このままドル高が進めば「通貨危機」?
==「円」に続いて「ユーロ」も通貨安競争に参戦か?==
ECB(欧州中央銀行)のドラギ総裁の「為替レートは政策目標ではないが、ユーロの上昇には注視していく」という発言が、ユーロ高に対する懸念と判断されてユーロが急落した。これで、円安誘導を軸とするアベノミクス推進中の日本、そして欧州通貨危機の影響が色濃く残るEUが揃って「通貨安」に舵を取ったことになる。円とユーロが安くなれば、米ドル高が進むことになるのだが、結果的にそれ以外の通貨も自然に高くなると考えていい。
特に、米ドルとレートをシンクロ(連動)させる「ドルペック制」を採用している国は、意図せずに円やユーロに対して相対的に高くなる。あるいは、自国の通貨を複数の通貨に連動させる「通貨バスケット」を採用している国も、実質的に米ドルと連動するようにしている国が多く、このままの状態が長引いた場合、様々な問題を引き起こす可能性が出てくる。
少なくとも、米ドルがさらに高くなって円安、ユーロ安が進んだ場合、あるいはドル高が長期化した場合、どんな影響がが出てくるのか不透明だ。通貨戦争と呼ぶには、もう少し円安、ユーロ安が進んで顕著になる必要があるが、いずれにしてもアベノミクスをきっかけに始まった「通貨安競争」は、このまま推移すれば次の段階を心配する必要が出てくるはずだ。
==アジア通貨危機を招いた米国の「ドル高政策」==
かつて、米国が日本との貿易不均衡に苦しんでいた1990年代、米国はそれまで採用していたドル高政策を修正して、ドル安に方向転換したことがある。その結果、1ドル=79円75銭(1995年4月)という歴史的な円高が実現することになるのだが、その後、米国は再びドル高に転換する。ロバート・ルービン財務長官の「強いドルは国益に適う」という有名な発言によって、再度ドル高政策へと方向転換したわけだ。ルービン財務長官による強いドル政策によって、米国への資金流入を狙ったのだ。その結果、1998年8月には1ドル=147円台という円安を実現する。
つまり、1995年から1998年8月まで、約3年間に渡って「ドル高政策」が実施されたわけだが、その原動力はルービン財務長官の口先介入だったといってもいい。なにやら立場や環境は大きく異なるのだが、現在のアベノミクスと似ているような気がするのは私だけだろうか。いずれにしても、問題はこのドル高政策によって吹き出た「副作用」だ。
1997年7月、タイ通貨の「バーツ」はヘッジファンドなどのリスクマネーによって売り浴びせられる。バーツを皮切りにインドネシアやマレーシア、韓国などの通貨も大きく売られる。いわゆる「アジア通貨危機」の幕開けである。当時のアジア通貨はタイに限らず、米ドルと連動するように「ドルペック制」や「通貨バスケット制」を採用しているところが多かった。為替変動によるリスクを最小限に抑えようとして、基軸通貨である米ドルと連動させて通貨を安定させようとしていたわけだ。
しかし、このドルペック制が危機の原因を作る。1990年代前半は米ドルが安く推移していたために、アジア各国も輸出産業が伸びて輸出で稼ぐ経済成長メカニズムを形成しつつあった。ところが95年以降、米国の勝手なドル高政策によって、通貨をドルに連動させていた国の通貨も上昇。アジア各国の通貨が割高に過大評価される状態が続いてしまったのだ。
この異常な事態に注目したのが、ヘッジファンドである。中でもマクロ経済の歪みを狙って投資していく「グローバル・マクロ」と呼ばれる投資戦略が中心になって通貨の「売り」を仕掛けていく。過大評価されている通貨は、やがて適正な水準に戻るとする「再帰省理論」を信ずるジョージ・ソロスをはじめとして、ヘッジファンドが大量の資金を使ってアジア通貨を売り浴びせたわけだ。後に「血塗れのバーツ(タイ)」「IMF危機(韓国)」と呼ばれた経済危機がアジアを襲う。
このアジア通貨危機は、タイからインドネシア、マレーシア、韓国へと飛び火して、やがてはブラジルの債務不履行による経済危機につながっていく。さらに、ロシアが1998年8月に自国通貨建ての国債で不履行を起こしてロシア危機が始まる。ロシア危機が原因で、米国の大手ヘッジファンド「LTCM(ロングタームキャピタルマネジメント)」も破綻。ここに来て、米ドルは一気に下落して再び円高が始まる。
日本も、1998年10月には円が急騰して2日で20円も円高になる乱高下を経験している。同時期に日本長期信用銀行を国有化するなど、日本も金融危機に襲われていた。ちなみに、ロバート・ルービン財務長官はゴールドマンサックスの共同会長を務めた後、クリントン政権時代の財務長官となり、アジア通貨危機、ロシア危機、ブラジル危機などの経済危機を切り抜けた名財務長官とされている。
==アベノミクス、通貨だけなら寿命は最長3年?==
むろん、1990年代と2010年代の世界経済や金融市場は、簡単に比較できるものではない。環境や金融市場のシステムも大きく変化していいるし、ヘッジファンドもアルゴリズム取引が一般的な現在と違って、コンピュータのプログラム売買は始まったばかりだ。ただ、過去の歴史に学ぶことも大切であり、ルービン財務長官の「強いドルは国益」という発言が一人歩きしてドル高となり、その結果としてドルに連動していたアジア通貨までもが高くなって通貨危機を引き起こしてしまったことには教訓が隠されているはずだ。今回のアベノミクスも、安倍自民党総裁(当時)が円安を総裁選のテーマにしたところから、円安の流れが一人歩きしてしまった感がある。
面白いことに、ルービン財務長官のドル高政策転換時、日本は日本社会党(当時)の村山富市内閣が政権をとっていた。自民党が政権から滑り落ちたときには円高が進み、その後に政権を奪還した橋本龍太郎内閣が1ドル=147円まで円安を進めている。
こうした歴史を振り返って言えることは、結局、内容が伴わない為替政策はせいぜい3年が限度だということだろう。そもそも為替市場のトレンドはもって数ヶ月といわれる。ルービン財務長官のドル高政策も、基軸通貨国である米国だからこそ3年も持ったのであり、円やユーロががんばってもそう簡単に安くはできない。現在の円安も、米国が容認しているという雰囲気が為替市場に流れているから続いているだけだ。
かつて米国は、1980年代に「レーガノミクス」と呼ばれるドル高政策をほぼ10年近く実施したが、その副作用によって「双子の赤字」を米国にもたらしてしまった。為替や商品、株式が市場で価格形成されている以上、いずれは適正な価格に戻る。現在の円安が適正なものかどうかは、やがてマーケットが答えを出してくれるということだ。
アベノミクスが、為替政策だけで日本経済を何とかしようとするなら、その先は見えている。最近、安倍首相はインフレ目標と円安の責任は日銀の責任、といったニュアンスの発言をすることが多くなっている。アベノミクスという名前がついている以上、最大の責任は安倍首相自身にあることを忘れないことだ。そして、インフレ目標=円安誘導政策だけに頼る政策では、いずれまた超円高に襲われる可能性も残っている。