【京都府長岡京市】有名なボタン寺は紅葉の穴場! 朱塗りの山門とのコントラストが見ごろを迎えます!
飛鳥時代に聖徳太子によって建立されたとされる長岡京市の乙訓寺は、4月下旬から5月上旬にかけて、境内に咲き誇る2000株を越える牡丹の寺としても有名です。実は参道のアーチや境内の所々で紅葉が愛でることができる穴場でもあります。2022年11月9日に訪れてみましたが、樹々はまだ青々としていました。
職員の方に訪ねると、「見ごろは11月の下旬から12月の初めかなあ。色づきだすと早いんですけどね」と話されていました。
大慈山乙訓寺のある今里地域には、二千年前の弥生時代から多くの人々が住み着いていました。継体天皇が弟国宮(おとくにのみや)を築いたといわれるこの景勝の地に、推古天皇の勅願を受けた聖徳太子は、十一面観世音菩薩を本尊とする伽藍を建立させました。この寺が乙訓寺だと伝承されています。
延暦三年(784)、桓武天皇が長岡京に遷都したとき、京内七大寺の筆頭として乙訓寺を大増築します。翌年、藤原式家の種継が春宮房の人々により暗殺されるや天皇は皇太子早良親王をこの地に幽閉しました。早良親王は、無実を訴えるため絶食し10余日、淡路国に配流される途中に憤死したと伝わります。境内にはその供養塔が建てられています。
嵯峨天皇は、弘仁二年(811)弘法大師空海を別当にします。現在の乙訓寺の本尊八幡弘法合体大師像はこの時に彫られたものと伝わります。弘仁三年(812年)十月には、乙訓寺を訪れた天台宗祖の最澄と、密教の法論を交わし灌頂の儀の契りを結んだところとしても知られます。
表門は通称 「赤門(あかもん)」 とも呼ばれ、元禄8年 (1695) に建てられた切妻造(きりづまづくり)本瓦葺の四脚門です。この朱塗りの山門と紅葉のコントラストが素敵です。近年では、乙訓寺境内の学術調査も取り組まれており、あらためて乙訓寺の伽藍のあった今里地域を研究しようとする気運が高まっています。
大慈山 浄妙院 乙訓寺(真言宗 豊山派)(外部リンク) 京都府長岡京市今里3−14−7