シリーズ・生きとし生けるものたちと 當間早志監督 ライブ映画 『一生売れない心の準備はできてるか』
映像ドキュメンタリー作家の人々にインタビューをしていこうと思う。とくに、時代の流れとともに消え行く、可視化されにくい人々の営為に目を向けている作家たちだ。人間以外の動植物たちの命とも、密接なつながりを持つことにより、先達たちは生きてきた。そこには近代的価値や視点からすれば看過できないものも含まれているだろうが、原初の私たちの姿をあらわしているともいえ、「魂」とは、「人間」とは何かを考えさせる複雑な要素がつまっていると思う。映像業界ではどちらかというと「周縁的」なポジションに位置する作家たちへのインタビュー通じて、ぼくは多くの気付きをもらうことができると考えた。
第4回目は、沖縄県在住のシンガーソングライター奈須重樹さんのライブを撮った「一生売れない心の準備はできてるか」を制作した當間早志(とうま はやし)監督に話をうかがった。
■オムニバス映画『パイナップルツアーズ』■
藤井 當間さんのことを初めて知ったのは30年も前の『パイナップルツアーズ』という映画です。沖縄の離島を舞台にしたどたばた人情劇とでもいいましょうか、オムニバススタイルで中江裕司さんと、真喜屋力さん、そして當間早志さんでつくった。三人とも琉球大学の映画研究会に先輩・後輩関係なんですよね。監督経験なし。30年ぶりにこのたびデジタルリマスター版が出て観ました。30年前、ぼくが沖縄にハマったざわざわした感覚や、映画の展開のスピード感を思い出しました。当時の感覚に引き戻されたというか。そのあとに東京での「イメージフォ―ラム」でプロデューサーの代島治彦さんと上映後トークをさせていただきましたが、代島さんは自宅を抵当に入れて資金を捻出して映画小僧の素人たちに撮らせるなんてすごいなと。家は手放さずに済んだって笑ってましたが。
當間 僕と真喜屋が入った頃の琉大映研は活動が盛んな時期で、僕は誰もが避けたがる「録音」をよく担当させられたこともあって、最初の1年間で数分の短編から2時間を超える長編まで10本以上の映画製作(8ミリフィルム)に関わりました。入部時、中江はすでにOBでしたが、自ら社会人中心の映画サークルを立ち上げていたので、僕と真喜屋、そして3つ年上の先輩・内村さんは琉大映研とその外部の映画サークルの両方で活動を行い、映画製作の他にも評論や上映会など、映画に関する活動は何でもやっているという感じでした。
在学中の1988年、前出の4人が中心となって僕の監督作『はれ日和』(115分)を製作することになりました。それまでの活動が単なる大学のサークル活動に収まることなく社会に出て派手だったこともあり、沖縄の映画興行会社「琉映貿」の協力も得ることができて、8ミリフィルム映画なのに、一般映画のように撮影前から上映日も劇場も決まっていて、クリスマス映画で盛り上がる12月後半に【桜坂シネコン琉映・名画座ロキシー】(現【桜坂劇場】ホールB)で1週間の興行を行いました。諸々の支出を引いても40万円ほどの儲けが出たので、大成功だったと思います。あらゆるメディアに取り上げられて、出演者の中から3名がラジオのパーソナリティとしてスカウトされて彼らの名前の冠番組もできましたし、新聞に演劇の演出家から批判の記事が寄稿されるぐらい注目を浴びました(笑)その2年後、代島さんが映画『老人と海』の宣伝プロデューサとして来沖した際、僕と真喜屋がその手伝いのバイトをして彼と知り合いました。映画のチラシ・ポスターの配布はもちろん、写真展開催や写真集販売、サバニを糸満から運んで展示することもあって、かなりの期間、代島さんとつき合うことになって仲良くなりました。ある日の打ち上げの場で、代島さんから大学卒業したらどうするの?と聞かれたので、2人とも映画を作りたいと思っていますと返答したところ、「じゃあ僕も手伝うよ」と答えました。代島さんはおそらく軽いノリで答えたと思いますが、僕はすかさず飲み会の席をはずし、外の公衆電話から当時東京にいた中江に電話して、代島さんが映画に協力するらしいから彼が帰京したらつかまえて逃さないでと報告しました。その後の詳細は代島さんに聞けば分かると思いますが、『はれ日和』の成功が僕らの信用度を高めたと思います。ちなみに当初は内村さんも含めて4人で監督する予定でしたが、脚本会議の段階で彼は自ら監督をおり、制作スタッフに回ることになりました。
映画『一生売れない心の準備はできてるか』より
藤井 なるほどそういう経緯だったんですね。で、今度の『一生売れない心の準備はできてるか』。沖縄在住のシンガーソングライターの奈須重樹さんのバンド結成25周年ライブを記録したドキュメンタリーです。 彼は県外出身で、當間さんよりちょっと年長なんだけど、「パイナップルツアーズ」の當間さんの撮影助手をされていたんですね。
當間 僕のパートだけでなく、映画全体の撮影助手です。撮影は撮影監督と撮影助手2人の3人体制で、奈須さんは撮影助手の2番手ということで「セカンド」と呼ばれる立場でした。フィルムの交換や管理が主な仕事だったと思います。撮影監督と「ファースト」はドキュメンタリー映画を手がけてきたプロですが、「セカンド」は沖縄在住のある程度撮影に詳しい人を使おうということで、当時カメラマンを生業としていた奈須さんに声をかけました。
藤井 ぼくはコロナ禍のとき、奈須さんが那覇の「のれん街」(旧・三越)で流しの弾き語りをやっているところに一度だけ遭遇したことがあるんです。ぼくが30代の頃だったと思いますが、「伝説の流しの弾き語り」について東京の新宿ゴールデン街で取材したことがあったのですが、テレビ局のレポーターとして行ったせいか、途中で法外なギャラを請求され、頓挫した経験があります。だから、アレルギーがあったのですが、(笑) たまたま奈須さんの知り合いと飲んでいたので、「一生売れない心の準備はできてるか」をリクリストしたんです。それがオリジナル曲なんだと、映画を観てあらためて思いました。映画を観て、映画のタイトルにもなっている、あの歌のタイトルの響きか何かが、妙に自分の中でマッチしたんですよね。當間さんが撮ろうと思ったきっかけから聞かせてもらえませんか?
■「一生売れない心の準備はできてるか」って言葉が妙に「刺さる」■
當間 奈須さんが組んでいる「やちむん」というバンドは1991年結成で、僕が大学時代に、彼がバンドを始める前から知り合いなんです。『パイナップルツアーズ』の前から。「そういえば、奈須さん、カメラをやっていたでしょう? やる?」という感じで呼んだんですけれども。僕が知り合ったときは、もう奈須さんは琉球大学を卒業していて、タウン誌の『おきなわJOHO』とかでカメラマン兼ライターやってたと思います。
そういう古い付き合いということもあって、最初に「やちむん」の単独ライブをやったときのプロデュースも僕がやりました。普通にステージで演奏するだけではなく、映像をスクリーンに映すような演出もほどこした内容です。録画なのに生中継のような演出をした映像も作って、それは「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の沖縄特集プログラムでも上映されました。その後も同様のライブ・プロデュースを何回かやって、彼らが軌道に乗ってあとは、たまに記録映像を撮ったり、PVを作ったりするような関係でした。「やちむん」結成20周年記念のときに、久しぶりにプロデュースをしてほしいという話が来て、それで20周年を今回の映画の舞台である首里劇場でやったんです。それが2011年で、興行的に成功したので、5年ごとの区切りのいい年に首里劇場でやろうということで、結成25周年になる2016年にも記念ライブを首里劇場でやりました。このときはゲスト出演者も多く美術や照明も頑張って、普段は寂しい首里劇場も華やかになり、前回より大盛況でした。そして結成30周年にあたる2021年もやるつもりでまた5年間、過ごしてきましたが、新型コロナ禍というのもあって、ちょっといろいろと無理だなあというのがあり、25周年のときの映像を使って映画を作ったんです。
藤井 そうか。映画にはインタビューが挟み込まれているんだけど、ライブ映像のときは比べて妙に白髪が目立つなあと思っていたんですが、インタビューは最近撮ったんですね。あれは2016年のときの首里劇場のライブなんですね。
當間 当初はこんな映画みたいにするつもりはなくて。過去にやちむんのDVDを2枚作ったことがあるんですが、意外とこれが僕の仕事としては儲かる方なんですよ(笑) しかもそれらのDVDのお陰で映画の話が2本来たり、DVDの撮影で使った手法をCMでも採用したこともありました。それらのDVDには、ミュージック・クリップやショート・ムービーなどを収録したのですが、1曲分の演奏を各地のライブ映像をツギハギで繋いで見せるという手法の映像もあって、2016年の首里劇場のときのライブも何となく撮影していて、こういう何かソフト化のときに使えたらいいなと思っていたんです。
10年近く前から「やちむん」ライブは、奈須さん1人だけか、多くても4〜5人ぐらいの「やちむん刺激茄子」というユニットを組んで演奏するんですが、この日はゲスト・ミュージシャンの多いビッグ・バンドのライブだったので、その派手な状況にピッタリな『一生売れない心の準備はできてるか』の1曲だけでも複数のカメラでしっかりと映像で記録したいと思って、知り合いのカメラマン2人に、入場料をただにするから、その1曲だけ回していただけないかと、『一生売れない~』だけ。そうしたら、なぜか、この2人とも、別の演奏曲もほとんどカメラで撮ってたんです。ところがちゃんとお願いしていなかったこともあって、他の曲はわりと自由に撮っていて、ポジションが被ったり、色調整やコマ数などの細かい設定がまちまちだったり、客席ばかりしか撮ってなかったり、曲の途中で撮影を止めたりもするし(笑) 僕もカメラを回していましたが、先ほども言った通り、『一生売れない〜』以外はツギハギで使うつもりだったので、撮影に緊張感がなくて。あと、ライブの運営スタッフでもあったので、プロジェクターの操作やその他の諸々の仕事で撮影から外れないといけないときもあって。映像素材として充分にそろっているという感じではなかったですね。
本当にしっかりとしていた1本の映画にするつもりだったら、前もって配置をきちんと考えて、カメラマンにここからこういうふうに撮ってくさいというふうに伝えますし、音もPAさんにお願いして、きちんと録音してもらうはずなんですが、その録音データもなくて。たまたま何かの役に立つだろうと思って、三脚にPCレコーダーみたいものを付けて2階席に無人のまま置いて録ったモノのがどうにか使えたんです(笑)
藤井 その『一生売れない~』だけを撮る予定だったんですね。いくつかの偶然が重なって結果的に一本の作品になったというわけですね。
當間 何らかの形にしたいとは思っていたんです。PVのインサートに使うとか、DVDにするときの映像とか、YouTubeにアップするとか。奈須さんから頼まれてやったわけではなくて、何かに使えるだろうと思って具体的な目的なしにライブの映像を撮ることはよくあるんです。あの曲自体が、「売れない」ということが前提にある曲じゃないですか(笑) それがちょっと豪華なかたちで大勢のミュージシャンをバックに演奏をしている姿がその曲にはピッタリだなと思ったんです。
だから、それだけを撮るつもりだったのがたまたまほかのライブの曲も撮ってくれていたので、映像をチェックしながら、やちむん結成30周年はそのライブの映像と、また新たに撮影したのをBlu-rayかDVDのソフトにして、30周年記念として売ろうかと。編集し始めたときに、これは映画にして大画面で見てもらった方がいいのではと思って、それで途中から、音楽映画にシフトしたんです。
ライブを映画にすることはよくありますよね。有名なのが『ラスト・ワルツ』とか、『ウッドストック』とか、コンサートがそのまま映画になった。最近では『アメリカン・ユートピア』がありますね。そういえば、その映画と同じデヴィット・バーンが出ている『ストップ・メイキング・センス』というライブ映画もあって僕は未見なんですが、先日『一生売れない心の準備はできてるか』を見た知らない人がSNSに<『ストップ・メイキング・センス』を超えた>と誉めている投稿を見つけて、嬉しくなりました。ただ、「やちむん」の場合は、ファンはもちろんいるんですが、有名なミュージシャンでもないんで、ライブを見せるだけではなく、この作品で「やちむん」とか、奈須さんというミュージシャンがいることを知ってほしいという入門的なつくりにしたほうがいいかなと思ったんですよ。
彼の歌詞はすごくいいと思うので、全曲、歌詞に字幕を付けました。「やちむん」とか奈須さんを知らない人でも、初めてあの映画を見て、少しでもファンが増えればいいなという思いで作っています。奈須さんのこれまでの活動してきた映像や曲作りしている姿などを見せる方法もありますが、そうなると、首里劇場ライブはお飾り程度で別の映画になっちゃいますから止めました。奈須さんの歌に、彼の感性や思いなどがエッセイのようににじみ出ていると思うので、あとは2016年の首里劇場ライブを楽しんで頂くという感じで充分でしょう。
藤井『ストップ・メイキング・センス』のDVD、持ってます。仕事部屋でBGMがわりに流しているぐらい好きです。たしかにそこに共振する人はいると思います。ところで、ぼくは奈須さんの歌は、僕はちゃんと聴いたことはなかったんだけれども、何か歌詞は比喩っぽいことをしないで、何かストレートですね。分かりやすいというか。だけど、ありきたりな文句じゃない。當間さん自身が、奈須さん個人的なファンだったということがまずあるわけですね。
當間 奈須さんのファンというよりも彼の作る曲は好きですね(笑) 人としては、自分にマネできないことで感心することもあれば、それはダメでしょとツッコミ入れたくなるときもあります。いっしょに活動することがあるのは腐れ縁です(笑) あと、彼の書く歌詞は比喩も多いですよ。今回のライブで披露した曲ではあまりなかったかもしれませんが。
映画「一生売れない心の準備はできてるか」より
■これと言って売れないまま老いていくことへ抵抗するしたたかな生命力■
藤井 内地から琉大へ入ってそのまま沖縄に住んでいる、かなり言い方が失礼ですが、ある意味ではさえないというか、決して何かあんまり運が良さそうにも見えないし、還暦が近くても続けている人を記録して撮ろうというモチベーションというのは何だったんですか?
當間 僕と古い付き合いというのもあるんですけれども、僕と真逆の性格というか、僕は割と慎重派なんですけれども、奈須さんはどちらかといえばカルいというか、もう常にポジティブ。お客さんが入らないライブでも、それが笑い話のネタになるというふうに考えるような人で、この映画のインタビューの端々にもそういうキャラが出ているとは思うんですけれども、常に前向きなんです。僕の慎重派に対して、彼は軽佻派ですね(笑)
そのしたたかさというか、能天気さというか、前向きさは自分に足りないもので欲しい部分もあるなと、ある種の憧れというか、そういう部分もあって、そういった自分とはまたちょっと違う生き方をする人の魅力は映像とかで記録として残したいですよね。(笑)
実際、彼がつくっている曲はいい曲がいっぱいあるんで、少しでも売れてほしいというか。僕はいいと思っているのに売れていないというのは、何か自分のセンスも否定されている気がして・・・。(笑)
藤井 僕も映画を観て近い気持ちになったのかもしれない。僕も皆同世代で、どかーんといかない、僕自身もライターとして一応食べられてはいるけれども、當間さんも食べられてはいるけれども、ブレイクはしない。(笑)
當間 してない。(笑)
藤井 鳴かず飛ばずじゃないけれども、細く長く喰えてきたという自負みたいなものはあるので、だから余計こう何か自分と重ねちゃうところがあったんです。何かそういう邪心みたいなものを持つことがダメなんだとか、いったい「売れる」って幻想じゃないか、とかモヤモヤがわいてきたんです。(笑)奈須さんって、スゴイいなあと。
當間 特に『一生売れない~』の曲とかは、「交ぜろ〜!若人よ交ぜろ〜!おじさんを交ぜろ〜!」とか「キミも醜く〜!あがき続けろ〜!」と激しく歌うところに、カッコ悪くてもいいから、これと言って売れないまま老いていくことへ抵抗するしたたかな生命力があって、勇気をもらえるというか(笑)
藤井 たぶん若い子が見ると、何かおじさんの諦めの歌みたいなふうに聴こえるんじゃないかと思うんですよ(笑)。だけど、ある程度長い間やってくると、30年ぐらい続けていると、続けていること自体に意味が出てくるし、こういう生き方もいいじゃん、こういうのこそ大事だ、みたいなふうに思えてきちゃう。それはぼくらの年齢のせいなのかな?
當間 若い人にはピンと来ないかもしれないですが、やっぱり20代後半とか30代ぐらいになって、創作的な何か仕事とか、それ以外の仕事でもいいんですけど、一生懸命やってきて、それでも自分の理想の社会人としてうまくいっていないと強く感じているような人は響くんじゃないですかね。何か理想の、自分の本当に若いときの目指したものと今の自分は違うなとか。
藤井 人間の9割9分はそうだと思うんです。何かきっと設計図通りの人生を歩んできた人ってあんまり興味がないというか、おもしろみも、切なさも感じないと思うんです。ところで「一生売れない~」という曲は何年前に知ったんですか?
當間 もう10年ぐらい前です。あの歌自体がもう奈須さんの音楽人生を何か表している曲だなと思ったんです。イマイチ上手くいかない人生にあがいているんですよ、とにかくあがいて、しつこく、上向きの人生、もしくは青春を諦めていないというか。それが、歌の後半にも登場しますが、【若人よ、交ぜろ〜!おじさんを交ぜろ〜!】とかいう歌詞にしてる。
藤井 10年前かあ。奈須さんからある種の達観めいたものを感じるなあ。當間さんの中にもその歌詞が刺さるものがあった? もっと若かったり、野望があったりしたら刺さり方が違うと思うんです。「一生売れない心の準備はできてるか」って、みんな考えたくないけど、直面する人生を諦観するというか、楽しむというか、とらえ方によってはぜんぜん意味がちがってくる。
當間 あの曲を聞きたくないという人はいますよ。(笑) 25歳ぐらい年下の知人がそんな感じのことを言っていましたし、Twitterで書いている人もいました。その人もまだ若い人だと思うんだけれども。若い人が聴いたり、この映画を観たりしたら、ネガティブに捉える人もいるかもしれない。ピンと来ないとか。実は、よく聞いたらネガティブではなくて、むしろ悲しくて切ない現実からの「積極的逃避」と言えるぐらいポジティブなんですけどね(笑)
藤井 突き抜けた明るさがあると思うし、何か開き直りにも感じられる。
當間 開き直ってますね。でもそれが自分に対する応援歌になっているんです。何かやっぱり自分の中では、もう年齢的にこれはできない、あれはできないという、いろんな諦めている部分があるけれども、それでいいのかという、何か自分の中で諦めている部分と、諦めたくないという部分のジレンマでずっと戦っているんです。
僕自身がもともとネガティブなんで、根っからのポジティブになれないんですが、あの曲はやっぱり、あがき続けろとか、格好悪くてもいいからとか、自分の尻をたたいている感じで鼓舞させてくれますね。
藤井 成功みたいものとか、自己実現みたいなものを子どもの頃から迫られている時代だと思うんです。夢を追い求めなければいけないとか、夢はがんばれば必ず実現するとか、ひねりのない応援歌ばっかりでしょう。ぼくはどんなジャンルの歌にしても応援歌的なのは苦手で。(笑)
人間はほどほどにうまくやっているとか、自己流で楽しむとか、そういうミニマムな人生観や世界観みたいなのが、當間さんが『一生売れない~』を創った中にどこかに込めたんじゃないかと思ったんです。ほどほどの諦観と、ほどほどの希望と、ほどほどのあがきとか・・・。人間の「強度」というふうに言い換えてもいいかもしれない。
當間 多分ほどほど。(笑) むしろそんな僕自身に仰々しい目標はあるわけでもなく、もう目の前に転がってきた仕事やプライベートでやるべきことをこなすので精いっぱいなんで。
■シネマラボ「突貫小僧」■
藤井 當間さんは、「シネマラボ突貫小僧」の活動ををやっておられるでしょう?じつにおもしろがっているのがわかる。映画の沖縄でのロケ地を徹底的に調べたり、かつてたくさんあった映画館のことを調べたり、研究したり、沖縄の映画史を調べたり、そういうマニアックな研究をしているじゃないですか。それは見ているとすごい充実していて、楽しそうに見えるんですよ。
當間 楽しいのかもしれないですね。(笑)とりあえず、嫌々ではやってないです。でも最初は、消え去ってしまった沖縄の映画館の調査は、映画史研究家の山里将人先生から研究の続きを託されたこともあり、義務に近い感じでやり始めましたよ。ほったらかしたらどんどん情報が失われていくので、関係者が亡くなったり、建物がなくなったりだとか。ただの映画館マニア的な調査研究なら自分が引き受けずに誰かに譲りましたが、沖縄の戦後復興史のあまり語られない一面を記録することで重要なことだと思いましたので。沖縄の戦後復興期の映画館と街の成り立ちはリンクしているんです。
そんな研究、今ではぼくが唯一無二というか、他にいないと思います(笑) 単なる趣味の話ではなく、戦後復興史というものも映画館という視点でいろいろ見つけ出せるというか、情報を残せるというか、結局それがだんだん派生していって、映画館とは直接関係なく昔の戦後復興期の沖縄の写真を見ただけで場所が分かったりとか、という変な能力が付いていますね。
沖縄を舞台にした映画の「ロケ地めぐり」の案内をお願いしたことがある。詳細は、『沖縄 オトナの社会見学 R18』(亜紀書房)におさめた。(撮影・普久原朝充)
藤井 妙な力がしっかり付いてしまった。(笑)
當間 実際それに関わるような仕事がちょこちょこ入ってくるし、古写真展みたいな仕事の監修をお願いされたりとか、その写真選定を任されたりとか。写真の解説のキャプションを書いたりとか。
藤井 戦後復興期の沖縄と映画館というものを調べていくことと、今回の『一生売れない~』はつながってくるんですか。
當間 この映画が映画館調査と繋がっているかどうかは意識してなかったので分かりませんが、僕らがプロデュースした「やちむん」の特別ライブの会場を首里劇場に選んだというのは、その劇場の歴史的価値を知っていたわけで、ただ古いだけのうらぶれた劇場として終わらせることなく、新たな活用例として注目させたいという気持ちもあったんで、そこは関係ありますね。
藤井 そうですよね。ライブを開催した首里劇場という現存する那覇最古の映画館を「現役」としてきちんと記録しておきたいという気持ちもあったんですか? 奈須さんがクルマで首里を走って劇場の場所を再確認するところも長くカメラを回してますね。
首里劇場外観(撮影・普久原朝充)
當間 奈須さんが車で首里劇場に向かうシーンは明らかに「記録」を意識していました。繁華街ではなく、表の道からは見えない裏の住宅街の中にひっそりと建っている映画館って珍しいじゃないですか。まだ調査は不充分ですが、おそらく沖縄の戦後復興期の街作り計画とはあまり関係なく誕生した劇場だと思います。初代館長が民政府の工務部出身で米軍からの資材提供も受けやすくて、別の区域の劇場建設を手がけた経験があって、たまたまその土地が空いていて…等々、成り行きで劇場が建った感じが想像できるじゃないですか。しかもかつては首里に琉球大学が開学したときの式典の来賓客の歓迎会会場に使われたり、琉球芸能のコンクールとか、琉大の演劇サークルの発表や首里高の文化祭に使われたりなど、戦後しばらくは首里の文化の中心だった貴重な文化財です。その劇場の佇まいや場所の雰囲気が、撮影した2021年10月はこうだったという「記録」を意識しました。
『一生売れない〜』は、その年の12月29日から2022年1月10日までの13日間、お世話になった首里劇場で、有料試写会のつもりで今のモノよりも長い140分バージョンを上映して、最終日には金城館長さんから「名画座にしてから一番客が入った」と喜ばれたんですが、3ヵ月後の4月9日に館長さんが急逝しちゃって…。首里劇場がメイン舞台の映画を首里劇場で見るという不思議な体験は珍しいことなので、1〜2年後に短くした完成版を上映したかったし、やちむんの結成35周年もまた祭りのような派手なライブをあの場所で行いたかったのですが…かえすがえす残念です。
藤井 館長、亡くなってしまわれたんですよね。残念です。この映画を観た直後だったので、なんとも言い表せない気持ちに僕ですらなりました。今後、主を失ってしまった歴史遺産的に首里劇場がどうなっていくかは僕にはわかりませんが、あそこでライブで開いたことにも結果的にすごく意味を持ったと思います。ところで、ビルの屋上で奈須さんをインタビューするシーンも、普通といえば普通なカットなのだけど、印象に残ったんです。屋上の朽ち果て方とか、背景の沖縄の街並みとか。
當間 屋上のときもなかなかあそこは上がれないところなんですよ。かつてその屋上の建物は水上店舗だったんです。フェンスが破損しているので普段は立入り禁止の場所ですが、管理者にお願いして特別に上がらせてもらいました。この戦後復興期の象徴の一つの建物も、その周りにチラリと写る古い建物も数年後には貴重になってくるんじゃないかって思って意識したところもあります。
■沖縄の「歴史」も同時に記録する意識■
藤井 それも「記録」ですね。話題は変わりますが、さきほど首里劇場でやった意味ということに触れてもらいましたが、奈須さんが沖縄で30年間やってきた集大成で、彼が沖縄で生活していたからこそできた歌なんですか?
當間 奈須さんは「沖縄」はさほど意識してないと思います。彼が沖縄で長年過ごしてきた中で沖縄と関係した曲は誕生していますが。映画の首里劇場ライブで演奏された曲の歌詞や、インタビューで彼の発言をしっかり聞いてもらうと、ステレオタイプな視点だったり誰にでも当てはまりやすい安易な表現ではなく、普段の生活で見落としがちなネタを拾ってオリジナルな表現で歌を作っていることが分かると思います。彼が沖縄で生活していたからというよりも、自分が体験したことで、これって良いんじゃない?このネタって面白いんじゃない?というおしゃべりなところとサービス精神があるんで、彼がどこで生活していてもそこの面白ネタを拾って歌にすると思いますよ。映画では彼の曲作りの発想や音楽人生をサポートする形で奈須さんのインタビューをちょこちょこ入れてという、あえてそういう作り方にしました。奈須さんという、面白いおっさんがいるよというのを知ってほしいというか、面白がってほしいという。したたかに生きているおじさんがいるということを。僕がなかなかできない生き様なんで。あそこまで、ずうずうしくなれないというか。たとえば、那覇の飲み屋ビルで流しのような仕事許可は取ってますがみたいなのは、到底自分はできない。映画の中で、奈須さんは自嘲しながら「物乞いだよ」と言っていましたが。(笑)でも、生活のためにやっているという。
あのしたたかに生きている感じは、自分には到底真似できないから、すごいなと思う部分もあるけれども、あそこまでずうずうしく生きるのもどうなんだ?と思うときもあるし。(笑)
コロナ禍で、那覇市内の旧三越に入っている飲食店街「のれん街」で「流し」をおこなっている
藤井 ずうずうしいと、したたかってある意味でいうと同義的な意味になるじゃないですか。
當間 「ずうずうしい」は強引で嫌な感じがしますが、「したたか」は打たれ強くてビビったりへこたれたりしないというポジティブな感じがするんじゃないですか。「ずうずうしい」のか「したたか」なのかは、時と場合によってどちらも彼に僕は感じていて、その辺は彼の楽曲の歌詞やインタビューからにじみ出ていると思います。お客さんそれぞれのフィルターで見方が違ってきますが。
藤井 これは奈須さんに聞くことかもしれないけど、途中でもう音楽をやめようと諦めるんじゃないかと思うときもあったんでしょうか?
當間 あんまりこういうことを聞いたことがないんです。本当にいろいろ不思議なところがあって、曲やパフォーマンスが玄人受けする人で、わりと有名なミュージシャンや作家などの懐に入るのも上手くて。大物といろいろ交流があるのにブレイクしないという不思議な人です。奈須さんのそういうところを僕らは「人脈の無駄遣い」と言っています(笑)
藤井 人脈の無駄遣い。(笑) 當間さん自身の中にも奈須さんに対する何か共振みたいなものがあったということでしょう?
當間 ちょっと憧れる部分、そういうのがありますね。あとやっぱり、つくっている曲はいいし、歌詞が本当にいいので、その良さも分かってほしいというか。売れていない人で、オリジナルであれだけ聞かせられる人はなかなかいないんじゃないかな。
藤井 「売れない」というのは、すごく複雑なキーワードだと思うんです。基本、ミュージック映画だと売れている映画じゃないですか。売れていない人の映画というのはあんまりないと思うんです。
當間 今年に公開された「酔どれ東京ダンスミュージック」という大槻泰永さんのドキャメンタリー映画があります。僕は予告でしか見てないのですが、関係者のインタビューを交えて、その人の生き様を見せていく映画なのかなと思いました。今回の僕の映画では、首里劇場ライブを楽しんでほしいのでそこに重きをおいて、インタビューも曲に纏わる本人のエピソードぐらいにして、彼の細かい歴史を紹介したり、関係者の声で彼のキャラを浮き彫りにしたり、普段の活動ぶりを深く描かないようにしました。歌の内容やパフォーマンスぶりにも、彼の音楽人生や彼が世の中に伝えたいことはにじみ出ていると思いますので。『一生売れない~』ももちろんそうなんですけれども、やっぱり、この曲の前後に披露される『アイム・ダンディー』と『リスペクト・ミー』もずうずうしい歌ですよ。俺を尊敬しろという。(笑) 中年のもう後半に差し掛かって、奈須さんはこれら3曲を「終活ソング」と言っているけれども、終活の割には全然諦めていないなと。(笑) 自分でいぶし銀だとか、ダンディーだとか言っている割には、すごく何かカルいというか。
現在の短くしたバージョンではカットしたんですけれども、『首里激情』という曲があるんです。首里劇場にささげた歌で、「げきじょう」は激しい情熱の「激情」という漢字を当てたタイトルの曲ですが、ピアノとサックスだけの静かな演奏をバックに、金ピカ衣裳の奈須さんがいつものギターは持たずにマイク一本でカラオケを歌うっているような感じなんです。恥ずかしげもなく、クセの動きでたまに腰をくねらせながら、テノール歌手のように声を張り上げて歌っていて。1人で悦に入っているように見えるので、客席はちょっと引いた雰囲気なっていましたが、それでもひるまずに堂々と歌い上げでいました(笑)なかなかああいうキャラクターはいないです。
■自分も歌詞のモデルになった■
藤井 ヘンな話、當間さんから見て、奈須さんという存在はどう見えるんですか、何か哀愁漂う感じに見えるんですか、それとも何か元気をもらえるんですか、何かもっと複雑な何かを感じるんですか。
當間 『一生売れない~』とかは複雑ですよ。しかも、歌詞の中の一つを、僕をモデルにしていますから、奈須さんから言われたんだけれども。「1人でいるあいつ」という歌詞があるんですが、あれは僕のことですから(笑)。「家族ができた僕が」というところの部分で、「1人でいるあいつ」は僕のことを歌っている。だから、そういうところもあって、個人的にちょっとちくちくするといった。
あと、あんまり映画では説明してないんですけれども、『ロード・トゥ・ナミノウエ』という曲は、ステーツ・サイズというAサインのステーキ屋のジュークボックスに入っていた『ROAD TO NAMANUI』とレーベル名らしき「Love Records」と記されただけのレコードに奈須さんがインスピレーションを感じて作った曲で、外国人が歌っているのは分かるけど、演奏者は分からなくて、沖縄の音楽関係者の中でしばらく幻のレコードとして噂されていたらしんですが。
藤井 1960年代にジュークボックスや米軍のラジオで頻繁にかかっていた曲ですね。Ronnie Fray Capersの「ROAD TO NOMINEWEE」。那覇の波の上での思い出を歌った「波の上慕情」的な、外国人が歌う沖縄のご当地ソングといわれてますよね。
當間 その情報はおそらく、僕と奈須さんが2007年に作った7分ぐらいの短編をYouTubeに上げたときに、在沖米軍人だった方たちから続々と情報が寄せられて明らかになったんじゃないですか? 奈須さんもこの曲のことを初めて聞いてから10年以上の間、詳しそうな音楽関係者らに聞いてみても判明しなったようなので。奈須さんが沖縄に初めて来たのは大学受験で、そのときに泊まったのが波之上のホテルなんですよ。だから、彼にとって最初の沖縄は波之上で、さらに初の子どもが生まれたときも波之上に住んでいて、そのときにできた曲がその『ロード・トゥ・ナミノウエ』で、自分と波之上の関係を息子に向かって語るような曲です。
雪駄がよく似合う(那覇市小禄にて)
藤井 なるほど。繰り返しになっちゃうけれど、『一生売れない~』を観ていると、いい年をこいて根拠不明の自信があって、どんな職業であれ、ある意味で一番楽しいことを持って生きるみたいなのがいいよ、と言われてる感じがしてくるんですよね。いや、そういう理屈すら奈須さんからは感じさせない。そういう話を彼としたことってあるんですか。
當間 かっこ良く聞こえる格言とか前向きな発言だけど、実は根拠がなかったり、ウケ狙いだったりすることは多いですよ(笑) 「音楽も映画も処女作が一番良い」とかよく言いますし、曲名にもなっている「恋とライブと弁当は足りないぐらいが丁度いい」で、「足りないぐらいが丁度いい」と歌いながら、2016年の首里劇場ライブは昼も夜もそれぞれ2時間半もやっていますし、今回の映画を僕が短くしようとすると、「え〜あの曲もカットするの〜?」と結構反対して駄々こねていましたからね(笑)
最初に首里劇場で公開した140分のバージョンから映画を短くするときに、映画を見てくれた人たちの感想や意見を参考にしたんですが、こんなにも映画を見る視点が人によって違うのかと思うぐらいバラバラで驚きましたね。曲の好みは極端に分かれていて「あの曲はカットしないで」という意見の曲目がそれぞれで違うのでは当然で、r この映画で「やちむん」や奈須さんの存在を初めて知ったというお客2人からはそれぞれの帰り際に、「この長さのままでいい!短くする必要はないです!」と半ば懇願されるような形で言われましたし、奈須さんのライブ中のMCやインタビューの部分を面白がる人、ライブが首里劇場で行われたことを重要視する人、流しのシーンをもっと見たいという人、歌や演奏で評価する人…などなど、ほんとにバラバラで、監督の僕自身も迷いながら編集し直しましたし、今でもこれで良かったのかな?と思っています。
ただし、みんなに共通して強烈な印象を与えているのは映画のタイトルにもした曲『一生売れない心の準備はできてるか』の演奏シーンですね。この曲はミュージシャンに限らず、あらゆる社会人たちの心に「突き刺さる」破壊力がありますからね。映画ではホーンセクションや弦楽四重奏なども入って、お客さんも熱くなって、奈須さんも調子にのってどんどんテンションが上がって、首里劇場の会場内全体がこの曲の内容に相応しいぐらいの大盛り上がりで、映画を作った自分で言うのも何ですが、このシーンは何度見ても飽きません。あらためて、あれぐらいの大所帯で録音し直してCDに収録したらと奈須さんに提案してみたんですが、あのときのパフォーマンスはもう超えられないと奈須さん本人も言っているので、それを「記録」して映画という形に残せたのはホントに良かったと思っています。 (終)
當間 早志(とうま はやし)
1966年沖縄県那覇市生まれ。映画、CM、PVなどの監督の傍ら、映画関連のイベント・プロデュース、沖縄の映画興行史やロケ地の調査・研究を行っている。代表作:映画『パイナップル・ツアーズ』『探偵事務所5・マクガフィン』、テレビ番組『沖縄ポップ伝説 第2夜 カッチャン』、共著『沖縄まぼろし映画館』。