「無音」の統一地方選挙をどのように捉えるのか
4月12日投開票の、統一地方選挙前半の選挙戦が少しずつ始まっている。3月26日に統一地方選挙の知事選が告示され、選挙運動期間に入った。29日には政令指定市の市長選挙の、4月3日には地方議員選挙の告示が控えているが、無風どころか、メディアでも注目すべき点や争点が話題になっておらず「無音」である。メディアが報じているのは、統一地方選挙が実施されるという事実ばかりである。
5政令市長選が告示=札幌で自・民対決【統一選】(時事通信)- Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150329-00000015-jij-pol
統一地方選 知事選きょう告示 選挙戦スタート NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150326/k10010027971000.html
幾つかの理由が考えられるが、たとえば知事選は、北海道、神奈川県、福井県、三重県、奈良県、鳥取県、島根県、徳島県、福岡県、大分県の計10の自治体で実施されるが、このなかで自公との民主の対決になっているのは、北海道と大分県の2つに限定されている。それ以外では、自公も、民主も、同じ候補者を支援する。
地方選挙はもちろん地方のあり方を決めるものだが、現実に日本の地方政治が国政と連続性がある以上、同時に国政への賛否のひとつのバロメータとなる。その選挙で対立図式がない以上、争点が明確になりにくく、さらに国政に対する賛否の「決着」がつきにくく、全国メディアでは取り上げにくくなる≒取り上げる文脈が明確でなくなってしまう。
この傾向は地方議員選挙になると、より顕著になる。
統一地方選:道府県議選23%が無投票 過去最高の可能性- 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20150329k0000m010145000c.html
毎日新聞は、立候補者が少ないなどの理由で、無投票が過去最高になる可能性が増していると報じている。選挙は、有権者による政治選択の契機だが、現在の制度では、選択の機会すらなくなってしまう。
ところで、このようななかで、どのように政治や選挙に関心を持てばよいのだろうか。最近は、選挙の普及啓発にあたって、楽しい選挙や、かっこいい政治家像を打ち出す傾向が増しているようだ。アイドルをポスターに起用してみたりというのも、そのような路線の一つだが、おそらくは若年世代を中心に投票率が低迷するなかで、選挙の普及啓発の苦肉の策なのだろう。
筆者が先日登壇した投票の普及啓発イベントでも、筆者以外の登壇者は少なからずそのような論調だった。
ネット選挙の在り方考える | 東日新聞
http://www.tonichi.net/news/index.php?id=43704
18歳選挙権の実現も現実味を帯びてくるなかでは、若年世代の耳目を集めようということなのだろう。同時に、新聞社の社説で見られるような(そして、同時になんら機能的な意味をもたないようにも見える)、堅苦しい「政治に参加するべきだ」という規範的見解へのアンチテーゼとしての側面もあるのかもしれない。
だが、規範的な路線と過剰にファンな路線の狭間で忘れているのは、丁寧に政治と選挙の意味を伝えていく作業ではないか。そもそも統一地方選挙とは何で、首長を選ぶとは、地方議員を選ぶとはどのような意味を持つのか、そのうえで今回の選挙の争点はどのようなもので、候補者は何を主張しているのかということを丁寧に伝えていく作業が行われていないように感じる。
日本の教育課程では、具体的な政治を扱う機会は模擬投票などを除くと多くはないから、前述のようなごく基本的な選択のフレームワークを丁寧に伝えていく作業がジャーナリズムや、選挙の普及啓発のプロセスでも必要に思われる。
こうした道具建てがないことには、選択を行うことは難しい。楽しい、かっこいいというフックだけでは、結局、誰を、どの政党を選択するのかを考える指針にはならないから、あまり投票促進につながるように思えない。投票所を大学や、ショッピングモールなど、人が集まる場所に設置する試みも増えていて、これらは投票に必要な物理的コスト低減に一役買っている。選挙の普及啓発にあたっては、トレンドに流されるだけではなく、ベーシックな方法のアップデートも考えてもよい気がする。