横山だいすけ うたのお兄さん卒業後、何を想う?「どんなところにいても子供たちに歌を届けていきたい」
放送開始から58年という、日本で最も、そして長く愛されている幼児番組「おかあさんといっしょ」(NHK Eテレ)。子どもの情操教育には欠かせないプログラムとして、親子三代で観続けているという人も少なくないはずだ。そんな番組に2月、激震が走った。11代目うたのお兄さんとして、9年間愛され続けてきた横山だいすけが、同番組を卒業する事になり、それがYahoo!ニュースのトップに取り上げられ日本中を駆け巡った。彼の歌と笑顔に癒され、元気をもらっていた子ども達とその母親が、“だいすけロス”に陥っているという現象もニュースになり、その存在の大きさが改めてクローズアップされた。“だいすけお兄さん”は、なぜそこまで子ども達と母親に愛される存在になったのか、そしてなぜ辞めようと思ったのかを、番組作りの裏側と共に聞かせてもらった。
「三世代で愛される番組の、その歴史の1ページを作っているんだということを、いつも胸に生活していた」
「「おかあさんといっしょ」という番組は、2~4歳の子ども達をメインターゲットとしていて、僕はそれ以外に外で仕事をやっていたわけでもなく、番組を9年間やらせてもらって、辞めるという事がニュースになって、ただただビックリしました」。横山はまず自分の事が大きく取り上げられたニュースについては驚きしかなく、改めて国民的番組であることと、それに出演していた自身の影響力の大きさを感じとった瞬間でもあった。
「“だいすけロス”という言葉を使って取り上げていただいて、そんな風に感じてもらえるというのは、やっぱり番組をより多くの方が愛してくださっているんだなと実感し、喜びと、感慨深いものがありました」。謙虚にそう話してくれる横山だが、親子三代に渡って愛されているこの番組に参加する事が決まった時は、相当な“覚悟”があったという。「僕が番組に加入した時に、“ミスターおかあさんといっしょ”的な存在の、番組創世期に携わった方々の色々な思いを受け継いだプロデューサーさんから、「おかあさんといっしょ」は三世代で愛される番組で、そんな番組を僕たちは作ってるんだよ」という話をしていただきました。歴史ある番組の、その歴史の一ページを自分たちが作らせてもらっているというのは、一年目の時から強く感じながらやっていました」。
劇団四季に入団するも、うたのお兄さんへ”転身” 「子供と音楽、好きな事を仕事にしたかった」
横山は元々音楽と子どもが好きで「好きな事を仕事にできたら幸せだなと思っていました。高校生の時読んだ本に、幼児期の子ども達の脳は柔軟で、何でも吸収できて、いかにいい音楽を聴かせてあげるかが、その子の心の豊かさに繋がると書いてあって。これを仕事にしたいと思いました」。そんな時にたまたま観た「おかあさんといっしょ」に、感化されたという。その想いを実現させるために、まず国立音楽大学音楽学部で声楽を専攻するという道を選んだ。うたのお兄さんは横山にとってまさに“天職”だったという事だが、大学の声楽科ではイタリアやドイツの歌曲を中心に、テノールとしての呼吸法や発声方法の基礎を勉強していたという。「歌曲の詞を、メロディの色に合わせて歌うという事を徹底的に叩き込まれました」と、子ども向けに何かをやっていたというわけではないが、このレッスンが、のちに大いに役立つ事になる。
横山は大学卒業後、難関の劇団四季の門を叩いた。とにかくうたのお兄さんになる事しか頭になかったという横山は、前任のうたのお兄さんが同劇団出身という事を聞き、同じ道を選択した。「大学時代は歌う時の体の基礎、体の使い方の基礎を学んで、それがあって、劇団四季に入ってから踊りながら歌うという、また違った発声方法や体を動かすという能力をつけさせてもらいました」。
劇団四季に入団後は『ライオンキング』などのミュージカルに出演するまでの実力をつけ、しかしやはり頭の中は、うたのお兄さん、だった。そしていよいよチャンスは巡ってきて、うたのお兄さんのオーディションに臨む事になった。「僕より歌がうまい人もいっぱいいましたし、外で子ども向けのイベントをやっていらっしゃる方もいました。僕は劇団四季以外の歌を歌った事がなかったので、何ができるのかなという感じでした」とオーディションの時の様子を、表情豊かに、まるで昨日の事のように語ってくれた。歌のうまさはいわずもがなだが、その人懐っこい笑顔と、ふんわりとした柔らかな雰囲気、人を惹きつける豊かな表情、そして何より子ども好きという、子どもはすぐ見抜いてしまうオーラを持っていること、そういう子どもに愛されるための条件を横山はトータルで持っていたということだろう。
そして見事合格し、「おかあさんといっしょ」の11代目うたのお兄さんに就任。夢が叶った瞬間だ。「うたのお兄さんになって、それまでやってきた一つひとつの事がこのためだったという感覚よりは、その瞬間瞬間、一生懸命やってきたことが、うたのお兄さんという仕事につながったと思っています」と合格した時の想いを語ってくれた。合格後は、それまでミュージカルの曲しか歌っていなかったという事で、膨大な数の童謡などを覚えるところから始まった。「研修の時に、作曲家の先生がレッスンをしてくれて「この番組は2~4歳児が観る番組だから、とにかく詞を届けてください。そのためにまず詞を読み込んでください」と言われました」。子ども達に言葉をきちんと届けるという事をまず叩き込まれたという。収録が始まってからは、観た事、聴いた事、感じた事を、どんどんスポンジのように吸収していく時期の子ども達の観察力、洞察力にいつも感心していた。「子ども達は僕達の事を本当によく見ていて、考えて見るというよりは、本能のまま見ているという感じで、スタジオ収録の時も僕らがちょっと疲れた感じが出ていたり、調子が悪いとすぐにそれが子どもに伝染してしまいます。最初に子ども達のところに挨拶をしに行った瞬間の反応でわかります。僕達の調子が悪い時は反応が薄かったり。控室に子ども達を迎えに行った瞬間からが本番なので、そこからはもうお姉さんと、ここはこうしましょうという話はしません。僕達が本当に心から楽しめば、それは伝わるし僕達がちょっとふわっとしていたら、子どもたちもちょっと一歩下がったところから見ている感じです」。
「子どもたちと常に新鮮な気持ちで向き合うため、9年間体調管理に一番気を遣った」
「おかあさんといっしょ」は1日最大3本収録する。毎回子どもの顔ぶれは違うので、一回一回違う空気の中で、9年間続けてきた。コーナーに変化はあっても大きな流れは変わらないので、そういう意味ではルーティンの9年間でもあった。そんな中でモチベーションをキープするために何をし、最も気を遣っていたところはどこだったのだろうか。「1回1回子どもたちは変わるので、1日3本収録しても毎回新鮮です。自分達が年数を重ねて行って、引き出しが増えてきて、こういう時はこれをやればいいと思っていても、子ども達の反応が毎回違うのでそれがうまくいく時もあれば、いかない時ときもあるし、常に自分たちも楽しみつつ、挑戦していくというか、子ども達が喜んでもらえるものを見つけていくというか。なので同じ事をやっている感覚はその瞬間は全然感じなくて。ルーティンと感じるのは、体調管理をキープする事です。やっぱり僕達の代わりはいないので、そこに一番気を遣いました」と語るように、笑顔の裏側には、心身共にフル稼働する激務に耐えるべく、しっかりとした体調管理がひとつの大きな仕事になっていた。しかし人間なので体調が悪い時もある。そんな時はチームプレイで危機を乗り越えていたという。「お兄さん、お姉さん4人のチームワークと、周りに助けてもらわなければ続かないことですし、キャストの一人が調子が悪そうだなと思ったら、ここ代わろうかとか、カメラが回ってないところでも子ども達と触れ合って進行していくので、そういうところをみんなで補ったりとか。あとは僕もお姉さんも声の調子が悪い時がたまにあるので、そういう時はディレクターさんが「セリフの割り振りを少し変えてみましょうか」とか、その場その場で対応してくれたり、技術さんが代わりに子ども達の相手をしてくれたり、見えないようにお水を出してくれたり……スタッフに本当に助けられました」と収録の裏話を教えてくれた。
1回の収録で45人の子ども達を相手にしていた。声を大きめに出して喋り、歌い、それを3本収録するとなると、ストレッチや準備運動などをルーティンワークにし、しっかり準備を整え、収録に臨まなければ最後まで持たなかったという。「僕達は幼稚園の先生の資格を持っているわけではないのですが、とにかく子どもたちがけがをすることなく楽しんで帰ってもらう事が大切で、やっぱりその瞬間すごく集中してやらなくてはいけません。カメラが回っている瞬間、子ども達にもし何かあった時は、僕達しか助けることができないんです。気を張りつつ、でもやっぱり子ども達の顔を見ていると自然と楽しくなって、いつも思い切り楽しんでいましたが、終わった後は、魂が半分抜けたような状態でした(笑)」。この番組を観る事が、生活のサイクルの中に入っている視聴者も多い。そんな親子の事を考えると、毎回少しでもいいものを作らなければ、そう思い続けた9年間だった。
テレビの「おかあさんといっしょ」だけではなく、チケットが入手困難になるほど人気の「ファミリーコンサート」を楽しみにしている親子も多い。「スタジオ収録は、どちらかというと親御さん達が家庭で、子ども達と一緒に歌っている感覚に近いものを、僕達等も意識して、温かい感じを届けたいと思っていました。でもコンサートは楽しさ、元気を届けるという感じで、体を大きく使って、歌も大きく届けられます。何千人という人達と一緒に盛り上がれる瞬間は、またスタジオとは違う感覚です」とその魅力を教えてくれた。
「歴史ある番組が続いていくために、自分は何ができるのか。次の世代にバトンタッチしていく事だと直感的に感じた」
「おかあさんといっしょ」はあと2年で放送開始60周年という節目の年を迎える。横山はそれを待つことなく、9年間でうたのお兄さんを辞めようと決意した。なぜこのタイミングだったのだろうか。「あまり9年、10年という時間の感覚はなくて、一番最初にプロデューサーさんに「子ども達と関わっていく中で、一年一年新鮮な気持ちを大切にしてもらいたい」と言われた事が、自分にとってはすごく大きくて。たくみおねえさんと2人で始めるにあたって、どんなことがあっても自分たちは常に新鮮な気持ちで、支えあってやっていこうと決意しました。そんな中で2年目に、番組の50周年記念コンサートがありました。その時、歴代のうたのお兄さんの先輩や番組を作ってきたスタッフの皆さんと会う機会があって。50年の歴史を刻み、また次の50年へ向けて進んでいく中で、自分がその1ページを作っていくんだと思ったとき、でもいつか終わりはくるんだなと漠然と考えました」。就任2年目に50周年記念コンサートという大舞台に立った時に、その歴史の偉大さと儚さを同時に感じ、“終わり”を意識したという。そして「去年、たくみお姉さんが卒業した事も大きかったです。番組が60年、70年、100年続いていくために残った自分は何ができ、何を残せるのかを考えました。それは次の世代にバトンタッチしていく事だと自分の中で直感的に感じ、すぐにプロデューサーさんに話をしました。スタッフさんとも色々な話をして最終的に決断しました」。普段から自分の意見をスタッフに積極的に話をしていたという横山の大きな決断に、プロデューサーもスタッフも理解を示してくれたという。
「おかあさんといっしょ」=”王道”の大切さ
子ども達へ、未来へ伝えていかなければいけない、残していかなかければという思いを、キャスト、スタッフ全員が共有し、使命を持って制作しているのは、伝統の力、歴史の力ともいうべきか。だからこそこの番組には変わらない“温かさ”がある。横山も長年番組に携わってきたスタッフが途中亡くなってしまったり、そういう事に向き合いながら、亡くなった人の番組への思いをどう繋いでいくかという事を胸に、番組を作り続けていた。そして先人たちが作り上げてきた番組の、“王道”の大切さに気づいたという。「強さですよね、芯があるというか、この番組は王道と言われますが、それは子どもたちに普段皆さんが恥ずかしくてなかなか言えないような、勇気とか元気、希望という言葉を、僕らが言葉にして伝えたり、歌にして発信することです。それが良いエネルギーとなってみんなの生活の一部、心の温かさとか強さにつながるかなと思っていて、それが「おかあさんといっしょ」の強さなのかなと思う瞬間もたくさんありました」。
卒業を発表してからは、色々な意味での重責から解放され、肩の荷が下りたという感覚はあったのだろうか。「それはあるかもしれないですね。常に体調をベストにキープするというプレッシャーからは解放された感じはありますが、その点は残っているメンバーの事も心配です。でも子どものための歌を、歌い続けたいという思いは、それはもう現役であろうとOBであろうと自分の生き方だと思っています」。
どんな時でも前向きで誠実な横山だからこそ、“だいすけロス”という言葉が生まれるほど支持されたのだろう。「もちろん声が出ないとか、色々な悩みというのは必ずついてくるものですが、でもやっぱり楽しい瞬間、幸せな瞬間がいっぱいあって、終わった時にその思い出が山のようにあって、自分がやってこられた時間というのは、本当に幸せなものでした」。この9年間でリリースした作品はなんと60作品、128アイテムにのぼる。そして6月7日には最後の贈り物、ベストDVD『「おかあさんといっしょ」 メモリアルPlus~あしたもきっと だいせいこう~』とCD『メモリアルアルバムPlus やくそくハーイ!』が発売される。「一曲一曲に色々な思い出があって、たくみお姉さんと歌った歌、あつこお姉さんと歌った歌は忘れられないですし、聴いている人もそれぞれ、その時の思い出があると思います。貴重な映像とかもいっぱいあるので、こんなのもあったんだって、知らない曲、観た事がない歌もたくさんあると思うので、楽しんで欲しいです」。
「過去にすがるのではなく、どんな環境にいても、子供たちに歌を届けていきたいという想いがより強くなった」
最後に9年間を振り返って、改めて胸をよぎる想いを聞かせてもらった。「この瞬間があったからこそ、自分はどんな環境に行ったとしても、その過去にすがるのではなく、どんなところにいても、自分は子どもたちに歌を届けていきたいという想いがより強くなりました。
これから色々な可能性があると思うし、色々な出会いもあると思います。その中でまた子どもたちと一緒に楽しめる何かを見つけていくのが、自分のこれからの生きがいになってくると思います。歌を届ける人として何ができるのかを見つけていきたいですし、自分にしかできないものを早く見つけたい。世の中には自分より歌のうまい人、踊りがうまい人は五万といます。自分はこれまで“温かさ”を大事にしてきて、それをこれからも大切にしたいので、次のステップをどうするのかを考えるのが楽しいです」。
横山の志には少しのブレもなければ、これから歩む方向には一点の曇りもない。それは卒業後最初の活動にミュージカル『魔女の宅急便』(6月1日~)を選んだことでもわかる。新たなチャレンジではあるが、横山だいすけは歌に勇気や希望を乗せ、これからもたくさんの子ども達に届けてくれるはずだ。
<Profile>千葉県出身。2006年に国立音楽大学音楽学部声楽学科を卒業。幼い頃から歌が大好きで、小学校3年生から大学卒業まで合唱を続ける。 劇団四季時代は「ライオンキング」等の舞台に出演。 その後、幼い頃からの夢であったNHK Eテレ「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさんを2008年より2017年3月まで務める。うたのおにいさんとして9年間の歴代最長出演記録を持つ。7月25日から全国ツアー「だいすけお兄さんの世界名作劇場 2017」がスタートする。今秋公開予定の映画『トムとジェリー 夢のチョコレート工場』では、声優に初挑戦している。