Yahoo!ニュース

だからダービーマッチは面白い。サッカー王国顔負けのエピソードに満ちた「大阪ダービー」の歴史とは

下薗昌記記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家
「大阪」の名を賭けてサポーターも選手もテンションがあがるのが大阪ダービー(写真:アフロスポーツ)

 サッカー王国ブラジルで、サポーターを一際ヒートアップさせるのがポルトガル語で「デルビ」と呼ばれるダービーマッチ。100年を超える対戦の歴史を持つチームは珍しくないが、日本では想像もつかないエピソードがその長い歴史に刻み込まれてきた。

 そして日本のサッカー界が誇るダービーが「大阪ダービー」。現在、J1で唯一同じ都市名をクラブ名に掲げてぶつかり合うガンバ大阪とセレッソ大阪も、王国顔負けの因縁を持っている。4月23日にルヴァンカップのグループステージで大阪の両雄は、今季2度目の顔合わせをする。

大阪ダービーは日本の「フラメンゴ対フルミネンセ」?

 日本の実に23倍に相当する国土面積を持つブラジルには、有力なサッカー勢力地が存在する。リオデジャネイロやサンパウロ、ポルト・アレグレはワールドカップブラジル大会の開催地でもあったことから日本でもお馴染みだろうが、ブラジルの国民的劇作家、ネウソン・ロドリゲスが「最も魅力的なダービー」と称したのがフラメンゴとフルミネンセによるリオデジャネイロのダービー、通称「フラ・フル」である。

 日本でもよく知られた両クラブではあるが、両者の顔合わせは「近親憎悪」に似た熱気を帯びる。

 ブラジルではまだ富裕層の子弟がサッカーに興じた1902年、裕福な白人が設立したフルミネンセだが、1911年、監督の起用法に異議を唱えたフルミネンセの選手9人がチームを離脱。駆け込んだ先は、1895年にレガッタのクラブとして創設されていたフラメンゴだった。フルミネンセの離脱者が、フラメンゴにサッカー部門を作ったのである。

 「スタジアムの神と悪魔」という名著を残したウルグアイ人ジャーナリストのエドゥアルド・ガレアーノは「フラ・フル」をこう記している。

 「フラ・フルは反逆の息子と見捨てられた父の関係性を持つ」

 こうしたネガティブな要因ではないものの、ガンバ大阪とセレッソ大阪も似たエピソードを持つ。

 セレッソ大阪の前身は言わずと知れた名門ヤンマーディーゼル。奇しくものちにガンバ大阪の初代監督となる釜本邦茂氏が大エースとして君臨したヤンマーのBチームだったのがヤンマークラブで、その消滅に伴って当時監督だった水口洋次氏(4月10日に逝去)らが中心となって立ち上げたのが松下電器産業サッカー部、のちのガンバ大阪である。

 釜本監督が率いた当時は低迷し続けたガンバ大阪は、その後「育成のガンバ」として優れた下部組織を築き上げ、数多くの日本代表選手を輩出してきたが、その礎となったのが上野山信行氏。上野山氏もまた現役時代はヤンマーディーゼルでプレーしたセンターバックだった。

ダービーは「Vencer ou vencer(勝つか、勝つか)」

 ブラジルではダービーなど大一番を前に選手やサポーターがしばしば口にする言葉が「Vencer ou vencer(勝つか、勝つか)」。日本では「勝つか、負けるか」と表現されることが多いが、ブラジルにおいてダービーに「負け」という選択肢はないのである。

 フラメンゴとフルミネンセの顔合わせは過去、438回実現しているが、勝負にこだわるが故のエピソードで知られるのが1941年のリオデジャネイロ州選手権の決勝の一幕。「ラゴア(ポルトガル語で湖)のフラ・フル」である。

 試合は湖に隣接したフラメンゴのスタジアムで行われたが、リードしていたフルミネンセの選手たちは、わざとボールを湖に蹴り込んで時間を稼ぐ。もちろん、フラメンゴ側も負けてはいない。元々はレガッタクラブである強みを生かして、レガッタで素早くボールを回収。ピッチに投げ返す、フルミネンセ側が再び蹴り込むという繰り返しで、結局フルミネンセは優勝を手にするのだ。

 ガンバ大阪でも過去、数多くのブラジル人がダービーを戦ってきたが、その多くが「Vencer ou vencer」「Só o resultado vale(結果だけがモノを言う)」と試合前に口にしていたものだ。

 その時々の勝者や試合展開こそ異なる大阪ダービーではあるが、唯一共通するのは過去、一度もスコアレスドローがないということ。必ずゴールが生まれているのはやはり、両チームの勝利に対する執念の表れと言えるはずだ。

タイトルをめぐる数々の因縁も大阪ダービーのスパイスに

 ブラジルのみならず、世界で最も観客を集めたダービーとしてギネスブックが認めた「フラ・フル」。1963年には実に194603人の観客がマラカナンスタジアムに集った記録が残されているが、ブラジルで最もライバル関係が激しいと言われるのがグレミオとインテルナシオナウによるダービー、通称「グレ・ナウ」だ。

 ドイツ系移民が多いブラジル南部のポルト・アレグレだが、グレミオはドイツ系の移民のために作られたクラブ。一方のインテルナシオナウはその綴り「Internacional」を見ても分かるように、英語でいう「インターナシオナル」の意。グレミオとは対照的に、人種的に開かれたクラブとして創設されたのだ。

 グレミオが1983年、南米王者としてトヨタカップを制し、世界一になった一方で国内タイトルしか手にしていなかったインテルナシオナウに対して、グレミオサポーターは「お前らはインテルナシオナウ(国際的)ではなく、レジオナウ(地域的)だ」と揶揄し続けたものだが、2006年にインテルナシオナウがクラブワールドカップで世界王者に輝くと、そんな揶揄はもはや聞こえなくなった。

サポーターにとっても絶対に勝ちたい一戦がダービー
サポーターにとっても絶対に勝ちたい一戦がダービー写真:アフロスポーツ

もはやセレッソ大阪側に「無冠」のコンプレックスはない
もはやセレッソ大阪側に「無冠」のコンプレックスはない写真:アフロスポーツ

 タイトルをめぐる奇遇な因縁も大阪ダービーの特徴である。ガンバ大阪がクラブ史上初のタイトルを手にした2005年12月3日のJ1リーグ最終節、後半40分の時点で首位に立っていたセレッソ大阪は、悲願の初タイトルに片手をかけていたはずだった。しかし後半44分に痛恨の同点ゴールを喫し、2対2のドローに。「長居の悲劇」のほぼ同時刻、後半40分の時点で2位だったガンバ大阪は川崎フロンターレに4対2で勝ち切り、劇的な逆転優勝を飾った。

 余談だが、セレッソ大阪の夢を打ち砕いたFC東京(当時)の今野泰幸が2012年にガンバ大阪に移籍するのも何かの因縁である。

 初戴冠後、当時の西野朗監督のもとで最初の黄金期を築き上げたガンバ大阪だが、2010年に万博記念競技場で行われた大阪ダービーでは試合前にゴール裏に「What you got(お前らは何を獲ったの)?」と挑発のメッセージが掲げられたが、やがてセレッソ大阪の無冠時代もピリオドを迎える。

 2017年10月8日のルヴァンカップ準決勝セカンドレグ。引き分けでも決勝進出が決まるガンバ大阪は1対1のまま後半のアディショナルタイムに突入したが、まさに土壇場で木本恭生が決勝ゴールを奪い、セレッソ大阪が決勝進出。ガンバ大阪にとっては「パナスタの悲劇」だったが、セレッソ大阪にとっては「パナスタの歓喜」。そして続く決勝では、川崎フロンターレを下してタイトルホルダーの仲間入りを果たすのだ。

最近は「南高北低」。セレッソ大阪の盛り返しで真のダービーに

 筆者の個人的な見解だが、やはり成績が拮抗してこそのダービーだと考える。

フラメンゴ 159勝 フルミネンセ 138勝 引き分け 141

フラメンゴ 133勝 ヴァスコ・ダ・ガマ 104勝 引き分け 103

サンパウロ 92勝 コリンチャンス 107勝 引き分け 97

サンパウロ 104勝 パルメイラス 99勝  引き分け 93

パルメイラス 115勝 コリンチャンス 108勝 引き分け 96

グレミオ 139勝 インテルナシオナウ 160勝 引き分け 138

アトレチコ・ミネイロ 149勝 クルゼイロ 126勝 引き分け 104

 ブラジルの主だったダービーは100年以上の歴史を持つカードも多く、やはりその成績は拮抗したものが多いが、大阪ダービーは長らくガンバ大阪が優位な時代が続いてきた。

 公式戦の戦歴を見るとガンバ大阪が27勝10分18敗と優位だが、近年は「南高北低」の構図が続いている。

 J1リーグでは直近の5試合でセレッソ大阪が3勝2分。ルヴァンカップでも直近の4試合はセレッソ大阪が2勝1分1敗で優位に立つ。

 そして「アイツらだけには負けるな」と互いに育成年代から教えられてきた選手たちがぶつかり合ってきたガンバ大阪U-23とセレッソ大阪U-23の対戦成績は、5シーズンで3勝4分3敗と全くの五分に終わっている。

 「弟分」にとって最後の大阪ダービーとなった2020年10月25日のJ3リーグは1対1の引き分けに終わったが、この試合では今売り出し中のセレッソ大阪の北野颯太が、クラブ史上最年少の16歳2カ月12日で公式戦デビュー。そして前年にJ3の大阪ダービーで15歳10カ月29日にしてJリーグデビューを飾っていたガンバ大阪の中村仁郎は北野のデビュー戦をベンチで見つめたが試合後「若い選手が出てきたので、僕も危機感はあります」とライバル心を隠さなかった。

 これからも、年に何度か「大阪」の名を賭けて意地とプライドをぶつけ合うガンバ大阪とセレッソ大阪。大阪ダービーはこれからも様々な喜怒哀楽を、その歴史に刻んでいく。

記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家

1971年、大阪市生まれ。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)でポルトガル語を学ぶ。朝日新聞記者を経て、2002年にブラジルに移住し、永住権を取得。南米各国でワールドカップやコパ・リベルタドーレスなど700試合以上を取材。2005年からはガンバ大阪を追いつつ、ブラジルにも足を運ぶ。著書に「ジャポネス・ガランチードー日系ブラジル人、王国での闘い」(サッカー小僧新書)などがあり、「ラストピース』(KADAKAWA)は2015年のサッカー本大賞で大賞と読者賞。近著は「反骨心――ガンバ大阪の育成哲学――」(三栄書房)。日本テレビではコパ・リベルタドーレスの解説やクラブW杯の取材コーディネートも担当。

下薗昌記の最近の記事