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「美の体験」とは~「表現の不自由展」を報告する(上)

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
「表現の不自由展」スペースへの入り口には半透明のカーテンがかかっている

 遅まきながら、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」を見ての報告をしたい。

 開幕から3日で中止に追い込まれ、県が設けた検証委員会による中間報告を受けて再開したのが10月8日。以降、連日多くの人が鑑賞しようと会場を訪れたが、安全対策の強化と、作品への理解を深めるための説明や議論を行う必要から、入場者制限、手荷物の持ち込み制限、などが行われた。それによる「鑑賞の不自由」については、様々なメディアが報じているので、ここでは省略する。

会場に入る前に

 会場は通路からすぐの所にある「調査報道センター」による映像展示が行われている部屋の奥にある。さらに、入り口には半透明のカーテンがかかり(本稿のタイトル下の写真参照)、その手前にこの企画展の趣旨を説明したプレートがある。見たくない人がいきなり展示物を目にしたりすることにならないよう、一定の配慮は行われている。

会場に入る前に予備知識を学ぶ掲示を読む
会場に入る前に予備知識を学ぶ掲示を読む

 再開後には、ここに至るまでに、社会問題や政治的な課題を積極的に取り上げている世界の芸術祭の状況や、表現の自由を巡る論点などを解説した展示が加えられた。

まず目に飛び込んでくるのは…

入ってすぐ、右手に昭和天皇などの写真を使った大浦作品を展示
入ってすぐ、右手に昭和天皇などの写真を使った大浦作品を展示

 会場に入ると、まずは天皇を巡る表現のタブーを扱った展示が目に飛び込んでくる。通路上になった壁の右手には、大浦信行氏のコラージュ作品《遠近を抱えて》のシリーズから2点。この作品は14点の連作だが、そのうち2点ずつ、入れ替えながら展示しているとのことだ。その奥にあるモニターで、今回、慰安婦を象徴する「平和の少女像」と並んで非難の対象となった新作映像《遠近を抱えてPart2》が流されていたが、再開後は、上映場所を中の広い空間に移動した。

 入ってすぐの、通路のような狭い場所では、20分の映像作品を初めから最後までじっくり見ることは難しく、誤解を生じる、という検証委員会の指摘を受けての変更だ。

富山県立近代美術館事件とは

画像

 このコラージュ作品について、大浦氏が様々なメディアや集会で語っている説明によれば、ニューヨークで生活している時に、日本人としてのアイデンティティを意識した自身の内心を描いたもの。いわば、自己の内面のポートレートだという。

 作品には昭和天皇の写真と共に、昭和天皇の写真や俵屋宗達、尾形光琳、ダ・ヴィンチらの絵や図、人間の骸骨や曼荼羅、女性のヌード写真などが組み合わされている。要するに、大浦氏の内面は、こうしたもので出来上がっている、ということなのだろう

 作品は、1986年に富山県立近代美術館で開催された「86富山の美術」で展示されたが、美術展が終わって2か月近く経ってから、自民党と社会党の県会議員から「不快」「非常識」などと非難された。美術館側が説明に負われ、知事が陳謝。さらに右翼が押しかけて、街頭宣伝や県教育委員会と美術館への抗議を展開した。

図録の”焚書”が行われた

 美術展で鑑賞者からのクレームはなく、作品は高評価を受けたのだろう。展示された10展のうち4点を美術館が買い取り、残り6点は大浦氏が寄贈した。ところが、右翼の抗議が行われるようになって以降、美術館は美術展の図録の閲覧を中止。作品の特別観覧を求める市民もいたが、美術館はそれを認めず、寄贈された作品を返却し、購入した作品も売却、さらに残っていた図録は焼却処分とした。いわば焚書である。

 この過程では、富山県立図書館に収蔵された図録を、同県内の神主が破って器物損壊罪で起訴されたり、右翼団体幹部が県知事に殴りかかって逮捕されたりといった刑事事件も起きた。

 大浦さんと市民が起こした裁判で、金沢地裁は作品の特別観覧と図録の閲覧を拒否した美術館の対応は、市民の知る権利を不当に侵害したと断じ、県に賠償を命じた。しかし、控訴審で名古屋高裁金沢支部が美術館側の裁量権を広く認め、1審判決を取り消した。この判決は最高裁で確定した。

事件の影響と映像作品

 一連の事件は、全国の公立美術館を初めとする、美術関係者に大きな影響を与えた。2009年に沖縄県立美術館で行われた「アトミックサンシャインの中へ in 沖縄 ─ 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」展でも、《遠近を抱えて》の連作が展示予定だったが、県教育委員会などの要請で中止になった。

 

焼かれているのは大浦さんのコラージュ作品。新作の20分ほどの映像作品は、大きなスクリーンでゆったり見ることができるように展示の仕方が変更された
焼かれているのは大浦さんのコラージュ作品。新作の20分ほどの映像作品は、大きなスクリーンでゆったり見ることができるように展示の仕方が変更された

『不自由展』に出展された映像作品《遠近を抱えてPart2》で燃やされているのは、「天皇の写真」というより、富山で焚書に遭った、大浦さん自身の作品である。さらに若い女性が登場し、従軍看護婦が母親に宛てた遺書が朗読される。海岸でドラム缶がポンポンと飛び上がる場面もあり、ここについては、作者が何を表現したいのか、私はよく分からなかった。

 ただ、大浦さんの昭和天皇への「執着」と、富山での事件で受けた、未だに癒えることのない傷の深さは、映像からびんびんと伝わってきた。作品を焼いて残り火を踏む仕草は、かつて自分の作品に対して行われた行為の再現でもあるのだろう。いくら焼いても踏んでも、大浦さんの中で天皇の存在や事件による傷は、なお消えることがないように見える。

 この映像作品は、そうした大浦さんの心を表現すると同時に、天皇の表現に、なぜかくも人は敏感に反応するのか、という問いを見る者に突きつけているようにも思った。

「御真影」とは

 ネット上では、この作品を批判するのに、「御真影を焼く」という表現が飛び交っている。新聞記者が官房長官に質問する際にも「昭和天皇の御真影」と言っていて驚いた。「御真影」とは、天皇の公式写真を敬う表現で、通常は戦前に政府から学校などに下付されていた、現人神たる天皇の公式写真を指す。今どき、宮内庁のHPを見ても「ご近影」「お写真」と呼び方が普通で、「御真影」という表現は見つからない。

昭和天皇皇后両陛下御真影
昭和天皇皇后両陛下御真影

 戦前の学校では、下付された「御真影」を教育勅語と共に奉安殿にて厳重管理し、神聖視した。学校で火災が発生し、「御真影」が焼失したために、責任を取って自害した校長もいる(作家の久米正雄は父親が自死した状況を「父の死」に書いている)。

 なお、「御真影」は敗戦後、文部省の指示によって回収され、各府県庁において「奉焼」すなわち焼却処分されている。まさに、「御真影」は焼かれたのである。

想像力をかきたてられた《空気#1》

入ってすぐ、大浦作品の向かいに、天皇をテーマにした作品が掲げられていた
入ってすぐ、大浦作品の向かいに、天皇をテーマにした作品が掲げられていた

 富山近代美術館事件によって、大浦さんのコラージュ作品は美術における天皇タブーの象徴的存在となった。「不自由展」では、この事件に触発された作品も、大浦作品と向き合うように、いくつか展示されている。

 『不自由展』で、私が最も興味深く鑑賞した小泉明郎さんの作品《空気#1》も、その1つだ。

小泉明郎さんの《空気#1》
小泉明郎さんの《空気#1》

 誰も描かれていないのに、この絵を見れば、ほとんどの人は正月の新聞紙面を飾る天皇ご一家の写真を想い浮かべるのではないだろうか。大浦さんが昭和天皇に抱いた屈折した思いほどではなくても、多くの人の心に、天皇が根付いている証しだろう。ただ、いつ頃の状況が心に浮かぶかは、人によって違うかもしれない。

 週刊女性PRIMEの「天皇ご一家、平成約30年分の『お正月写真』アルバム」を見ると、この場所が正月写真の定位置となったのは1994(平成6)年かららしい。その年の写真には、前年、皇太子と結婚したばかりの雅子妃が加わり、「眞子ちゃん」と呼びたくなる2歳の眞子内親王が、ぬいぐるみを持って美智子皇后の隣にちょこんと座っている。

平成6年の正月に発表された皇室お正月写真
平成6年の正月に発表された皇室お正月写真

 その後、年を経るにつれ、ご一家の人数が変わり、子どもたちは成長し、大人たちも年を重ねていく。その間に、国内外で、そして私たち自身にもいろんなことがあった。平成の時代は、被災地訪問などを通じて天皇と国民の関係も変わり、新たな象徴天皇像が造られていった時期だと思う。天皇皇后の慰霊の旅を通じて、私が学んだことも多かった。

 そんなことを感慨深く思うと同時に、この絵を見ただけで、「ああ」と多くの人が同じ光景を想い浮かべるということは、これも1つの大衆の心理操作かもしれない、という気もした。多くの人々に、気づかぬうちに一定のイメージや価値観をすり込むことは、案外たやすくできてしまうのではないか。

 この作品の前に立っていると、考えることもいろいろ涌いてきて、きりがない。ゆっくりとその前に佇んで、思いを巡らしてみたくなる作品だった。

なぜこの作品が展示できない?

 驚いたのは、この作品も過去に公立美術館での展示をできなかった経験がある、ということだ。

 小泉さんは、この作品を2016年に東京都現代美術館で行われた、展覧会『キセイノセイキ』のために制作した。この展覧会は、インターネットを通して誰もが自由に声を発することができる一方、大勢の価値観と異なる意見に不寛容な世相の中で、「既存の価値観や社会規範を揺るがし問題提起を試みるアーティストの表現行為」(同美術館のHPより)として行われたものだった。

 企画の議論の中で、小泉さんは天皇に誰も触れたがらないのに違和感を覚え、考え抜いた末にこの作品を提案した。ここには、皇室の写真はおろか、絵も描かれていない。ぼんやりと人影らしき影が見えるだけだ。すべては、見る者の心の中で完結する作品だった。

 ところが、キュレーターからこれについてはダメが出た。

 小泉さんによると、その理由は2つ。

(1)天皇に関する表現自体が美術業界ではタブーであり、どうしてもやるのであれば根回しや準備が必要だが、それができていない

(2)天皇はただの「象徴」ではなく、多くの人々の敬愛の対象であり、人によっては崇拝の対象でもある。その天皇を(正月写真から)「消す」という暴力的な行為によって、傷つく人が出るかもしれない。

 小泉さんは、「消す」→「天皇制いらない」という主張に読み取る人もいるだろうが、逆に肉体を描かないことで霊的存在としての天皇を感じる人もいるだろう、そういう意味づけは、見る人それぞれの中で行うべきものと説明したが、受け入れられなかった。

 作品から感じ取るものは、見る時期によっても異なるのかもしれない。私が、この作品を見ることで、平成という時代と皇室に思いをはせたのは、天皇の代替わりによって平成が終わり、令和へと以降した直後だったこともありそうだ。そんな風に、作者の意図していない見方をしたからといって、間違い、というわけではないだろう。

 結局、作品は展覧会会場には出品されず、近くのギャラリーで行われた小泉さんの個展で展示された。

「美の体験」とは何か

小泉明郎さん
小泉明郎さん

 作品のタイトルに《空気》とつけた理由を小泉さんはこう説明する。

「表現の自主規制を扱う展覧会ですら、天皇に関わる表現がない。天皇制をタブー視し、様々なレベルで自主規制が行われる『場の空気』。天皇制を支えている日本の『空気』であり、(肉体を消して)描かれたのは『空気』という意味でもあります」

 小泉さんは、「美術」についてこう語る。

美術の『美』は、単に『うつくしさ』を表すのではありません。『美』には、崇高な『怖さ』、あるいは人間の存在を揺るがすようものへの『怖さ』や『不快』なども含まれます。たとえば、嵐のような自然の脅威も作品になります。大事なのは、その作品が、見る者の想像力をどれだけかき立てられるか、です。

 山水画で、上の方に山の頂があり、下の方に川が描かれて、その間は霧に包まれている、というのがありますね。こういう作品を見ると、我々は『この間に何があるんだろう』『ここで何が起きているのか』と想像力をかき立てられる。これが『美の体験』なんです。きれいに完成された作品はつまらないですね。鑑賞者の心の中で完成させる作品の方が面白い。そういう『美の体験』を起こす作品を作っていきたい」

(「「表現の不自由展」を報告する〈下〉」に続く

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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