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官房長官会見における文科省による生成系AI活用検討に関する言及と教育に与える影響の「根本問題」

西田亮介社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授
(写真:當舎慎悟/アフロ)

どうなる? 学校教育における「ChatGPT」活用 文科省が資料取りまとめへ 官房長官が方針示す(ITmedia NEWS)

https://news.yahoo.co.jp/articles/edf866aaaa31026a96dab943ceba096e5e1e6680

※ (直接の官房長官受け答えは動画1:30あたりから)令和5年4月6日(木)午前 | 官房長官記者会見 | 首相官邸ホームページ https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/202304/6_a.html

今、各界で話題の生成系AIについて、文科省がメリットとデメリット、いわゆるメリデメ踏まえた参考資料を作る方針だという。生成系AIの発展は昨年秋のOpenAI社のChatGPTの公開以後、日本でも今年に入って急に関心が高まり、報道量も増えた印象だ(日本では「ChatGPT」という固有名詞への関心がやたらと高い?)。

2023年に入ってからの「generative AI」「生成系AI」「chatGPT」「bing」「GPT4」のGoogleTrendsの検索結果。
2023年に入ってからの「generative AI」「生成系AI」「chatGPT」「bing」「GPT4」のGoogleTrendsの検索結果。

タイムリーといえばタイムリーだが、不幸といえば不幸だ。というのも、ちょうど中央教育審議会(中教審)が2023年3月に次期にあたる「第4次教育振興基本計画」に関する答申を出したところだからだ。

次期教育振興基本計画について(答申)(中教審第241号):文部科学省 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1412985_00005.htm

教育振興基本計画は5カ年計画で、ある意味当然のことながら、生成系AIについてはほとんど踏まえられた形跡はない。それゆえ、文科省での検討はよほどのことが無い限り、基本的には現在の方針やあり方を踏襲するものにならざるをえないことが想像される。

全体的に本文中の記述は従来的なDXや「DXを支える人材」、STEAM教育、デジタルの重要性と対面の重要性が併記されるなど、これまでのICT観の延長線上に留まっている。例えば下記のような記述がある(上記p.11〜12、p.22より引用。強調は引用者による)。

① グローバル化する社会の持続的な発展に向けて学び続ける人材の育成

(社会の持続的な発展に向けて)

○ 将来の予測が困難な VUCA と言われる時代の中で、個人と社会のウェルビーイングを実現していくためには、社会の持続的な発展に向けて学び続ける人材の育成が必要である。グローバル化やデジタルトランスフォーメーションは労働市場に変容をもたらしており、これからの時代の働き手に必要となる能力は変化している。AI やロボットによる代替が困難である、新しいものを創り出す創造力や、他者と協働しチームで問題を解決するといった能力が今後一層求められることが予測され、こうした変化に教育も対応していく必要がある。

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DX の推進に当たっては、デジタル機器・教材の活用はあくまで手段であることに留意することが必要である。教育 DX を進めた上で、デジタルも活用して問題解決や価値創造ができる人材の育成こそが目指されるべきである。

他方で、生成系AIサービスを使ってみた人はすぐに「本当にこれまで人間が独占してきた技能や能力は人間にしかできないことなのか」という疑問を直感するはずだ(たぶん)。その意味ではやむを得ないが、教育の前提がゆらぎ始めている認識や危機感はかなり薄いように見受けられる。

今、問われるべきは、「生成系AIがこのまま発展、普及した社会において、教育は可能か?」「その社会における教育とはどのようなものか?」「そして、その教育は誰に、どのように担われるべき/担いうるか?」といった根本的な問いではないか。

「(学校)教育」には良くも悪くも、教員と生徒、学生のあいだの事実上の知識の非対称性や非対等性を前提にしているがゆえに自明に成立している側面がある。もしそれらが崩れるとき、「教育」はなぜ、どのように可能なのかはそれほど自明ではない。また同時に(それぞれの国、社会における)学校教育には社会規範や秩序の内面化、いわゆる「人間的成長」の側面がある。

生成系AIの発展によって、「自分のアタマ(思考力)を使っているがパフォーマンスが低いローパフォーマー(「ローパフォーマンスな人間」)」と、「自分のアタマを(あまり)使っていないがパフォーマンスが高いハイパフォーマー(「ハイパフォーマンスなゾンビ」)」のどちらが好ましい人材かという主題に本格的にアタマを悩ませる日も遠くなさそうである。人間的な存在は確かに前者だが、日本企業が(潜在的に)求めてきた/いるのは後者ではなかったか。

もちろん重要なのは「生成系AIを使わずに人間でいますか。それとも使って人間辞めますか?」という乱暴な二択を回避して、「人間的なハイパフォーマー」は可能か。そしてそのような人材はどのように定義され、どのように「教育」、育成できるかを検討することだと考えるが、そもそもそのような問いが日本の教育分野で真剣に検討される日が来るのが先か、現実に「ハイパフォーマンスなゾンビ」が巷を跋扈する日が先か些か怪しい気配を感じている。皆さんはどう考えますか?

社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

博士(政策・メディア)。専門は社会学。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助教(有期・研究奨励Ⅱ)、独立行政法人中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授、東京工業大学准教授等を経て2024年日本大学に着任。『メディアと自民党』『情報武装する政治』『コロナ危機の社会学』『ネット選挙』『無業社会』(工藤啓氏と共著)など著書多数。省庁、地方自治体、業界団体等で広報関係の有識者会議等を構成。偽情報対策や放送政策も詳しい。10年以上各種コメンテーターを務める。

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