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「新・ガザからの報告」(19)(2024年10月11日)ー前編・ジャバリア難民キャンプの惨状―

土井敏邦ジャーナリスト
(壊滅状態の街/撮影・ガザ住民)

【ジャバリア難民キャンプに水と食料がない

(Q・この1週間の動きを教えてください)

 イスラエル軍の中でも非常に強力な部隊、第162師団が5か月間継続してラファで活動していましたが、その活動を停止しました。彼らはラファを去り、別の部隊がラファ市とフィラデルフィー地区に展開しました。

 そして第162師団はラファを去った直後、彼らは休む間もなく移動し、すぐにジャバリア難民キャンプを攻撃しました。現在、この部隊はジャバリアを包囲しています。

 彼らはジャバリアに残っている住民に命令を下しました。難民キャンプからすぐに立ち去り、南のデイルバラ町とハンユニス市へ行くように命じました。すでに、ほとんどのジャバリア難民キャンプの住民は南部に移動してしまっていますが、残っている住民もいます。そこでは、第162部隊とハマスやイスラム聖戦の戦闘員との間で衝突が起こっています。

 現時点で、この衝突で4人のイスラエル軍兵士が死亡したと発表されています。その一方で、ハマスとイスラム聖戦の数十人の戦闘員がこの衝突で死亡しました。

 ジャバリア難民キャンプの住民は、非常にひどい人道状況に苦しんでいます。彼らは叫んでいます。「食料も水もない」と。

 イスラエル軍の狙撃兵はキャンプ内で動く者を誰でも狙っています。誰も移動することは許されず、誰もドアを開けて外に出ることは許されていません。動くものはすべて狙撃兵やイスラエルの戦車に狙われています。

 私たちは今後数日間の動きを見守っています。ジャバリア難民キャンプ内でイスラエル軍のこの部隊が大規模な作戦を行うことが予想されます。キャンプ内に進入し、キャンプ内のハマスやイスラム聖戦を一掃しようとするのではないかと。

 この第162師団には、特別な点があります。この師団が町や難民キャンプや都市を攻撃する任務を負うと、その任務には非常に長い時間を滞在します。例えば、彼らはハンユニス市で約4ヵ月半活動しました。そこでの任務を終えた後、ラファ市では5ヵ月間も活動していました。ですから、ジャバリアでの任務にどれだけの期間がかかるのかはわかりませんが、かなり長い期間かかると思います。彼らはジャバリア難民キャンプ全体を破壊し、残っているインフラやハマスのトンネルを解体するつもりです。ジャバリアでの作戦は、以前にハンユニスやラファで起きたのと同様に、長い時間を要するだろうと予測しています。

 この第162師団には、パレスチナ人にはとてもよく知られたギヴァティ旅団が含まれています。ギヴァティ旅団は非常に有名な旅団で、ガザの人々は、第1次インティファーダ、第2次インティファーダ以来、この旅団に馴染みがあります。紫色の帽子をかぶった兵士たちで、第162師団の旅団の1つです。非常に強力な部隊です。ですから、ジャバリア難民キャンプで非常に激しい大規模な作戦が展開されることになると思います。

 現在、保健省の推定によると、ジャバリアでは数十人が死亡しています。ジャバリアで殺された人びとは、病院に運ぶためにキャンプの外に連れ出されることも、ジャバリア墓地に運ぶこともできません。だから、ほとんどの人は家の中、通り、道路脇、空き地、庭などに遺体を埋められています。ジャバリア難民キャンプの墓地に埋められているわけではないのです。

(街の破壊/撮影・ガザ住民)
(街の破壊/撮影・ガザ住民)

 【なぜジャバリア難民キャンプは壊滅されないのか】

(Q・ジャバリア難民キャンプは何度も攻撃され、ほとんど壊滅状態のはずです。だから、1年経った今でもイスラエルがジャバリアを攻撃しているのは、私にとってとても奇妙に思えます。私は、ジャバリアの住民のほとんどはすでに避難したと思っていました。なぜ今、また繰り返しイスラエルがジャバリアを攻撃するのでしょうか?)

 答えは、ガザ地区北部の地図を見れば分かると思います。ジャバリア難民キャンプは、その周辺から簡単に切り離すことはできません。ガザが外に地域と繋がっていることはご存知でしょう。ジャバリアは南でガザ市と繋がっていて、ガザ市に隣接しています。

 北にはベイトラヒヤ町、ベイトハヌン町と繋がっています。ジャバリアは周辺の市や街と繋がっていて、切り離すことはできません。

 一方、ラファ市やハンユニス市は周囲から分離できます。なぜなら、ハンユニスとラファの間、ハンユニスとデイルバラの間には、以前イスラエルの入植地があったからです。2005年、イスラエルはそれらの入植地を撤退しました。現在、パレスチナ人は、それらの開けた地域内に多くの建物や建設物を建てていません。

 ですから、現在、ハンユニス市とラファ市の間、ハンユニス市とデイルバラ町の間には広大な空き地があります。だからそれらの都市を簡単に包囲したり、封鎖したりすることができます。

 しかし、ジャバリア難民キャンプは完全に周囲と繋がっています。

ジャバリアとガザ市北部の地区を切り離すことはできません。ガザ市北部に位置するこれらの地区はすべて、ジャバリアとつながっています。周辺地域、特にガザ市北部と非常に密接につながっているのです。

だから、この戦争中のジャバリアに対するこれまでの戦闘では、イスラエ軍は常に、キャンプの周辺からやって来てイスラエルの戦車と戦うハマスなどの新たな戦闘員の集団と対峙していました。

なぜなら、それらの戦闘員はガザ市の北部地区、特にタファとシェイフ・ラドワンの周辺地域からやって来るからです。ですから、ジャバリア難民キャンを包囲することは不可能です。

(Q・ジャバリア難民キャンプの住民たちはどうなっているのでしょうか?私は、ジャバリアのほとんどの住民はすでに南のデイルバラ町やハヌユニス市、ラファに避難したと考えていました。住民はまだ難民キャンプ内に留まっているのでしょうか?)

 推定によるとジャバリアやガザ北部に留まっているのは、少数派です。大多数の人びとはすでに南へ移動しているからです。

 イスラエル政府によると、ガザ北部には20万人しか残っていないと言っています。一方、国連などの国際機関の数字によると、40万人だと言っています。国際機関の数字の高い方を採用すると、ガザ北部には40万人が残っているということになります。この戦争が始まる前、ガザ北部の人口は約150万人だったということです。ガザ市とその周辺には100万人が住んでおり、北部のジャバリアとその周辺の町には約50万人が住んでいました。ですから、今残っているのは40万人ほどで、ほぼ75%の人々がすでに南部に移住し、残りは25%ほどです。

(Q・しかし、あなたは以前、イスラエル軍が食料や水などを積んだトラックが北部に入るのを妨害していると私に話していましたね。そして、住民は餓死寸前だと私に報告しました。40万人の人びとが、食料や水、生活必需品などの供給なしで生き延びることができるのでしょうか?私にはとても奇妙に思えますが)

 ガザ北部と南部での食料や生活必需品の状況を説明します。私たちは2つの相反する話を聞いているからです。

 北部では、数週間も前から、国境から何も入ってきていません。食料も、薬も、何も入っていないんです。今、北部に残っている人びとは、家の中にあるものを消費しています。彼らは店や市場に残っているものを食べています。彼らは非常に限られた量の野菜を食べています。ベトラヒヤなどガザ北部の一部は、農園や農場のある地域です。彼らは限られていますが、農業を行っています。最近、オリーブの収穫期を迎えています。彼らはそういった方法で食料を確保しようとしています。

 しかし数週間という期間、ガザ地区北部にはトラックが1台も入っていません。イスラエルは住民を北部から南部に移動させるために圧力をかけている。そのために食料難を利用しています。

(ガザの地図/作成・土井敏邦)
(ガザの地図/作成・土井敏邦)

【イスラエル軍の厳しい検問】

(Q・しかし、人びとは南部に移動したくても、ネツァリーム回廊を通過するのが難しいとあなたは言いましたよね。人びとはどのように移動できるのですか?イスラエル軍は住民が北部の外に出るよう強制している。しかし、彼らはどのように移動できるのか?矛盾していませんか?)

 いいえ。イスラエル軍は北部の住民が南部に移動することを歓迎しています。北部を去るのであれば、ネツァリーム回廊を通過することが許可されています。

 しかしそれは幹線道路であるサラハディーン通りだけです。もう1つの道路、アル・ラシード通りと呼ばれる海岸道路を通過することはできません。戦争の初期には、イスラエル軍は北部から2つの経路で人々の退避を許可していましたが、今はサラハディーン通りだけです。

 今回、イスラエル軍報道官はSNSやビラを通じて、ジャバリアなど北部から立ち去りたい場合はネツァリーム回廊までサラハディン通りを通過することは許可されていると発表しました。つまり、ネツァリーム回廊まで来れば、そこから南に向かうために回廊を横断することが許可される。しかし、海岸道路に行けば、敵として狙われることになります。

(Q・ガザ北部では物資が一切供給されず、生活が困難な状況にもかかわらず、なぜ人びとはそこに留まりたいと思うのだろうか?生き残るのは非常に難しいと思れるジャバリア地区になぜ留まりたいのでしょうか?)

 一部の人々はジャバリア難民キャンプに留まり、キャンプ内で死ぬことを望んでいます。彼らは南部にいる親戚から話を聞いているからです。南部での生活の話をです。南部での生活はそれほど良くないという話を聞いているのです。「南部では、食料や水の危機が依然として続いていて、犯罪率が非常に高い」といった話です。だから人びとは悲観的になっています。南部へ移住するくらいなら死んだ方がましだと考えています。北部でも南部でも状況は悪いと信じているからです。

 南部への移住を拒否する人々も大勢います。安全上の理由からです。彼らはハマスなどの戦闘員の家族や親戚です。彼らにとってネツァリーム回廊を通るのは容易なことではありません。

 何もなく戦車の前を通過することは許されず、調査・質問を受けなければなりません。「名前は?」「どこに住んでいるのか?」「こんな人物を知っているか?」・・・

 イスラエル軍は、ニザリム回廊を通過する人びとに対して調査を行っています。そして抵抗勢力やハマス、イスラム聖戦の戦闘員と何らかの関係があることが判明した場合には、その人びとを捕らえ、逮捕します。ネツァリーム回廊を通過することは許可されています。しかし、もしあなたがハマスなどと何らかの関係を持っている場合、ネツァリーム回廊を通過するのは難しいでしょう。(続く)

ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

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