監督解任のギラヴァンツ北九州:凋落の要因どこに? すれ違った強化策と戦術
J3ギラヴァンツ北九州は6月17日、森下仁之監督の解任を発表した。ギラヴァンツは前日のY.S.C.C.横浜(YS横浜)戦に2-3で敗れ4連敗。J3リーグの最下位に低迷していた。後任は17日時点で発表されていない。
16年以降は下降線。反転できず
J3で最大規模の予算があり、J2でも上位を戦うことがあったギラヴァンツ北九州は、なぜ凋落したのか。指揮官だけの責任とは言い切れない現実が横たわる。
ギラヴァンツは2010年からJ2で戦ってきた。初年はリーグ最下位に沈むが、当時は降格がなく、三浦泰年新監督を迎えて再スタートすると、11年、12年ともに一ケタ順位で健闘。13年は選手が大きく入れ替わるものの、柱谷幸一監督が堅守速攻をベースに戦い、14年は最高位の5位で戦い終えた。
だが、16年は堅守速攻からの進化を目指すも、主力選手の移籍や選手の「高齢化」などによって結果が出ず、J2最下位でJ3に降格。1年での再昇格を目指した17年もアウェー戦で勝てないなど苦戦し、昇格圏外の9位に終わった。
今年はツエーゲン金沢をJ3優勝、J2昇格に導いた経験がある森下仁之監督を招き、再出発を図った。ただ、クラブの社長、強化部長、監督の総入れ替えによって強化体制の確立が遅れ、森下監督の就任決定も17年の年末にずれ込んだ。
新チームは佐野達強化育成本部長(GM)が中心となって編成したが、遅れて就任が決まった森下監督も「同じカテゴリーで出ている選手のほうが重要。その点はお願いした」と注文。1月の新体制発表会時点で7人が新加入し、佐野GMは「(前年から)19人が残り、もともとポテンシャルがあるので十分に戦える。大型補強ではないが、ポイントでの補強をした」と話したほか、「トータルな全員攻撃全員守備に勝るものはない」として森下監督に金沢時代の堅守速攻とは異なるトータルフットボール路線を求めた。
当初方針から乖離した補強策
森下監督は、17年は九州産業大で指揮を執り、天皇杯や練習試合でギラヴァンツと対戦したことがある。「選手たちにプロのプライドが少し見えなかったと感じていた。Bチームとの練習試合だったが、熱さやプライドが足りないのかなという印象を受けた」。そう当時を振り返り、前のめりのディフェンスでボールを奪い、人数を掛けて戦うサッカーを目指した。
プロ2年目の川上竜をキャプテンに任命したのも攻守にハードワークできるからだ。副キャプテンには、経験豊富で並外れたパス感覚で決定機を作る本山雅志と、キック精度が高く攻撃に繋がるボールを出せるGK高橋拓也を指名。その「人事」からも意欲的に戦うチームを作る意志が感じられた。
開幕前の練習試合では『4-1-4-1』あるいは『4-3-3』のシステムをメーンに戦い、一定の成果が上がっていた。
2月10日のJ3鹿児島ユナイテッドとの練習試合では、45分ゲームを3本実施。全体では1-5と苦杯をなめるも、2本目は主導権を握った時間帯で確実にシュートまで持ち込み、安藤由翔のゴールで1-0で勝利している。この時点で鹿児島(6月17日時点で首位)とギラヴァンツ(同最下位)との戦力差は決して大きなものではなかった。
さらに3月5日にはJ2レノファ山口FCのサブメンバーと荒天の中で練習試合を行い、終始ギラヴァンツがゲームを支配。川上が蹴ったCKを起点に得点を挙げるなど2-1で勝ち、「風があったが自分たちのほうがいいサッカーができていた」(高橋)と手応えの内容だった。
ところが、最近の試合ではチームを率いるべき3人が十分な仕事を果たせていない。3月まではアンカーやトップ下などセンターラインの高い位置でプレーしていた川上は、センターバックにポジションを下げた。本山と高橋はベンチスタートに。こうしたメンバー変更が象徴するように、スタイルは変容を遂げている。
成績低迷に前後して、当初の編成では行わなかったはずの「大型補強」が断行された。J1、J2通算96ゴール(カップ戦を除く)を挙げているダヴィが4月上旬、197センチの長身FWフェホが同下旬に加入。J3では規格外とも言える外国籍選手の補強によって、当初の地上戦で運んでいくサッカーから、ターゲットへの放り込みに変わっていった。
開幕直前には村松大輔が加入したが、村松もJ1でのプレー経験が長くJ3は初めて。同カテゴリーで戦ったことがない選手が増える一方で、当初のサッカーで核となるべき選手がポジションからはじき出された。
戻らなかった戦術のひずみ
補強が進んで以降は、フォーメーションのベースは『3-5-2』や『3-4-3』となるが、結果は悪くなるばかりで現在は4連敗中。4戦計2得点12失点という惨状は目も当てられない。
3バックの脇を突かれたり、セカンドボールを回収できないなどの現象は修正が及ばず、6月3日にカターレ富山に0-3で敗れて最下位に転落。順位が近接していたグルージャ盛岡にも0-2で敗れた。
ひとたび失点してしまうとチームは沈み込み、得点を取り返そうという覇気は見えなくなる。キャプテンの川上は「リバウンドメンタリティーが足りない」とメンタルからの立て直しに声を枯らすも空転が続いた。
決定機を逃す場面も多く、GKと1対1になっても外すシーンは何度もある。選手個人の問題とも言えるが、毎試合のように選手が入れ替わり、コンビネーションが成熟しないのも一因に挙げられる。ダヴィやフェホのコンディションを見ながらの戦術構築は場当たり的で、訪れるチャンスは想定していたものというよりは、事故に遭うようなものだ。
どのようなスタイルでもカウンターは大きなチャンスになるが、攻撃スタート地点が低いロングカウンターが中心になり、アタッカー陣の上下の移動距離が増加。守備に追われる時間も長く、選手たちはゴール前に顔を出すことで精一杯になっている。シュート精度が二の次になっているのは否めない。
「フォーメーションや選手起用は監督の意思で決まっているのか」。6月16日の試合後の会見で、地元局のレポーターが疑問を投げかけた。森下監督は「もちろんです」としたが、こう続けた。「今シーズンは前からプレスを掛けて、守備でも攻撃でも主導権を持とうという中で、ダヴィ選手が入ってきて、そのやり方がフィットするかと言えば難しいものがあった。勝ち星が挙げられなかったのと相まって、違うやり方に変えなければいけなかった」。
薄まる危機感。ぬるま湯に変化なく
クラブの強化方針や監督の戦術、あるいは両者の乖離がこの戦績に大きく関わっている。
それに加え、危機感の薄さも低迷傾向に拍車を掛けている。J2に戻らなければならない、J2で戦いたいという意識がどこまでチームで共有されているだろうか。
ギラヴァンツは08年と09年に3部リーグを戦ったことがある。当時はJ3が創設されておらずカテゴリーとしては「JFL」だったが、J2を目指して戦うという点では今と変わらない。
大きく違うのは待遇や環境面だ。当時の選手たちはアマチュア契約が多く、地元の百貨店や飲食店で働きながらトレーニングや試合に臨んでいた。練習場が全面常緑になったのはJ2に昇格して2年目以降で、下部カテゴリー時代は土のグラウンドの桃園運動場を使用していた。JFL2年目の09年に4位でJ2昇格を果たしたが、こうした状況から抜け出したいという強い意志が原動力になった。
一方で現在のギラヴァンツに当時ほどのハングリーさは感じられない。練習場は優先的に使用でき、十分な機能がある寮も小倉北区にできた。試合会場は真新しいミクニワールドスタジアム北九州。選手たちはJ3の中では圧倒的に優遇された状態でトレーニングにも試合にも臨める状況にある。J3に降格はなく、意識を高く持たなければ「ぬるま湯」の中に浸ってしまいやすいが、まさに今、熱くも冷たくもない湯に入っているようだ。
クラブ自体の改革は進んでいるのか
クラブ自体の意識改革が必要だ。成績と入場者数の低迷などの責任を取り、15年に横手敏夫氏が社長を退任。後任にクラブの創設期から携わってきた原憲一氏が就任したが、同様の理由で17年末でトップを退いた。
新社長には、北九州市若松区出身で西日本新聞執行役員を務めた玉井行人氏が就き、1月には地域密着路線を徹底する姿勢を示した。平均入場者数を7千人に設定。「今まで以上にファンのみなさんを大切にし、非サッカー人口にも切り込んで開拓していく。もっと街に出て行く」と話した。
ところが3月17日のホーム開幕戦に集まったのは4503人にとどまり、ここまでの平均も4400人余りと目標には及ばない。数字上はJ3トップクラスではあるが、黄色いユニフォームを着るサポーターの増加は感じられず、観戦意欲の醸成は道半ばと言わざるを得ない。ホームアドバンテージを築くのはサポーターの数や声。J3はアウェーサポーターが少ないために問題は顕在化しないが、J2時代に山口や大分、福岡などにホームジャックされた経験を忘れるべきではない。
北九州市立大が実施した市民意識調査(3月16~19日実施、有効回答数1062)では、ギラヴァンツ北九州戦のスタジアム観戦について「観戦するつもりはない」との回答が58・4パーセントに上り、「ぜひ観戦したい」はわずか8・3パーセントだった。比較的観戦意欲が高かったのはミクスタがある小倉北区の回答者だったが、周辺エリアに波及していないことを如実に示した。
チームにとっては勝敗が「結果」だが、クラブにとっては入場者数も一つの「結果」。クラブの集客や広報戦略の見直しも同時に求められている。
川上主将「声援に、結果で応えたい」
クラブは目標を再設定する時期にある。強化方針と戦術を同じテーブルの上に乗せ、一枚岩で戦わねばならない。集客まで目を向けるなら、19年シーズンを視野に入れて、北九州市民に響き、誇りを感じられるサッカーが何かを突き詰めて考える必要もある。
ただ、チーム成績が悪くとも、一定数のサポーターが離れることなく応援を続けているのも事実だ。16日の試合後、サポーターの前に立った川上は、手を自分に向け「次は絶対にやるから」と硬い表情で声を絞り出した。
川上はYS横浜戦を「90分を通して走れる選手が多かったし、今日のゲームはチームとして一番走れていたと思う」と話し敗戦に悔しさをにじませた。「走るのを当たり前にして、結果や質をもっと求めていかないといけない。ここまで落ちてしまっても、サポーターの方がすごく声援を送ってくれる。後押ししてくれているのがこちらにも伝わっている。結果という形で応えなければならない」。
クラブ史上初の指揮官の途中解任に踏み切ったギラヴァンツ北九州。しかし、現場トップの入れ替えだけですべてが好転するかは見通せない。クラブの存在意義を再確認し、襟を正して、これまでとは違う新しい一歩を踏み出してほしい。