「勝てばドイツ人、負ければ移民」2つの祖国に引き裂かれたMFエジル 独サッカー連盟に怒りの代表引退
代表引退のツイート
[ロンドン発]サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会で1938年以来、2度目の1次リーグ敗退を喫したドイツのMFエジル(アーセナル)がツイートに投稿した4枚の書簡で、「勝てばドイツ人、負ければ移民として扱われた」とドイツサッカー連盟(DFB)のラインハルト・グリンデル会長を非難して代表からの引退を表明しました。
ドイツでは2000年代に入ってから移民の第2、3世代である「M(多文化主義)世代」が増えました。トルコ系移民3世のエジルはM世代の新星でした。しかし、試合前にドイツ国歌を斉唱せずにイスラム教の聖典コーランを唱えていることから、常に独メディアの批判にさらされてきました。
英イングランド・プレミアリーグでプレーするエジルとギュンドアン(マンチェスター・シティ)が今年5月、トルコ大統領選を控え、ロンドンを訪れたレジェップ・タイップ・エルドアン大統領と会い、クラブのユニフォームを手渡して写真撮影に応じたことが、ドイツ国内で政治論争を巻き起こしてしまいます。
トルコはメディアやソーシャルメディアの弾圧や人権侵害で欧州連合(EU)やドイツと対立。トルコ国内では16年のクーデター未遂事件以降、大規模な公職追放が強行され、トルコ系ドイツ人ジャーナリストも逮捕されていることから、ドイツ・トルコ間では政治的な緊張が高まっています。
ドイツの価値観とは相容れない「独裁者エルドアン」の選挙キャンペーンを応援したとして、ドイツ代表のエジルとギュンドアンは予期していなかった政治論争に巻き込まれます。
ギュンドアンは「私の大統領に敬意を込めて」とユニフォームにサインしていたため、謝罪に追い込まれました。一方、同じくトルコ系ドイツ人プレーヤーのジャン(当時リバプール)はエルドアン大統領からの招待を辞退しました。
「右翼プロパガンダに利用された」
屈辱的な1次リーグ敗退の責を誰に帰すべきか――。エジルにとっては、トルコ系という自分のルーツに責任をなすりつけようとしたDFBのグリンデル会長の対応がどうにも我慢ならなかったようです。エジルの書簡は悲しさと虚しさ、そして怒りに満ちています。
「私はドイツで育ったが、家族はトルコにルーツを持っている。私にはドイツとトルコの2つのハートがある。子供の頃から母親に、自分のルーツを大切にし、絶対に忘れてはいけないと言われて育った」
「私は5月、ロンドンでの慈善イベントでエルドアン大統領に会った。最初に会ったのは10年、大統領とアンゲラ・メルケル独首相がベルリンでドイツ対トルコの試合を観戦したあと。それから世界中でエルドアン大統領と会うようになった」
「私はウソをついていると糾弾されたが、大統領と一緒に写真を撮ったことに政治的な意図は全くなかった。私にとってエルドアン大統領と写真を撮ることは政治や選挙に関するものではなく、家族の出身国の最高位の職に敬意を示すものだ」
「実際のところ、エルドアン大統領とはいつものように彼が若き日、プレーしていたサッカーについて話しただけ」「エリザベス英女王もテリーザ・メイ英首相もロンドンで大統領を歓待した。トルコの大統領であろうとドイツの大統領であろうと、私の対応に違いは何一つない」
「あるドイツの新聞は私のルーツやエルドアン大統領と撮った写真を、さらなる政治的な論争を巻き起こすため右翼のプロパガンダとして利用している」
「彼らは私やドイツ代表のパフォーマンスを批判せずに、私がトルコに持つルーツや誇りを批判した。これは越えてはならない一線を越えている。新聞はドイツと私を敵対させようとしている」
「元ドイツ代表のマテウスが世界の政治指導者と会っても何の批判もされない。DFBでの立場にかかわらず、何の説明も求められない。メディアのダブルスタンダードには失望している」
「スケープゴートになるのはまっぴらだ」
「この2~3カ月の間、DFB、中でもグリンデル会長にはフラストレーションを感じている。エルドアン大統領との写真が出たあと、レーヴ監督からホリデーを切り上げて、ベルリンに行って騒ぎを収めるため共同声明を出すよう言われた」
「グリンデル会長に自分の受け継いだ遺産、祖先、写真を撮影した理由を説明しようとしたが、彼は自分の政治的な見解を話し、私の考え方を矮小化することにご執心だった」
「フランク・ワルター・シュタインマイアー独大統領とも会ったが、グリンデル会長とは大違いで私の話に耳を傾けてくれた。シュタインマイアー大統領と共同声明を出すことで合意したが、グリンデル会長は主導権を取れなかったことに苛立っていた」
「W杯のあと責任を追及されたグリンデル会長は、もう一度私に(エルドアン大統領と写真を撮影した)行動を説明するよう求め、敗因を私に押し付けようとした。一度はベルリンですべては決着したと話していたにもかかわらずだ」
「私はこれ以上、グリンデル会長の無能と能力不足のスケープゴートにされるのはまっぴらだ。彼は写真騒動のあと、私を代表チームから追い出したかった」「彼と彼の支持者にとって、私は勝っている時はドイツ人、負ければ移民に過ぎないのだ」
「私はドイツ人ではないのか?」
「ドイツで税金を納め、ドイツの学校に寄付をして、14年W杯ブラジル大会で優勝しても、私はまだドイツ社会に受け入れられていない。私は『違うもの』として扱われている。移民統合が成功した象徴として表彰されてきたが、私は明確にはドイツ人ではないのか?」
「私の友人のポドルスキやクローゼはドイツのポーランド人とは言われないのに、なぜ私はドイツのトルコ人なのか。トルコだからなのか、私がイスラム教徒だからなのか。私はドイツで教育を受けたのにどうしてドイツ人として受け入れられないのか」
「あるドイツの政治家は私のことを『ゴートファッカー(イスラム教徒への蔑称)』と呼び、ドイツの劇場の主任はトルコの移民街へ帰りやがれと言った。差別を政治のプロパガンダに使うことは即座に辞任につながる忌むべき行為だ」
「こうした人々は私とエルドアン大統領の写真を、自分の奥底に隠してきた人種差別主義をぶちまける好機に使っている。これは社会にとって、とても危険なことだ」
「グリンデル会長へ。あなたはドイツ連邦議会の議員だった04年、二重国籍の容認に反対票を投じるとともに『多文化主義は現実には神話だ。ウソに過ぎない』と発言した。ドイツの多くの都市にイスラム文化が繁殖しているとも言った。容認できないし、忘れてはいけない」
「DFBや多くの人から受けた扱いは私にもうドイツ代表のユニフォームを着てプレーする気をなくさせた。私は求められていないし、09年に国際試合デビューを果たした時のことを忘れられているように感じる」
「人種差別の傾向がある人物は、多くのプレーヤーが多様な背景を持つ時代、DFBで働くことを許されるべきではない」「私はドイツ代表としてプレーする時、誇りに感じたし、興奮もしたが、今はそうではない」「人種差別は絶対に許容されてはならない」
難民危機で分断されるドイツ社会
100万人を超える難民がドイツになだれ込んだ15年の難民危機以降、ドイツ社会はイスラム系移民や難民をめぐって完全に分断され、反移民・難民の新興政党「ドイツのための選択肢」が大躍進しています。
「エジルの最後の長広舌は、トルコのイスラム文化圏から来た非常に多くの移民の統合が失敗したという典型的な例だ」と、「ドイツのための選択肢」のアリス・ワイデル氏はツイートしました。
エジルはドイツと対立するトルコという2つの祖国の間で引き裂かれるとともに、より多様で開かれたドイツと、イスラム系移民と難民に対する排他主義を強めるドイツの谷間に落ち込んでしまいました。
W杯を取材していると、選手たちは父親の祖国、母親の祖国、そして自分自身が生まれ育った祖国を持っていることが分かります。地域紛争であったり、先進国の労働力不足を解消するための移民であったり、複数の祖国を持つようになった原因の多くは先進国の植民地主義にさかのぼることができます。
ベルギー代表FWルカクも「すべてが順調に行っている時、新聞は、ルカク、ベルギーのストライカーと書く。しかし上手く行かない時は、ルカク、コンゴ人の子孫であるベルギーのストライカーと書かれている」と指摘しています。
元フランス代表FWベンゼマも「点を入れればフランス人、入れなければアラブ人だ」と打ち明けています。
貧富や地域の格差を超えるサッカーはグローバリゼーションの光です。ソーシャルメディアではエジルを支援する声が広がっています。政治対立が生む影がその光を覆い尽くすことがないことを祈らずにはいられません。
(おわり)