香川・坂出沖の客船沈没と紫雲丸事故
11月19日夕方、香川・坂出沖で発生した客船沈没事故。乗客らは全員無事に救助されたが、昭和30年5月11日、高松沖で起こった紫雲丸事故では濃い霧のなか、168人の尊い命が失われた。65年が経った今、海難事故を防ぐ取り組みは気象衛星に引き継がれた。
当時は風弱く、薄曇り
11月19日16時40分ごろ、香川県坂出沖で、客船が船底から浸水し、沈没する事故が発生しました。乗船していた修学旅行中の小学生ら62人は高松海上保安部の巡視船や付近を航行中の漁船などによって、全員無事救助されました。
現場は坂出市の沖合、瀬戸大橋下の海域です。当時の天気は晴れまたは薄曇りで、弱い南から東寄りの風が吹いていたようです。
午後3時、高松地方気象台では視程(見通せる距離)が25キロとなっていて、強風や波浪の警報・注意報は出ていませんでした。また、現場海域の水温は約19度とみられます。
濃い霧のなかで「紫雲丸事故」
この事故を聞いて、思い出したのは紫雲丸事故です。昭和30年(1955年)5月11日朝、高松沖で国鉄宇高連絡客船の紫雲丸と宇高連絡貨物船の第3宇高丸が衝突し、乗客ら168人が犠牲になりました。亡くなった168人のうち、100人が修学旅行中の児童で、全国に与えた衝撃は大きく、日本の重大海難事故のひとつとされています。
当時の天気図をみると、日本海に低気圧があり、南から湿った空気が流れ込み、全国的に雲の多い天気だったとみられます。高松沖では濃い霧が発生していました。
海難審判の記録によると、事故の原因は濃霧のなか、客船と貨物船の双方が速度を落とさずに航行したこと、紫雲丸が第3宇高丸に接近して船首を左転した、紫雲丸船長の運航上の過失にあるとされました。
この海難事故をきっかけに、四国と本州を結ぶ3連絡橋のうち、児島・坂出ルート(瀬戸大橋)が最初に建設される機運が高まったとされています。
なお、紫雲丸の名前は栗林公園(高松市)の借景となっている紫雲山(標高約200メートル)にちなんだものです。
気象衛星ひまわりで霧をキャッチ
霧は細かい水滴や氷晶が空中に浮かんでいて、見通せる距離が1キロ未満になる現象です。いうなれば、雲が地面に接した状態といえるでしょう。霧による交通機関への影響は大きく、海上に発生する霧は海難事故を引き起こします。
これまでは気象台や船舶による観測が主で、海上に発生する広範囲の霧や夜間の霧を把握することは困難でした。しかし、2015年7月7日に運用を開始した、現在の気象衛星ひまわり8号は初のフルカラー画像となり、観測できる雲の種類が飛躍的に増えました。これまで苦手としていた霧の観測にも力を発揮しています。
こちらは気象衛星ひまわり8号が捉えた、瀬戸内海の霧です。
早朝5時の薄暗い時間ですが、赤破線で囲んだ、灰色にみえる場所が霧です。高松地方気象台でも4時から5時にかけて、濃い霧を観測しています。
【参考資料】
国土交通省 海難審判所:日本の重大海難、汽船紫雲丸機船第三宇高丸衝突事件
高松海上保安部:備讃瀬戸の安全通航のために、平成15年6月
デジタル台風:過去の天気図
木下仁、成田正巳、吉松雅行、2017:第6章 ひまわり8号の画像を利用した霧の監視、平成28年度予報技術研修テキスト、気象庁予報部、94-114.