海外初の茶懐石「秋吉」がパリに開店 コロナ禍の大ピンチを福に転じる心意気
パリで和食の新しい扉が開かれました。
2023年1月24日、日本以外ではおそらく世界で初めてとなる茶懐石の店がオープンしたのです。
その名を「秋吉(Akiyoshi)」といいます。
オーナーシェフの秋吉雄一朗さんは、日本料理・茶懐石の老舗、京都「瓢亭」の高橋英一氏に師事。料理人として研鑽を積む一方、同店初のソムリエとなり、ワインセレクトや別館のシェフ・ディレクターを任されました。
さらに、2013年から約3年間は、パリのOECD日本政府代表部大使公邸の料理人として活躍。そう聞けば、文字通り日本を代表する料理の腕の持ち主であることがわかるでしょう。
パリ15区の静かな界隈、木の香も新しいこの店の前に立てば、そこからもう“日本”が始まります。
木戸の手がかりの部分が瓢箪の形をしていることにしばらく見とれている間にスッと戸が開き、上品な着物姿の女将が登場。深々としたお辞儀に迎えられました。秋吉さんの奥様、三鈴(みすず)さんです。
たっぷりとした寸法の杉のカウンター、柱は檜、床は栗の木。
「日本の茶室にいるかのような落ち着いた空間にしたかった」という秋吉さんのコンセプトを形にした店内は、どこか能舞台を連想させるような清々しい気に満ちています。
釘を一本も使っていないというこの造りは、秋吉さんの地元である九州の宮大工さんによるもの。パリの店舗のサイズに合わせて日本で作ったものをいったん解体し、パリに輸送してから再度組み立てたのだそうです。
「これが入る空間があればどこでも店が再現できる。移動できるレストランなのです」と、秋吉さん。とはいえ、組み立てはひと月がかりの大仕事。70歳の九州男児の棟梁は、人生で初めてパスポートをとって来仏し、仕事に当たってくれたのだそうです。
客席は全部で16席。畳に正座するという形式でこそありませんが、(逆にその方がフランス人はもちろん、現代の日本人にはありがたいくらいですが)、黒塗りの折敷を手渡しで受け取るところから始まり、向付、煮物、焼物、炊き合わせ、強肴、箸洗い…。締めの和菓子と薄茶の点前まで、まさに正統派の懐石料理が堪能できます。
それぞれのお料理は思わず目をつむって恍惚としてしまうほどの美味しさ。和食がだいぶ浸透してきた食通の町パリですが、このレベルの日本の味がいただけるようになったことに深い感慨を覚えてしまいます。
価格は昼のコースが240ユーロ、夜のコースは360ユーロ。また、開店記念として特別に、昼夜それぞれ120ユーロと180ユーロのコースも用意してあります。
実は私は、秋吉さんの料理を3年前にもいただいていました。2020年2月、パリの日本文化会館を舞台に、京都の窯元・真葛焼の宮川真一さんが歴代の器を使って茶懐石の会を催したのですが、その時の料理を担当したのが秋吉さんでした。
京焼の名品と一流の日本料理とのコラボレーションは、パリっ子たちを大いに魅了し、大成功を収めました。その様子を『家庭画報』2021年2月号で14ページにわたって紹介しました。
3年前のその取材の時、秋吉さんはすでにパリ出店の準備を進めていて、間もなく店舗の工事にかかるというタイミングでした。けれども、コロナ禍で世界は一変。秋吉さんの計画も先が見えない状態になってしまったのです。
あれから3年が経ち、秋吉さんからパリの店がいよいよ開店するという知らせをいただいたとき、私は心から嬉しく、同時にこれまでの並大抵ではない苦労を想像しました。3年間、まったく営業しない状態で、パリの物件を持ち続けることは至難の技です。
そのあたりの経緯をぜひうかがいたく、秋吉さんにインタビューさせていただきました。少し長くなりますが、ここにご紹介したいと思います。
茶懐石の店をパリに開くと決めたのはいつですか?
2016年末、パリのOECDの仕事を終えて帰国した直後のことです。日本で出張料理人として仕事をしていましたが、料理人ならば誰でも「自分の館を持ちたい」と思うものです。それを実現するなら、住んだことのある土地で。つまり、福岡か京都かパリ。京都は大好きですが、日本料理屋さんがすでにたくさんある。福岡は地元だし、とても良いのですが、自分が思うレベルの料理を出しても、人を呼ぶ力がまだそこまで強くない、とその当時は思いました。
では、パリだとどうか? パリならば日本料理屋さんをみんなが欲しいと思っている。ラーメン屋さん、うどん屋さん、お寿司やさんとかは色々とあるけれども、絶対数が日本より圧倒的に少ない。やるならパリが面白いだろうというのが始まりです。
「やろう。やりたい」という気持ちはありましたが、具体的にどうしたらよいかわからない。それで、いろんな人に話をして回っていたら、仲間というか、知恵を貸して助けてくれる人、協力してくれる人が集まってきて道筋ができてきました。
パリの物件探しは2017年6月くらいに始めました。昔からの友人が方々に声をかけてくれて、そこから探していって、この物件を取得したのは2019年のことでした。
2020年から工事に取り掛かるはずが、コロナ禍で計画が狂ってしまったことは上述しましたが、3年間という大きなブランクを秋吉さんはいったいどのように過ごしたのでしょう?
なんと彼は、地元でラーメン屋さんを開いていたのです。
女将(註/奥様の三鈴さん)が、ジェイアール九州さんと繋がりがあって、博多駅のホームの立ち食いそば・うどん屋さんの跡地の話をいただいてきたのです。
コロナになってからお客さんがなく空き店舗になっていたところをポップアップのイベントのスペースにしたい、と。しかも、コロナで九州の農家、生産者さんたちは供給はできるけれども、レストランが閉まっているせいで需要がない。それを助けるための何か、キャンペーン的なことをしたいというので、「秋吉さん、どうですか?」という話を持ってこられました。
最初は正直言って難しいな、と思いました。(立ち食いの店。そんなところで何するの?)と。
秋吉さんの気持ちは皆さんも想像できると思います。「瓢亭」、パリの大使公邸で活躍したほどの超一流の腕の持ち主なのです。それが、駅のホームの立ち食いの店とは…。
とはいえ、僕も何か売上を作らないと実際苦しかった。パリの家賃を払わなくてはならない。日本で出張料理で稼いで送るのですが、ずっと赤字続きで、それを上回る売上などそうそう作れない。家賃だけでなく経費もどんどんかかってくる。このままでは、建築家、会計士、弁護士さんなど色々な費用がかかるのをまかないきれない。
大きな売上を作るために、とりあえずチャレンジしよう、と決めました。博多は豚骨ラーメンの聖地ですが、それとは真逆の路線で、自分のバックボーン、日本料理というバックボーンを生かしたラーメンをやろうと決めました。
店の名前は「明鏡志水(めいきょうしすい)」。これは禅語の「明鏡止水」からとったもので、秋吉さんは「止まる」の字の代わりに「志」を当て、秋吉流“淡麗らぁめん”の店を開きました。
それが、うまく行きました。3ヶ月のポップアップの期間が終わって、ジェイアールさんからまた話がありました。博多駅の地下の飲食店街に、ジェイアールさんがやっているラーメン屋さんがあったのですが、売上が芳しくないので、そこを閉める。その後で、秋吉さんがやってくれないか、と。
「やりましょう」と、駅のホームから地下街に移動して再スタートをきりました。
スープもチャーシューも全て手作り。僕もスタッフも朝から晩まで、毎日本当に忙しかった。ものすごくお客さんが来ました。午後3時以降はナチュラルワインと僕が考える一品料理を楽しめるようにもして、売上は上がりましたが、とにかく忙しかった。
結果的にそのラーメン屋は、元々サポートしてくれている株主さんらに買い取ってもらいました。今3店舗めができるところで、僕も監修という形で、パリから遠隔でレシピのアイディアを送ったり、相談に乗ったりしています。
その成功があったからこそ、パリの開店に漕ぎ着けたというのは今だから言えることで、3年のブランクの渦中にある秋吉さんの心中には、何度も(諦めようか)という声が去来したと言います。では、それをどうやって乗り越えたのでしょう?
諦めようかと思うたびに、誰か人と話したり、言葉を見つけたり、本を読んで奮い立ったり。そういうことの繰り返しで乗り越えてきたと思います。「今さらあとにひけない。諦められない。やめられない」という気持ちでした。
そして、「もしかしたら、コロナ禍の洗礼があって逆によかったのかもしれない」とも秋吉さんは言います。
コロナがなくて、スッとここで店を開くことができたら、こういう店にはなっていませんでした。
僕は料理は習ってきているのですが、コロナ禍の間にお茶の稽古をしたり、毎月のように茶事をさせてもらったりというのがあったから、深く自分を理解できたのではないかと思います。
その間、お金はどんどん減っていったのですが(笑)、僕にとってはそれが良い期間になったのではないかと思うのです。
そして新しいステージに立った秋吉さん。開店に際して現在の気持ちをこう語ってくれました。
昔、先輩たちがやりたくてもできなかったことを次の時代の人がやるべきだと思います。時代時代によってできることとできないことがある。今ならパリで本格的な日本料理店を開くことができる。昔は難しかったことが今はできるようになってきた時代だからこそチャレンジしたい。
目下の目標はこの店を常に満席にすることです。そして、フランス人、ヨーロッパの方、世界の方が「パリに来たら、日本料理の『秋吉』だよね」というように思ってもらいたいです。日本の雰囲気、香りを感じたい人、いいものを見たい人。お茶はアートなので、お道具、食器なども感度の高い人たちに喜んでもらいたいと思って揃えてきています。
確かに、「秋吉」の一流の料理を受け止める器もまた見事。それらは、帰国して出張料理をしている間にずっと買いためていったものや、パリの開店のために誂えたものなど、一つ一つに思いがこもっています。日本から送った量は海苔箱にして90箱以上。しかも出張料理の経験から梱包は入念に、7、8人がかりで1週間かけて行ったそうで、海を渡ってパリに届くまでにひとつも割れることがなかったと言います。
とにかく、日本の素晴らしいものを間違いなく出すところ。本当の日本だというものをやりたいと思っています。それが自分のルーツというか、自分が学んできた日本料理への恩返し。「瓢亭」さんとか、料理屋さんでお世話になった方々への恩返しであり、日本料理への貢献になると思っています。
ところで、本格的な茶懐石と聞くと、私たち日本人にとってもかなり敷居の高い印象があります。果たしてフランスでそれが受け入れられるのでしょうか?
人によりけり。お客様次第で変えてゆこうと思っています。お茶を知っている人に対しては、本来の茶懐石のやり方で出してあげるほうが喜ばれるだろうし、全く知らない人、初めての経験という方には、まず興味を持ってもらうことが大事で、徐々にプロセスを踏まないといけないと思っています。今、試行錯誤中です。
たとえば、お菓子に添える黒文字は日本なら一本ですが、「秋吉」では二本。こうした工夫は、プレオープンでさまざまなお客様を迎えた経験によるものです。
食べにくいせいで、お客様の綺麗な服を汚してしまうのは嫌ですし、そもそも「食べにくいから食べない」と、まったく手をつけないお客様がいらっしゃったりします。
基本的には箸で召し上がっていただく前提ですが、食べにくそうにしている方には木の匙を出してあげることもあります。そして、次回その方が来店された際には、必ず匙を用意するようにしたいと思います。
こちらが気を遣って先回りをして準備する。それこそがお茶だと思うので。
秋吉さんのお茶の精神に貫かれたおもてなし。コースの締めくくりで、私はさらに深く感銘を受けることになりました。
正客は黒楽、次客は永楽と、それぞれ違った趣の茶碗で秋吉さん自身が薄茶を点ててくれたのですが、私には美しい青絵の茶碗が出されました。相客の方達のものとは違う異彩を放っていると感じたその茶碗。
それは宮川香斎作の真葛焼の茶碗だったのです。
日本文化会館での茶事からコロナ禍を経て、3年ぶりの再会。そこであらためて真葛焼の茶碗で点ててくれた薄茶。その一服はどんな言葉よりも雄弁に、心に沁み渡るように秋吉さんの思いを伝えるものでした。