勘ちがいの暴走将軍?それとも人の心を改革した名君?【徳川綱吉】
とつぜんですが、あなたはいままで、落とし物が交番に届けられ、返ってきた経験はあるでしょうか?
そんな国、じつはセカイ中をみわたしても、たいへん珍しいのです。
最近ではサッカーワールドカップやWBCで、スタジアムを清掃する日本サポーターが、世界中から称賛されました。
誇らしいことですが、そもそも日本はなぜ、そのような国民性になったのでしょうか?
それは、もしかすると江戸幕府の将軍・徳川綱吉(つなよし)のおかげかも知れません。
しかし彼は、世間一般においては、評価が良くありません。
それどころか暴走を重ね、皆を大混乱させた、ダメ将軍というイメージが強い人物です。
いったい、何が本当なのでしょうか?
2つの評価を並べつつ、その素顔に迫ってみたいと思います。
人間より犬がエラい?生類憐みの令
ときは江戸時代、1687年。5代将軍の綱吉が治める徳川幕府。
しかし彼は、なかなか子どもができないことを悩んでいました。
そうした最中、とある僧侶が『それは上様が前世に、犯した罪が原因ですな』と忠告。
『生き物を大切になされませ。上様は戌年でございますから、とくに犬を大切になされば、罪は浄化されましょう』
こんな、お告げを受けて一念発起。
綱吉『あいわかった。日本全国、すべての民にも、これを実行させようぞ!』
こうして、どのような生き物も(強制的に)大切にしなければいけない
『生類憐みの令』というお触れが、出されました。
その後、とある江戸の町では・・
町人A『てやんでい、この犬かみつきやがって。蹴りでもくらいやがれ!』
ゲシッ!
役人『やや、おぬし!今“お犬さま”に手を上げおったな。ええい!この者を捕えるのじゃ!』
法令に違反したものは捕えられ、牢屋へ入れられたり、刑罰を喰らわせられました。
町人B『うっとうしい蚊めが、ブンブン飛び回りやがって!』
ペチッ!
役人『やや、おぬし!いま“蚊さま”を殺しおったな?こやつを捕えるのじゃ!』
町人B『な、なに!どうなって、やがる。こんなコトかんがえやがった綱吉は、とんだバカ将軍だぜ!』
さらに綱吉は、ばく大な費用をかけ、各地に犬の保護施設を建設。
数万とも言われる“お犬様”が集められ、そのお世話をする人も大勢、雇われたと言います。
町人『あの犬公方(いぬくぼう)。オレたちから吸いあげた年貢で!ニンゲンと犬、どっちが大切なんでい!』
この天下の悪法には、庶民も武士も、怒り心頭。
徳川綱吉は歴代でも、愚かな将軍として、悪評を残しました。
・・と、ここまでが通常、よくある綱吉のイメージです。
それが最近になり、専門家の間で綱吉の評価を、見直す動きが増えつつあります。
それは、生類憐みの令のおかげで、すさみきった人々が道徳心を覚え、
人々の心を改革した名君という評価です。
色濃くのこる戦国の空気
この時代、徳川幕府の支配は、かなり安定しつつありました。
とはいえ、世の中にはまだまだ、戦国時代の風潮が、色濃く残っていたのです。
弱肉強食。生き残るためなら、何でもしたのが戦国。
生活で出たゴミなどは、適当に捨てるという、小さな常識はおろか
ときには死んだ動物や、人間でさえ・・
育てられない子どもや病人を、平気で捨ててしまう風潮がありました。
弱いものは、そのまま死んであたりまえという価値観です。
また「かぶき者」とよばれる荒くれが、江戸の町などを闊歩。
ケンカで人を殺してしまっても、それを武勇伝にする輩もいる始末です。
徳川綱吉は、思いました。
『なんという痛ましき光景、人の心を改めねば。命はもっと尊きものじゃ』
生類憐みの令は、動物ばかりが取り沙汰されがちですが・・
しかし儒教や仏教の教えをもとに、捨て子を禁止するなど、人間に向けて出されたお触れも、数多くありました。
綱吉は、言いました。
『自分さえ良ければ、という考えではいかん。皆で助け合って生きる事こそ、人間の美しき姿じゃ』。
助け合いの精神を教育し、また福祉政策として、弱い立場の人を助ける仕組みも整えられました。
町の公衆衛生や治安も、劇的に改善。
町人A「おい、てえへんだ!あそこで倒れてるやつがいるぞ。」
町人B「あんた、大丈夫かい!しっかりしろい。」
旅人「おお・・すまない!見ず知らずの人に、迷惑をかけてしもうたな。」
町人A「なに、水くせえこといってるんでい!人間、なにかあったら助け合うのが、あたりまえだ、てやんでい!」
こうして人々には、みずから人を思いやり、命をたいせつにする精神が根づきました。
また各地の“犬屋敷”も、ただお犬様をたてまつるというのでなく、
野犬が人を襲ったり、病気が広まったりといった事態を、防ぐためだったとも言います。
日本人のマナーと徳川綱吉
なお蚊を殺したら捕まった・・といったエピソードは、
後世に、面白おかしく脚色された、ウワサ話という説もあります。
また漁師が魚を取るなど、人が生きるために必要な殺生は、しっかり区別されていました。
・・少し前に戦国時代を終わらせた、秀吉や家康は、たしかに偉大な英雄です。
しかし、だからといって、すぐに人の中身までが、変えられたわけではありません。
その強大な武力には逆らえず、とりあえず戦乱は起きない“表向きは平和”といった面も、多くありました。
しかし、命令されたから“仕方なくやる”。
秩序を乱せば罰せられるから“やらない”ということではなく。
自らの良心に従って、自発的な助け合いを。
そのように人々を変えた視点でみると、ザンネンな将軍どころか
歴史に名を遺す“名君”ということが、出来るのではないかと思います。
現代にも生きる助け合いの精神
深夜でも女性が1人で、コンビニへ買い物に行ける。
電車で寝ていても、スマ―トフォンを強奪されない。
そんなのは、当たり前だと思うでしょうか?
しかし、海外の様々な国に行くほど痛感するのですが、
このような国は、ほんとうに珍しいのです。
・・歴史においては、愚かと評価されていた人物が、じつは真逆で、
すばらしい影響を与えていたということも、しばしばあります。
もちろん、考えや見方は人それぞれですが、ぜひ1つの評価に捕らわれず、
広い視点で、歴史を見て頂けましたら幸いです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。