街の書店が次々と閉店!衝撃だった「文禄堂」閉店と「王様書房」店舗閉鎖
街の書店が次々と姿を消しており、その流れが止まらない。最近は、新聞・テレビでも大きく取り上げられるようになったが、閉店のペースはこのところむしろ加速しているように見える。毎月、多くの書店の閉店のお知らせがSNSでなされており、かなり深刻な状況といえる。
マンモス大学・早大前の書店が閉店という衝撃
この9月16日にも、文禄堂早稲田店が閉店した。早稲田大学正門そばの書店で、マスコミ志望者の多い早大学生は、以前は、私の編集する『マスコミ就職読本』や月刊『創』(つくる)の大きなお客で、発売されると大きく店頭展開していただいたものだ(以前は「あゆみブックス」という名称だった。
衝撃というのは、書店の苦境が叫ばれる現状でも、学生が出入りするこういう書店は生き残る可能だと思っていたからだ、閉店の報に驚いて8月にお店を訪れた時にそう話すと、昨年赴任したという女性店員(店長代理とのことだった)が「私もそう思ってました」と語っていた。
私もかつて非常勤講師として早大の大教室で講義を行った時期があり、差別表現や皇室タブーといったマスコミを覆うタブーについて話したのだが、学生たちの反応も良く、早大はとても好きな大学だった。その早大前の書店が閉店というのは、学生たちが本や雑誌を読まなくなっているということなのか、と今回の閉店にはかなりのショックを受けた。
驚いた王様書房店舗閉鎖の告知
さて、もうひとつ8月31日に店舗閉鎖という知らせをSNSで見て衝撃を受けたのが、目黒区の王様書房だった。店主である柴崎繁さんは日本書店商業組合連合会(日書連)の副会長を務めており、王様書房は奮闘している街の書店として創出版刊『街の書店が消えてゆく』を始め、いろいろなところで紹介されてきた。7月23日には齋藤経産大臣と小泉進次郎議員が王様書房を視察に訪れたばかりだった。
8月4日に出されたのは、こういうお知らせだった。
《店舗営業終了のお知らせ
駒沢通りの本店(1967年・昭和42年12月創業)支店・PolePol店(1995年・平成7年6月)を通して57年間、ご愛顧いただきましてありがとうございます。お役に立てたでしょうか?
昨今の、本を取り巻く環境の変化はすさまじく、令和6年8月31日で区切りを付ける事にしました。これまでの皆様のご支援、心より感謝いたします。
尚、今後は、王様書房外商部にて配達・ご注文を継続いたしますので、今まで通りご利用いただけますようお願い申し上げます。 王様書房 一同》
すぐに柴崎さんに連絡し、8月8日にお店を訪ねて話を聞いた。
この10年ほど売り上げが大きく落ちた
――8月31日に、店頭での本や雑誌の販売はやめて外商だけにするということですが、その場合の事務所はどこになるのですか?
柴崎 事務所は持ちません。やり取りは自宅でします。これまで目黒区の図書館への外商、本を仕入れて納品するというのを書店組合員としてやってきたけれど、今後は学校図書館についても、目黒区の組合でやろうということになり、主に私のところがやることになります。それもあって、ちょうどいい機会だから、外商だけをやることにしたのです。
――店頭での本の販売はやはり厳しいということですか?
柴崎 今のお店は家賃50万円なんです。月に1000万円の売り上げがあれば粗利が200万でしょ。それだけあれば家賃と給料を払って存続できるけど、実際には売り上げがピーク時の1000万円から300万円に落ちてますからね。そうすると粗利が60万円。だから大家さんに家賃を払うだけでほぼ終わり。これじゃ続けられないですよね。
現在の王様書房の店舗は1995年から30年続けてきたけれど、業界のピークが96年でした。あとはずっと下り坂ですよ。
売り上げで言うと、雑誌とコミックと文庫とムック、その4種類で70%から80%を占めています。書籍の売り上げはわずかなんですが、在庫はというと80%が書籍です。週刊誌は1週間でなくなるし、コミックも売れ足は良いのですが、書籍はなかなか動かない。そういう書籍が毎月、大量に取次から送られてきて、在庫として残っていても支払いをしなければならない。ある意味、理不尽なんですよね。
この10年くらいで大きかったのは、何しろコミックが売れなくなった。一時期は、例えば『ONE PIECE』だと、1巻あたり400冊ぐらい売れたけれど、今は100冊いきません。デジタルで読む人が増えたと言われますが、コミックを本屋で買ってくれるお客がかなり減った。これほど少なくなるとは思わなかったですね。
本屋に足を運ぶ人が激減した
――本屋さんに足を運ぶ人が少なくなってるわけですね。
柴崎 高齢の方は買いに来るんですが、週刊誌、パズルの本、NHKのテキストといったふうに、買うものが大体決まっています。あとは店に来てくれるのは子どもですね。『コロコロコミック』とか『小学一年生』、それから児童書とか、これも買うものが大体決まっています。年寄りと子どもしかお客がいなくなってきているんです。
――王様書房は祐天寺駅のすぐそばにあって、夜遅くまで店をあけている。昔は学校や会社帰りの人が立ち寄っていたわけですね。
柴崎 昔は深夜1時まで開けていたけれど、今は夜の9時半までです。昔は“夜配”といって夜中の12時に商品が届けば、そこでもう荷を開けて店に出してました。それを買うために夜遅くでもお客がいたのですが、今はそもそも終電で駅を降りる人自体が減ってますからね。
本を買うとか買わないとかいうんじゃなくて、情報をとるのはネットで済んじゃうでしょ。元々本屋というのは、雑誌など通じて情報を売ってたわけです。今は情報を得るために本屋に足を運ぶ人があまりいなくなったわけです。
王様書房の場合は、祐天寺駅の出口が昔は1カ所だけで、そこを出るとすぐのところに店舗があったのですが、その後出口が増えて利用客の流れが変わったといった要因もあります。
店を閉じた後、希望するお客には配達も
――店をやめるとなると、今まで毎月、雑誌とかNHKのテキストとかを買っていた人は困ってしまうわけですよね。そういう声も届いているでしょう。
柴崎 そういうお客はいっぱいいるので、今後は配達します、お宅に持っていきますと言っています。例えば分冊百科なども、連続して買っている人がいるので、そういう人にはどうしますかと訊いて、持ってきてほしいという場合は届けることにしました。
――30年続けてきた駅前の書店がなくなるというのは、お客さんにとっても寂しいことだし、閉めるとなると、いろいろ思うことはあるでしょうね。
柴崎 本というのは売っててすごく楽しいんです。本を売る楽しさというのはあるし、本屋ってすごく楽しいんですよ。
でもそれを駆逐するくらいネットの影響力はすごい。小学生にデジタル教科書を使うよう国が推進しているといった話を聞くと、子どもがこれから本を読むんだろうか、50年後の日本はどうなるのだろうか、と思ってしまいます。ドイツとかフランスなどは、将来を考えて国が取り組みをしているというけれど、日本ではそういうのが全然見られないでしょう。
だから本屋がどうなるかというだけじゃなくて、本を読むことの大切さをどう伝えていくか。これまではそれを伝える場として本屋があったわけです。
例えば図書館があるといっても、高齢の人がみんな、わざわざ遠くの図書館に行けるわけじゃないでしょ。しかも図書館も頑張ってるけど、やっぱり予算が少ない。予算は、目黒区で1億円くらい。本当にこの国はそういうことに理解がないと思います。どうするんだと思う。
国とかがもっとそういうことを考えていかなきゃだめだと思いますね。齋藤大臣がわざわざ街の書店の視察に来てくれるのは良いと思うけれど、国の取り組みは遅きに失しているように思えます。
書店を支援しようという議員連盟も加盟しているのが自民党議員だけでしょう。私はずっと議員連盟反対で、もしやるなら超党派でやってくれと言ってきたんです。本を取り巻く環境を考えるというのは国会議員の役目だし、超党派で取り組むべきです。特定の政党でなく全議員がやらなくてはだめですよ。
書店をめぐる現状をどうやって変えていくか
――これまで取次が決めたいわゆる「見はからい」で新刊が各書店に配本されていたわけですが、これまでも例えばベストセラーが大手書店中心の配本で、なかなか街の書店に回ってこないとか、いろいろな問題が指摘されてきましたね。
柴崎 それは今も同じですね。初版1万部の本の場合、書店が全国に1万5000軒あるんだから、大型書店に100冊とか配本したら街の書店には来ないでしょ。そういうのを以前からみんな文句言ってきましたけど、これはもういくら文句言ったってだめかもしれないですね。
――そういう書店をめぐるいろいろな問題が指摘される中で、柴崎さんは現状をどう変えたら良いと思いますか?
柴崎 日書連にも以前から言っているけれど、ひとつは図書カードの普及ですよ。これは私だけの構想だけど、今図書カードは95%で流通してるわけですね。カードが買われた時に95%、本が買われた時に95%で入ってくる。それを100%にして、カードが売れた時に儲けがなくてもいいから、本と引き換える時に100%で入帳できれば、だいぶ違う。それと、今は図書カードが書店でしか売ってないけど、コンビニでも売れるようにした方がよいと思う。
さらに今カードを使っているけれど、デジタル決済にすればカードがいらなくなる。カードリーダーで読めるようにすればいい。そういうふうにして図書カードをもっと普及させる。今は大体400億円、売り上げの3%くらいですが、それを6%に増やす。
そうやって図書カードの普及を拡大すれば、これは本を買うためにしか使えないわけだから、本の売れ行きを伸ばす可能性があります。
――王様書房だけでなく、店舗を閉じて外商だけにしてしまう書店は増えているようですね。
柴崎 もともと王様書房は、一般の外商と店売と二本立てでしたが、今度、目黒組合へ委託された学校図書館への納入をやることになると三本立てになります。ただ東京都書店商業組合の仲間をみると、もう外商もやめて引退するというところもあります。そういうところの分を他の書店が引き継ぐとか、それから今一人で店頭販売をやっているけど手が足りないという書店もあるので、私や店長が手伝うということもありえます。
学校への教科書などの納本というのもそう儲かるわけではないですよ。でも例えば高校の場合は副読本があったり、いろんな注文があったりするので、全部合わせれば、なんとかやっていくことはできるかなと思います。書店の取り分は扱い高の11・8%。だから扱いが500万円あれば50万円ちょっとという感じですね。それは中学も高校も同じです。
――これからはそれに加えて、本の配達も行うわけですね。
柴崎 それはかなり増えると思います。店頭販売はないけれど、本の注文も受けますしね。それはスマホでできるから。スマホが事務所のようなものですね。
店舗はなくなるけど、王様書房の活動として今後どういう方法があるか、ちょっと探っていこうかなと思っています。例えば、子どもたちに本を読んでもらうには、お母さんの力が大事ですよ。お母さんたちを組織化して、サッカークラブがあったり少年野球クラブがあるように、子どもたちに本を読んでもらうクラブ、子どもたちに本を売る組織を作ってもいい。お母さんたちと相談して予算に合った本を取り寄せる。昔はそういうことも本屋がやってたわけだから。
――外商で家庭に本を配達するというのもそういう考え方ですよね。
柴崎 ただ外商といっても、昔はピンポーンてやればドアがあいたんだけど、今はドアが開かないから売りようがない。マンションはダメだし、一軒家だって入れないでしょ。だからお母さんたちが心配しないような組織を作って、そこで交流するとかですよね。
祐天寺駅近辺には一時、書店が5軒もあった
――祐天寺駅近辺には一時、書店が5軒もあったそうですね。
柴崎 よく王様書房という店名はどういう理由でそう決めたのですかと訊く人がいるんですが、もともと1967年(昭和42年)に4坪の小さな書店を始めたのは私の兄で、店名も兄がつけたんですね。兄が1年ほどで亡くなってしまって私が引き継いだんですが、『週刊少年ジャンプ』が創刊され、雑誌の市場も大きく伸びた時代でした。
王様書房ができる前から祐天寺近辺には中川書店というのがあって、長く続いていたんですが、私の兄が王様書房を開店させ、私が引き継いでから駅に近い現在の場所にも24坪の店舗を出し、3軒でずっとやってたんですよ。
そしたらブームというか、本屋が次々とできていった。中川書店さんが倒産して芳林堂になり、芳林堂も潰れたりといろいろな経緯があったのですが、でもずっとここは書店の空白地帯じゃなかったんです。ただ書店の経営が厳しくなって、うちは最後までがんばったけどなくなっちゃうから、どうなるんだろうという人もいるでしょうね。
私は基本的に3点主義といって、3点同じジャンルのものを置いておくという考え方でした。3点置いておけば、そのうちの1点が馬鹿売れする。何か売れ始めた時には、その1点だけじゃ売れないんです。本屋に来るお客さんは比べてみたいんですよ。例えば今は相続に関する本が多いじゃないですか。めちゃ売れしてる相続の本があって、それを買いに来るんだけど、他のも見たいと言うんです。比べてみたいんですね。
――書店経営が厳しいと感じ始めたのはいつ頃からですか。
柴崎 コロナの前からそうでしたね。年間の売り上げが1億円切ったら危ないなと思ってましたが、7~8年前に1億円切ってしまったんです。コロナの時は補助金みたいなもので繋いでましたね。
日書連ではよく、粗利が30%ないと書店はやっていけないと言いますが、仮に30%あったとしても売り上げが減っていってはやっていけません。ピーク時に2兆6000億円あった業界の売り上げが、いま1兆円ですからね。
先日、齋藤大臣が視察に訪れた時「こういう小さい本屋が残ってほしい」と言っていました。だけどそれは、私に言わせれば遅過ぎる。もちろん視察に来てくれた時にはそうは言いませんでしたけどね。
売り上げを伸ばすためには来店客が増えなきゃだめ。じゃあ来店客を増やすためにはどうするんだと。真剣にそれを考えないといけないと思います。私はそのための方策としてさきほど言った図書カードの活用を提唱しているわけです。速攻でやるなら行政が図書カードを配るのもよいと思っています。
――齋藤大臣にも提案したのですか?
柴崎 言いました。一緒に来た小泉進次郎さんには、地元の横須賀でそれをやってもらえないでしょうか、と言いました。
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