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あきれるほど将棋の強いYouTuberアゲアゲさんが棋士になるまで(1)斎藤慎太郎少年と折田翔吾少年

松本博文将棋ライター
(記事中の写真撮影・画像作成:筆者)

「大物ゲストはあなたです」

 斎藤慎太郎は、折田翔吾にそう言った。

 2月25日の夜。将棋YouTuberの折田翔吾は、いつものようにライブ実況をおこなっていた。

 そこに「大物ゲスト」として呼ばれたのが、斎藤だった。

 斎藤はA級昇級を決めたばかりの新八段である。王座のタイトルも取り、関西の若手の代表格と言っていい。まさに大物ゲストだ。

 しかし斎藤が言うように、この夜は折田自身こそが、大物出演者と言っていいだろう。折田はいま棋士編入試験合格という、世間をあっと言わせる偉業を成し遂げてきたばかりだった。

 斎藤と折田では、将棋界における現在の立場はずいぶんと違う。しかし斎藤はずいぶんと親しげに話をしている。

斎藤「折田先生とは本当に子供の頃からの・・・。もう何年の知り合いですか」

「折田先生」とは、将棋界ではまだ耳慣れない響きだ。しかしまさにこの日から、折田は「先生」と呼ばれてもおかしくはない立場になった。正式には折田は4月1日付で、晴れて「四段」に昇段し、棋士の資格を得る。

折田「小学校6年生で研修会に入ってその時から」

斎藤「こっちは小学校2年生やんなあ」

 4歳年上の折田から見て、斎藤は当時から「人格者」だった。それは当時も今も変わらない。ついでに言えば斎藤は将棋が強いばかりでなく、眉目秀麗で、誰にも優しく、性格もパーフェクトに近い。

折田「研修会の仕組みとか(関西)将棋会館に何があるかとか、いろいろ教えてもらって、すごい助かった思い出があるんですけれども」

斎藤「そうやねえ・・・。それはやっぱりおぼえがあるもん」

 折田と斎藤は何番も将棋を指した。ざっと見積もっても、300局から400局は指している。

 両者は2004年、関西奨励会に入会した。折田は森安正幸現七段門下。斎藤は畠山鎮現八段門下。畠山八段は森安門下なので、その意味でも両者は近い関係にある。

 折田少年にとってのヒーローは、谷川浩司九段だった。盤上の強さ、そして盤外の立ちふるまいにも憧れた。名著と名高い谷川九段の著書『光速の終盤術』を徹底的に勉強した。折田から見れば、阪田三吉(贈名人・王将)一門の輝ける先輩にも当たる。

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 奨励会在籍時、折田と斎藤は、互いの家に行っても指した。これを「仲がいい」と言えるかどうかは、微妙なところだ。奨励会員は互いに親しくもあり、また敵同士でもある。

 2011年前期三段リーグ。18歳の斎藤三段と21歳の折田三段は、ここでも対戦した。結果は斎藤の勝ち。このあたりから両者の人生は大きく分岐していく。斎藤は2012年4月に四段に昇段。以後は将棋界の若きスターとしての道を歩んでいく。

 一方の折田は、思うに任せない日々を送った。三段リーグでは悪戦苦闘が続いた。そして26歳となり、「鉄の掟」である年齢制限で、奨励会退会を余儀なくされた。

 時を経て、この日。関西在住の斎藤と折田は、偶然ながら同じように、東京・将棋会館まで遠征しての対局がついていた。斎藤は竜王戦1組。折田は棋士編入試験第4局。折田は関東屈指の若手棋士で、棋王位挑戦中の本田奎五段と対戦した。

 折田は他の対局のことは知らなかった。そこで朝、将棋会館の4階で斎藤の顔を見かけた。

「何かいいことがありそうだな」

 折田はそう思った。

「これも縁ですね」

 斎藤はそう言った後、折田の健闘を称えた。

 斎藤は、実は影で折田をサポートしていた。

 2019年。折田は銀河戦決勝トーナメントで、佐藤天彦銀河(前名人、九段)と対戦した。その前に、折田は斎藤に対局の相手をしてもらっていた。

 折田はこの時の銀河戦、相手が誰であろうと、本気で勝ちにいくつもりだった。結果は折田の負け。はたから見れば順当な結果だろう。

 しかし折田にとっては、公式戦で7連勝の後の2敗目。棋士編入試験への道が遠くなる、目の前が暗くなるような敗戦だった。

 そこから折田は立ち直った。棋士を相手に10勝2敗の好成績をあげて、編入試験の資格を得た。

 そして折田は棋士編入試験五番勝負を戦って3勝1敗で勝ち越し、いまこうして合格を勝ち取った。

 斎藤は折田にLINEでメッセージを送った。両者は連れ立って千駄ヶ谷の町に出て、カレーとビールでささやかなお祝いをした。

 折田とともに関西奨励会に入会した同期は10人ぐらいいた。しかし四段に昇段し、棋士となったのは、斎藤慎太郎八段と菅井竜也八段しかいない。そこに新たに、折田翔吾四段が加わることになるわけだ。

「いや・・・。長かったですね・・・」

 ここまで折田をサポートし、応援し続けてくれた視聴者に向けて、折田はそう言った。折田の「長かった」には2つの意味がある。

 棋士編入試験が決まってから、半年ほどあった。折田はこの間、少しでも勝率を高められるように、できうる限りの努力をした。その期間も長かった。

 そして本格的に将棋を始め、斎藤少年らと出会ってから――。折田少年が棋士となるまでに、既に二十年近い、長い歳月が流れていた。

(続く)

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将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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