シリア:シリアとトルコとの和解機運に不安な人々
このところ、アラビア語紙に久しぶりにシリアとトルコとの「関係正常化」機運が生じているとの記事が目立つようになった。両者はシリア紛争(2011年~)でトルコがシリア政府の打倒を目指し、「反体制派」支援と称して「反体制派」だけでなく「イスラーム国」や「ヌスラ戦線(現:シャーム解放機構。シリアにおけるアル=カーイダ)」を含むイスラーム過激派までも公然と支援したり、シリア領への密航をはじめとする有害な行為を放任したりしたことで決定的に悪化した。また、トルコはシリア北東部を占拠するクルド民族主義勢力をトルコにとっては「テロ組織」であるクルディスタン労働者党(PKK)と一体とみなし、その抑制を口実にシリア領に侵攻し一部を占領している。一方、シリア紛争での軍事的な衝突が落ち着くにつれ、ロシア、イラン、イラクなどがシリアとトルコとの「関係正常化」を度々働きかけてきた。そこでは、シリア側は自国の主権と領土の統一を重視してシリア領を占領するトルコ軍が「期日を定めて」撤退することと、トルコによる「反体制派」支援の停止を要求するのに対し、トルコは現在のシリア政府にはクルド民族主義勢力を抑える実力がないとの判断から、撤退要求に応じようとしなかった。つまり、多少「関係正常化」機運が醸成されようと双方の折り合いは容易にはつかないということだ。
昨今の機運がこれまでと若干異なるのは、シリアのアサド大統領とトルコのエルドアン大統領が両国の「関係正常化」に前向きな言辞を交換している(甘言をささやきあっているとかリップサービスを交換しているといってもいい)ことらしい。6月26日にアサド大統領がロシアからの特使に対し、「シリアは(トルコとの関係についての)国家の主権と完全な領土の尊重、あらゆる形態のテロリズムとテロ組織との戦いに基づくものならば、すべての働きかけに開かれている。トルコとの関係に関する諸般の働きかけは、シリアと地域全般の安定への関係国の意志を反映している。」との趣旨を述べた。一方、エルドアン大統領は6月28日に報道機関からの質問に答えて、「かつて自分はアサド氏(注:エルドアン大統領は両国が敵対して以降アサド大統領を呼び捨てにしていたそうだが、ここで敬称をつけたことも波紋を呼んだ)と家族ぐるみで付き合ったこともあったが、それが将来生じえないということはできない。」と述べた。
両大統領の前向きな言辞の背景には、「関係正常化」によって確保可能な実利を得ておこうとの考えがあるようだ。シリアにとって、クルド民族主義勢力による領域占拠と「自治」はいずれ解体すべきものだが、彼らの占拠地にはアメリカ軍が不法に居座っており(注:ただし、アメリカ軍はクルド民族主義勢力の「自治」を保護するためにシリア領内に拠点を設けているわけではない)、クルド民族主義勢力を軍事的に制圧することはできない。そこで、当座はシリアの国会にあたる人民議会選挙(7月)を無視して「自治区」の選挙を実施(8月)しようとするクルド民族主義勢力に圧力をかけ、彼らの既得権を少しずつ剝奪することが狙いになりそうだ。また、シリアにとっては、2020年にトルコが約束した、沿岸部のラタキア市と大都市のアレッポ市とを結ぶ国道を再開させることもさしあたり実現可能な目標だ。一方、トルコにとってはクルド民族主義勢力による選挙の実施は何としてでもつぶしたいことだ。また、最近の経済状況に鑑みると、いつまでもシリア紛争に干渉したり、シリア領を占領したりして、シリアの避難民受け入れや軍事行動を続けるのは得策ではない。そのようなわけで、両国の接近は最近ロシアとトルコの管理によってシリア政府の制圧地とトルコ軍の占領地との間の通過地点の一部が開通するという形で具体化しつつあった。
つまり、シリアとトルコとの「関係正常化」に焦燥感や懸念を募らせているのは、両国が敵対することによって「得」をしていた人々だ。代表格はクルド民族主義勢力で、彼らはこの種の動きがある度にあてになるかはおぼつかないアメリカへの請願を繰り返している。「反体制派」や、今や「トルコの民兵」と化したかつての反体制武装勢力の者たちにも、シリアとトルコの関係は死活問題だ。同様のことは、今や実質的にトルコの庇護下にあると言っていいイスラーム過激派諸派にも言える。また、トルコに居住するシリア人避難民たちも同様の利害関係にある人々だということも決して忘れてはならない。トルコは350万人ともいわれるシリア人避難民を受け入れており、避難民たちの境遇や将来の処遇は国際的にも大問題だ。実はトルコでの避難民の境遇は、最近は「ものすごく悪い」といっていいほどになっている。シリア紛争勃発当初、トルコの人々が自分たちを「アンサール」と位置付け、避難民を「ムハージルーン」として支援したことが現在の状況悪化のそもそもの出発点だ。「アンサール」とは人類にイスラームがもたらされた当初に迫害され、マッカからマディーナに逃れた預言者ムハンマドとムスリムを受け入れたマディーナの住民を指す用語だ。その際、マディーナに逃れてきたムスリムは「ムハージルーン」と呼ばれた。つまり、「ムハージルーン」を預言者ムハンマドの史実に沿って、そう遠くない時期に目的を達成して元の住居に「帰る」と認識したからこそ快く支援すべき対象だったのだ。実際には、トルコに逃れたシリア人避難民たちは彼らの目標であるはずの「悪の独裁政権を打倒して、自由・公正・尊厳に満ちたシリアを作る」に関心を示さず、トルコに安住するか、トルコを踏み台にして第三国で幸せな暮らしを享受することを熱望するかになり、避難民の受け入れで多大な負担をしていると信じるトルコの人々にとって、彼らは一刻も早く消えてほしい厄介者となった。トルコ軍がシリア領を占領する理由には、クルド民族主義勢力対策のほかに、「治安ゾーン」なる入植地を用意してそこに可能な限り多数のシリア人避難民を送り込むことも意図していた。この企ては(予想通り)うまくいっていないようなので、シリア人避難民に対するトルコの世論の風当たりは強くなりこそすれ、弱まるということはちょっと考えにくい。
このような雰囲気は、ちょっとしたことですぐに爆発する。トルコではこれまでもしばしばシリア人避難民に対する暴行や焼き討ち事件が発生してきたが、6月30日にもトルコ中部のカエサリーというところでシリア人の青年が少女に対するセクハラ容疑で拘束されたことをきっかけに、シリア人の店舗・住宅・財産などへの大規模な焼き討ち事件が発生した。この事件はシリア国内のトルコの占領地にも波及し、トルコ軍の基地前での抗議行動が衝突に発展した。また、焼き討ち事件に怒った「トルコの民兵」らが占領地に掲揚されたトルコ国旗を引き下ろし、やはりトルコの手先である「反体制派」の「臨時政府」の官憲と交戦した。まさしく飼い犬に手をかまれた形のトルコ政府は、今後「トルコの民兵」をどのように扱うだろうか。こうした事態も、トルコが「反体制派」に止まらずシリア人避難民全般にとって居心地のいい場所ではなくなっていることを反映しているのだろう。
従って、クルド民族主義勢力の既得権益の剥奪、イスラーム過激派や「トルコの民兵」の処遇(長期的には間違いなく解体・動員解除)、シリア人避難民の帰還(注:政府の制圧地は難民・避難民の帰還に適した安全な場所だというのがシリア政府の年来の立場)などの諸問題で一定の実利を得たいというのがシリアとトルコの両政府、そして両国を取り持とうとする各国の現在の状況判断である可能性は高い。アサド大統領、エルドアン大統領の両者とも、国政運営や政権維持などのためのもっともな理由と負担に見合う実利があれば、またにこやかに会談できる人たちだろう。だからこそ、両国の「関係正常化」は実現の可能性の高低にかかわらず、多くの人々を不安にするニュースなのである。