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多世代型「日暮里コミュニティ-ハウス」見学会に参加

鈴木崇弘政策研究アーティスト、PHP総研特任フェロー
(写真:アフロ)

 「日暮里コミュニティハウス」は、元日暮里中学校の跡地に2003年建設された12階建ての多世代型コミュニティハウス。保育園やクリニッツク(1階)、若い世代も含む多世代が入居し自主運営されている賃貸住宅「コレクティブハウスかんかん森」2~3階)、介護型の高齢者住宅(4~6階)および高齢者が自立して生活する住宅(7~11階) (「ライフ&シニアハウス日暮里」)が共存している複合施設である。

同施設の内部の見学をさせていただくと共に、日暮里コミュニティで中心的に活躍されている方々、かんかん森の入居者の方々、「キッズガーデン保育園」の園長などのお話を伺った。

 最近では、ひとつの家(ハウス)などをシェアして住む居住形態であるシェアハウスやマンションの居住性を持ちながらも共用空間を備えているソーシャルアパートメント、さらに複数の利用者が同じスペースを共有するシェアオフィスや異なる業種や年代の多様な人々が集まり、アイデアや知識・技能などを共有する場所であるコアワーキングスペースなどは社会的に注目を集めており、利用者も増えてきている(注1)。

 そのようなコンテクストから考えた場合、「日暮里コミュニティハウス」は、世代複合型ハウスというだけでなく、最近の居住における「シェア」という考えを実践してきた先駆けであるともいえる。また、同ハウスは、「地元をよくしたいという理念で働くグループとの協働や、町会との災害時相互応援協定締結なども行いながら、地域と共に歩んでい」(出典:日暮里コミュニティのパンフ)るという。

 これまで日本は、東京を中心とする都市部への人的移動が中心になされてきた。それは、特に戦後の社会的上昇志向や、個人主義的志向の高まりなどにより地域におけるコミュニティなどに基づく人間関係を避けたいという傾向等から生まれてきたものである。だが、そのことは、地域のコミュニティの崩壊を生むと共に、都市部に多くの核家族を生みだし、その結果として都市部のコミュニティの形成にはつながらなかった(注2)。

 日本全体が、高度成長で上昇志向であった時には、それでも大きな問題は起きなかった。だが、バブル経済の崩壊後には、様々な新たなる問題や課題が生じるようになる。

それらに対しては、政府などもいろいろな試みや政策をしてきたが、十分な対応には至らなかった。それは、当然と言えば当然であった。社会のすべての問題、特にきめ細かく柔軟で迅速な対応が必要な現場の日常的なニーズや心的な問題・課題に、政府が対応・解決できないことは当然だからである。そのようなコンテクストの中、NPO・NGO,市民活動、社会起業家なども様々な形で活動し、その社会的重要さも増してきている。

 しかしながら、その土台にというべきか、やはり家庭や地域コミュニティというものの役割や意義も無視できないものなのである。もちろん、現代のようなデジタルエイジにおいては、従来のような血族や地縁に基づくものとは異なった形態や可能性があってしかるべきだろう。

「家族」に関しては、最近も話題になっている、特別養子縁組や里子の問題や養護施設に関する問題等もあるし、コミュニティの観点からは、ネットやSNS上のバーチャルコミュニティなども重要になってきている。

だが、別の意味あるいはリアルの意味において、新たなる「家族・疑似家族」や新しい「コミュニティ・疑似コミュニティ」というものが必要になってきているといえる。先述したようにシェアハウス、シェアオフィスなどもその現れであろう。

いずれにしても、今後さらにさまざまな形で、このような「家族・疑似家族」や「コミュニティ・疑似コミュニティ」が必要になるし、生まれてくることが予想されるところである。

今回の見学会で、「日暮里コミュニティハウス」に関わる方々のお話しも伺ったが、

同ハウスの運営や生活は、良い面もあれば様々な課題もあるということを実感した。

しかも、それは、人間が住むコミュニティである限り、人の出入りがあり、それにより人的ネットワークや楽しさもある反面、多様な人材が関わるので、運営や調整においてもさまざまな問題や課題も生まれる。また人間は年を重ねる存在である以上、そのコミュニティの運営をしていく上での人的高齢化の問題などもある。要は、日々の目先のことや短期的なことも考える必要があるが、それだけではなく中長期的に見ていくことも必要なようだ。

 いずれにしても、「日暮里コミュニティハウス」は、出来てからすでに10年以上が経過して、さまざまな経験や知見が集まってきているようだ。それらは、現在そしてこれから生まれてくるであろう、「家族・疑似家族」や「コミュニティ・疑似コミュニティ」でも十分に活用できるものであると考えることができる。それらの蓄積された経験・知見を社会的に活用する方策を考えるべきステージにきているといえるかもしれない。

 最後に、今回の見学会の講師の一人で、「日暮里コミュニティハウス」の建設のはじめの頃からそして現在も関わっている「株式会社長谷川シニアホールディングス」「株式会社生活科学運営」の浦野慶信代表取締役が指摘されていた言葉が、印象的であったので、それを記しておきたい。

 「面倒くさいことをやる人に給料を多くやるように仕組みがあれば、こういうこと(「日暮里コミュニティハウス」など)に関わるが、そうなっていない。」

「会社は、結果として計画通りにならなかったら、それを飲み込むことはできるが、初めからわからないこと(「日暮里コミュニティハウス」もある意味その典型であるといえるかもしれない)をやる会社は少ない」

 それらの言葉からも、多くのステークホルダーが関わり、多様な意見があるなか、「日暮里コミュニティハウス」のような新しい試みをすることがいかに大変であるかがわかる。

また、そのことは、多様なアクターが関わる民主主義における合意形成や政治にもつながるものであると思った。つまり、「日暮里コミュニティハウス」の活動と運営は、正に民主主義における合意形成であり政治であるということだ。

いずれにしても、「日暮里コミュニティハウス」は、日本の今後や民主主義の問題を考える上で、さまざまな視点や課題を提供しているといえそうだ。

(注1)これらのこととの関係で付け加えておくと、家庭や職場以外の場としてのサードプレイス(拙記事「次々生まれる新しい「コトづくり」コミュニティと「場」「銀座に農業の拠点!?  新たに誕生した『サードプレイス』」参照)などの考え方も普及してきている。そして外部の人材などとの交流など通じて新しいものやアイデアを創り出していく、オープンイノベーションの場を企業など続々オープンし運営するようになってきている。なお、オープンイノベーションは、「自社技術だけでなく他社が持つ技術やアイデアを組み合わせて、革新的な商品やビジネスモデルを生み出すこと」(出典:ITpro)を意味する。

(注2)戦後の疑似家族・疑似コミュニティとして、「会社」があり、それがそれなりに機能してきた面がある。しかし、若い世代の台頭、終身雇用・年功序列の困難化などの要因から、会社がそれらの機能を維持できなくなってきており、今後はさらに難しいことが予想される。

政策研究アーティスト、PHP総研特任フェロー

東京大学法学部卒。マラヤ大学、米国EWC奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て東京財団設立参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長・教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。新医療領域実装研究会理事等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演多数。最新著は『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』

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