日本人がクリスマスにチキンを食べるようになったのは、意外に最近のことだった
日本のクリスマスでは、丸鶏や骨付きもも肉のローストがメインディッシュとして食卓を彩ります。アメリカなどのクリスマスでも七面鳥などの鳥類をローストする国は少なくありませんが、ニワトリのローストチキンが不動のメインを張るという国はほとんどありません。
例えばアメリカの祭礼では、大型の七面鳥――ターキーが主役を張ってきました。現在も11月第4木曜日の感謝祭では圧倒的な定番です。その約1か月後に行われるクリスマスという祭礼でもターキーやハムが饗されてきました。
実は日本のクリスマスにおけるローストチキンを食べる習慣も、明治時代に輸入されたアメリカの七面鳥食文化が土台です。明治から昭和にかけての新聞には以下のように紹介されています。
当時から「クリスマスには七面鳥」という習慣は国内でも何度も紹介されていました。一方、この当時はクリスマスとニワトリはまったく結びつけられていません。
西洋文化について情報統制のかかった第二次大戦を経て、戦後も「クリスマス=七面鳥」というイメージは色濃く残ります。高度成長期に突入した頃、ようやく"七面鳥幻想"からの脱却が見えてきました。日本が国際連合に加入した1956(昭和31)年、12月9日の朝日新聞に「七面鳥は品不足」という記事が掲載されます。
「クリスマス料理にはつきものの七面鳥が、今年はちょっと品不足気味」
「一番お得意先だったアメリカ人が減る一方」
「昨年あたりから生産も下り坂」
「物マネで珍重していた七面鳥も実は日本人のお口には合わない」
当時はサンフランシスコ平和条約発効してから数年が経った頃。アメリカを中心とした連合国の占領が終わり、一部では日本独自の文化を再構築しようという機運も少しずつ高まりつつありました。"脱七面鳥"という空気が漂うなか、日本独自のクリスマス料理が斜め上方向に展開されていきます。
朝日新聞で紹介されたクリスマス料理の変遷を見ると「安いアジを材料に……気早やなXマス料理講習会」(1953(昭和28)年11月29日)というように魚を使ったオードブルが紹介されています。
「クリスマスからお正月「当家流」の接待です」(1971(昭和46)年12月23日)という著名人の年末年始のもてなしスタイルを紹介する記事ではサンドイッチ、駅弁、ライスカレー、スパゲティ、焼肉、おでん、炊き込みご飯、中華料理などが登場するものの、ローストチキンはおろか、鶏肉料理も見当たりません。
それもそのはず、日本でブロイラーの生産が始まったのは1950年代中頃のこと。現代ではリーズナブルな食肉というイメージがある鶏肉ですが、高度成長期までは鶏肉だって高嶺の花。1960年の鶏肉の生産量はわずか7万5000トンですから、鶏肉も含めた肉自体が希少だったのです。ちなみにそれから60年近くが経った2018年、鶏肉の生産量は国産だけで160万トンと20倍以上になっています。
潮目が変わったのは1970年代のこと。1970年にケンタッキー・フライド・チキンが大阪に実験店を出店。フライドチキンだけでなく、ローストチキンを食べる習慣もその頃から徐々に定着。1980年前後に「クリスマスチキン」が定着したということのようです。
当時、ケンタッキー・フライド・チキンの店長が「10年くらい前から、七面鳥の代わりにチキンがよく売れるようになった」(1989年12月25日朝日新聞栃木県版)とクリスマスチキンの人気を証言しています。
日本人と肉の付き合いは、明治維新で肉食が解禁されてから、まだ150年ほどに過ぎません。とりわけ生活者がクリスマスに鶏肉を調理するようになって、まだ40年ほどしか経っていないのです。クリスマスチキンに象徴されるように、日本の家庭における鶏肉の調理はまだまだ伸びしろがあるはずです。
というわけで、今回は日本人とクリスマスチキンの関係について考えてみました。次回更新は明日の24日、「オーブントースターでできる、骨付き鶏もも肉の本格ローストチキン」のレシピを紹介します。