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【戦国こぼれ話】徳川家康によって公家が大量に流罪。知られざる猪熊事件の真相とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
徳川家康は猪熊事件を裁定することによって、確固たる権力を手にした。(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 コロナ禍ではあるが、性風俗業への支援金は認められないというから世知辛い。江戸時代初期には、公家が女性との乱行に及び、大量に流罪に処せられる事件があった(猪熊事件)。その真相を紐解くことにしよう。

■事件の首謀者・猪熊教利とは

 江戸時代の初頭、公家たちが大量に流罪に処せられるという事件があった。それが、慶長14年(1609)に起こった猪熊事件である。

 事件の首謀者である猪熊教利は大変な美男子と言われ、その斬新な髪形や帯の結び方は「猪熊様」と称され、京都の街で大流行したという。一方、教利は派手な女性関係で知られており、宮中の女性などとの交遊は「公家衆乱行随一」と噂されていた。

■事件の概要

 慶長12年(1607)2月、教利と宮中の女性との密通が発覚し、宮中の風紀紊乱を憂慮した後陽成天皇は激怒する。勅勘を蒙った教利は、京都から何処へと出奔した。

 しかし、ほとぼりの冷めた頃、教利は京都に舞い戻り、もとの乱れた女性関係に溺れていた。その際、昵懇である公家衆を誘っていたといわれている。

 慶長14年(1609)7月、参議を務める烏丸光広以下、数名の公家が典薬・兼康備後の手引きにより、典侍広橋氏ら5人の官女と密通に及んだことが露見した。

 ことの発端は花山院忠長が兼康備後を介して広橋局と交遊関係を深め、これに教利が便乗する形で公家衆を誘い、たびたび乱行に及んだものだ。

 むろん、ことの次第を耳にした後陽成天皇は激怒し、宮中の綱紀粛正を徹底すべく、関係者を極刑に処することを決意した。当然といえば、当然のことかもしれない。

 後陽成天皇の意向は幕府に伝えられたが、徳川家康は「天皇のお考え次第である」と意見を述べるに止まった。しかし、周囲から公家らの寛大な措置を願う声が沸き起こると、すべての処分は家康に委ねられることになった。第三者の家康ならば、冷静な判断ができると考えたからだろう。

 実際に事件の処分を担当したのは、京都所司代の板倉勝重と三男の重昌だった。すでに教利は逃亡しており、九州あるいは朝鮮に渡ったとも伝わる。しかし、同年9月に教利は日向に潜伏中に捕らえられ、京都へと連れ戻されたのである。

■処分の内容

 いくら酷い事件とはいえ、事件に関与した公家を後陽成天皇の要望に沿って死罪に処すると、大変な混乱が予想された。そこで、家康は教利と兼康備後の2人を死罪とし、残りの公家らは流罪と処することにした。名前と配流先は、次のとおりである。

・難波宗勝 → 伊豆(慶長17年〔1612〕勅免)。

・大炊御門頼国 → 硫黄島(慶長18年〔1613〕、硫黄島で死去)。

・飛鳥井雅賢 → 隠岐(寛永3年〔1626〕、隠岐で死没)。

・花山院忠長 → 蝦夷松前(寛永13年(1636)勅免)。

・中御門宗信 → 硫黄島(没年不祥、硫黄島で死去)。

・広橋局 → 伊豆新島(元和9年〔1623〕9月勅免)。

・中院局 → 伊豆新島(→同上)。

・水無瀬 → 伊豆新島(→同上)。

・唐橋局(唐橋在通の娘) → 伊豆新島(→同上)。

・讃岐 → 伊豆新島(→同上)。

 流された彼らの生活の実態については、詳しく伝わっていない。広橋局らの女性は、元和9年(1623)に一斉に許され、無事に帰還を果たした。

 しかし、ほかの公家については扱いがさまざまで、許されて帰還する者もいれば、無念のうちに現地で亡くなる者もいた。いずれにしても、かなり遠方の離島に流されたので、心中を察するところである。

■利益を得た家康

 一連の動きのなかで、もっとも利益を得たのが家康だった。首謀者である猪熊教利と兼康備後の2人は死罪とし、ほかの関係者を後陽成天皇の指示通りに処刑すると、朝廷に悪影響を及ぼすのは必至だった。処分を委ねられた家康は死罪に次ぐ流罪という厳罰を科すことにより、混乱を未然に防いだのである。

 一連の事件のなかで、家康は後陽成天皇の最高意思を変更したことになり、以後の朝廷との関係で主導権を握ることになった。これは、家康にとって思わぬ副産物だった。

 慶長20年(1615)7月17日、幕府は「禁中並公家諸法度」を制定し、朝廷を規制する法的根拠を得た。家康の流罪という判断は、その後の幕府の対朝廷政策につながったといっても過言ではないのだ。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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