ISISと指導者バグダッディ
ISISは、2013年に他の過激派グループから独立して設立された。ISISは「イラクとシャームのイスラム国」の英語の頭文字の略称である。シャームは、レバノンを含む広い意味でのシリアを意味している。「イラクとシリアのイスラム国」という訳語も、それなりに適切であろうか。メンバー数は数千名と考えられている。欧米からのイスラム過激派の大半が、このISISに吸収されているようである。その支配地域は、シリアとイラクにまたがっており、シリアでは油田地帯であるラッカを支配している。盗聴される可能性の高い電話を使わない。空からの攻撃をさけるために少人数でしか行動しないなど、そのゲリラ戦術は、巧みである。イラク第二の都市モスルを制圧して注目されたが、実はモスルのスンニー派地区を制圧しただけで、激しい抵抗の予想されるクルド人の地区には侵入していない。
モスルなどの陥落の際に多量の兵器と軍服がISISの手に落ちた。イラク軍と同じ軍服そして装備であれば、空からの判別は難しく、アメリカやイラクの空軍には、標的設定が難しくなった。すでにイラク空軍によるクルド人の誤爆も発生している。
しかしながら、これからがISISにとっても難しい。ISISの部隊が南下すればするほどシーア派の多い地域になり、激しい抵抗が予想されるからだ。またモスルの攻略で協力した元バース党員や元軍人さらに部族勢力との関係の維持は大きな課題であろう。
バグダディ
指導者のバグダディは、1971年生まれでバグダッドの北の都市サマラの名家の生まれでバグダッド大学でイスラムを研究して博士号を取得している。名家というのは、この一族がイスラムの予言者ムハンマドの血を引くと主張しているからである。
イラク開戦後の2005年から2009年にかけて反政府・反アメリカ運動で投獄されていた。この間に同じように収監されていた元バース党員や元軍人たちと人間関係を深めたのであろう。2010年にはイスラム過激派のリーダーとして頭角を現し始めた。シリアの内戦が追い風となり、多くのシリア人の部下を持つようになった。このシリア人たちの影響で、やがてシリアに活動の舞台を広げた。アルカーイダの指導者でビンラーディンの後継者のアイマン・ザワヒリは、イラクでのみ活動するように求めた。だが、バグダディは、この助言を無視してISISを立ち上げて、そのリーダーとしてシリアとイラクの両国で戦い始めた。
2014年6月16日(金)記