中日の元外野手「じゃない方」のイ・ビョンギュ 37歳シーズン途中の引退を決断
韓国KBOリーグ・ロッテジャイアンツは7月22日、イ・ビョンギュ(李柄奎)の現役引退を発表した。かつて中日に在籍していたイ・ビョンギュ(李炳圭)、ではなく同姓同名の選手だ。
名字が約30万種あると言われる日本に対し、韓国は五百数十種と少ない。全人口の約45%をキム(金)、イ(李)、パク(朴)氏が占めることもあって、姓名が同じプロ野球選手が毎年数名在籍している。その中で今回引退を決めたイ・ビョンギュは、誰よりも名前に但し書きがつく選手だった。
「大、小」で分けられたイ・ビョンギュ
イ・ビョンギュは2006年に申告選手(現在の育成選手)としてLGツインズに入団。そのLGには9つ年上でリーグを代表するスター選手がいた。それが翌07年に中日入りし、10年にLGに復帰したイ・ビョンギュだ。
どちらも左投げ左打ちの外野手ということで文字メディアやスコアボードでは、名前の後に背番号を表記することで両者を区別。しかし現場の監督、コーチ、テレビの中継アナウンサーと解説者、そしてファンは2人をこう呼んでいた。
「大きいイ・ビョンギュと小さいイ・ビョンギュ」
元中日のイ・ビョンギュの身長は185cm。一方のイ・ビョンギュは178cm。体格的に前者の方が大きく、また実績でも差がある2人は当然のように「大、小」で分けられた。
日本ではちょっとした困惑も
名前、チーム、投打、ポジションが同じであっても、韓国内では混同されることはあまりなかった2人のイ・ビョンギュ。しかし沖縄での春季キャンプでは違った。
LGと日本の球団との練習試合。場内アナウンスで「イ・ビョンギュ」の名がコールされるとファンからパラパラと拍手が送られた。しかし打席に入っているのは小さい方ということもしばしば。そして小さい方の背番号が、中日時代に大きい方が背負っていた7番であることも観客を少々困惑させた。
また両イ・ビョンギュが揃って先発出場することも少なくなく、2者続けてイ・ビョンギュの名がコールされた時には、首をかしげる観客の姿もあった。
後輩の小さくない活躍
「小さい」と呼ばれ、「じゃない方」扱いだったイ・ビョンギュは20代後半に実力を発揮する。10年に初めて100試合以上に出場。本塁打12本を記録した。30歳になった14年には主に4番に座り規定打席に初到達。打率3割6厘、チームトップの16本塁打、87打点をマークした。
不利なカウントを苦にせず、14年に放ったホームランの半分は2ストライク以降に記録したもの。1打席あたりの被投球数はリーグ2位の4.32で、追い込まれたカウントで逆方向に強い打球を放つ姿が印象的だった。
成長したその姿に40代になった先輩イ・ビョンギュは後輩イ・ビョンギュに、時折冗談めかしてこう声をかけた。
「おい、オレと名前を換えてくれ」
つかみどころのない性格の大きいイ・ビョンギュが発したこの言葉には、何とも言えない味わいがあった。
3人目のイ・ビョンギュも出現
日韓通算で2,296本の安打を重ねた大きいイ・ビョンギュは16年限りで引退。現在はLGで打撃コーチを務めている。そして小さいイ・ビョンギュは今季途中での引退を決断。現在はコーチ修行中だ。
「選手生活の終盤(18年から4年間)をロッテで悔いなく過ごすことができて良かった。悩んだ末に後輩に道を譲るべきだと引退を決めた。コーチとして選手を指導する機会をくれた球団に感謝し、これから新たな立場でチームがいい方向に進むように努力したい」(ロッテ球団発表コメント)
通算成績は835試合に出場し打率2割7分8厘、621安打、75本塁打、366打点。ケガが多くシーズン通して活躍した年は限られたが、育成選手からスタートし16年間の現役生活を全うした。
選手としての幕を下ろした大小のイ・ビョンギュの歴史。一方で17年に3人目のイ・ビョンギュ(李丙珪)がプロ入りしている。94年生まれ、身長175cm右投げ左打ちのキウムヒーローズに所属する内野手だ。2人のイ・ビョンギュを見て育った「新しいイ・ビョンギュ」は初の1軍出場を目指している。
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