう。
日本の観光ガイド本では扱いが小さい陸軍博物館
そんなことを考えながら、賑わう街を歩いてスウェーデン陸軍博物館を目指した。「地球の歩き方」のようなガイドブックでは、ごくあっさりとした記述しかないが、同国の文化に詳しいスウェーデン人専門家から「一押し」と勧められたので期待していた。
建物の外には様々な大きさの大砲が並んでいる。「陸軍博物館」という名称にぴったりだ。
「初めてですか? それなら、3階からご覧になることをお勧めします」
スタッフが教えてくれた。展示は時代ごとにまとめられており、下のフロアほど現代に近い。一方、お勧めに従って3階へ行くと、展示室の入り口には、こんな写真があった。
穴の中に、たくさんの骨が入っている。どうも人骨のように見える。赤と黒でまとめられたインテリア、照明が絞られて暗くてちょっと怖い。入るとすぐ、歯をむき出しにしてつかみあい、戦うサルの模型があった。人間は人間になる以前、大昔から戦ってきたことを示しているのだろうか。
最も興味深く見たのは、16~20世紀におけるスウェーデンの歴史を振り返った展示群だった。見どころは、歴史年表に記載されている事実の展示と、その時代を生きた一般人の生活をミクロな視点で描いた展示が混在していることだ。
北欧諸国にも戦争の時代があった
1563年から1721年まで、デンマーク‐ノルウェイとスウェーデンはお互いに7回も宣戦布告したという。現在の友好的に見える北欧諸国の様子からは想像がつかない。1667年の油絵に描かれた軍服から、フランスとスウェーデンの緊密な関係を読み説くコーナーや、スウェーデンが鉄・銅で大砲を作って輸出していたことなども記される。
17世紀半ばには、スウェーデン陸軍の高い階級の人たちは貴族となって土地や屋敷を所有し狩猟を楽しみ、有事の際は王のために戦ったという。戦争の多かった100年間を通じて、功績のあった軍人が貴族になったため、貴族の数は450人から2500人に増えたそうだ。
同じ時代を兵士の視点でみると、どうなるか。
例えば1520年から1629年は、スウェーデン拡大の歴史として位置づけられる。それを支えたのは戦場の兵士たちで、彼らは極めて悲惨な状況に置かれていた。例えばある事例で、死者の半分は病死であって戦死ではなく、ペストや感染症で死んでいったこと、けがをしても治療法がアルコール消毒程度しかなく、苦しみながら死んでいったことが記される。
女性も略奪に参加
意外だったのは兵士の家族に関する展示だ。この時代、戦争中に兵士の家族は村で帰りを待つのではなく、一緒に進軍していたそうだ。兵士とその家族はどこかの村に着くと略奪により食料を調達し、残った食料は焼いてしまったという。女性も略奪に参加していたそうで、その様子を示した怖い模型(写真)もあった。村人たちは敵が来たら全てを捨てて逃げるか、敵と交渉するかを選ぶしかない。現代も戦争は悲惨なものだが、人権概念や国際法ができる前はさらに過酷な状況だったのである。
個人の視点も歴史的事実に基づいている。例えばピーター・ハーゲンドーフという人物の日記に基づき、1627年4月3日に進軍中の兵士の生活を再現した模型。そこには2万5000人の兵士が1日に食べる量が記述されている。パン2万5000ポンド、肉7500ポンド、穀物1万5000ポンド、塩350ポンド、バター75ポンド、ビール13.2万パイント。軍隊を維持するために大量の食料が必要であり、それができないと兵士は餓死してしまうことが、素人にも分かるように書かれていた。
記録によれば、日記をつけたハーゲンドーフさんには2回の結婚で10人の子どもがいたが、全員が死亡してしまったそうだ。兵士になった一般人の視点で当時の戦争を見ると「怖い」という感想ばかりが浮かぶ。飢餓と死、苦痛がすぐそこにある生活。王でも貴族でもない人なら、昔に戻りたい、とはとても思えないだろう。
時代が下り現代の展示を見ると、ナチスドイツとの関連で多くのスペースを取ってあった。スウェーデンが第二次世界大戦時に中立主義を通したことが、ナチスの国土通過を許すことにつながった、という反省もあれば、ナチ時代にハンガリーのユダヤ人を数万人、救出したビジネスマンの活躍に関する展示もあった。
戦争における「女性の活躍」は昔からあった
多くの展示に「女性の視点」が入っているのも面白かった。中世に国を守るために戦った女王や王妃、女性の戦場レポーター、アフガニスタンに従軍し情報収集に従事した女性。第二次世界大戦後、ドイツのスパイだったがスウェーデンに亡命した女性、核分裂の研究チームにいた女性など、戦争に関わるあらゆる場に女性がいた/いることを伝えている。
兵士が戦場で使った銃を数丁、数百年前と現代のものを並べて展示しているコーナーもあった。新しいものになるにつれ、殺傷能力が上がることを、木の塊を打ち抜き弾道を見せながら解説している。
私を含めた観光客が陸軍博物館という名称から想起するのは、勇敢な軍隊を描く展示や解説だろう。しかし、スウェーデンの陸軍博物館は、そういうものではなかった。展示内容を見た後は「戦争歴史博物館」という名前の方がぴったりくるような気がした。
併設されたお洒落なカフェで、一休みしつつ重い展示内容を思い返し「活躍」ではなく「被害」に焦点を当てる態度は、不都合から目をそらさない勇気からくるのだろうか、と考えた。実はスウェーデンは、2017年から徴兵制を導入している。2010年にいったんやめたものを再復活し、現在は女性も徴兵の対象である。歴史を振り返ると「1人の人間、一丁の銃、一票」を合言葉に、徴兵制と選挙権をセットで導入する発想があったことも分かる。ここまで戦争の悲惨さを強調してもなお、徴兵の必要がある、と判断せざるをえないところに、理想だけではすまない欧州の現実も伺える。
陸軍博物館を出た後、歩いて向かったスウェーデン国立歴史博物館もまた、国の輝かしい歴史ではなく、その暗い面を正面から見据えていた。”History is Important for Democracy”という国立歴史博物館の入り口近くに書かれた簡潔なメッセージを東京に帰ってきてから、何度も思い出している。
(写真は全て筆者撮影)