NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で注目!山崎合戦の古戦場を歩く(その2)
恵解山古墳を後にして北側を流れる大川を渡ってすぐ、勝龍寺が見えてくる。大同元(806)年に空海(弘法大師)によって創建され、本尊は鎌倉時代作の十一面観音で、国の重要文化財に指定されており、京都洛西観音霊場第十四番札所となっている。
さらに平成18年12月には、「ぼけ封じ観音」が安置され、西日本ぼけ封じ三十三ヶ所霊場の第三番霊場で、同じくぼけ封じ近畿十楽観音霊場の第三霊場となっている。
そのすぐ北側に位置した勝竜寺城は、室町初期に細川頼春が南朝方に備えるために築城した。その後、織田信長によって細川藤孝に与えられ、嫡男忠興はここで玉(細川ガラシャ)の輿入れを迎えたという。しかし残念ながら「本能寺の変」の直後に起こった「山崎の合戦」では、敗軍となった光秀軍が立て籠もったため、羽柴秀吉の大軍に攻められて落城し、廃城となった。つまりこの城は、光秀が最期の夜を過ごした場所ということになる。
現在その場所は、平成4(1992)年に勝竜寺城公園として整備され、模擬櫓などが建造され、その2階は資料館(無料)となっている。また堀や一部には細川藤孝時代の石が使われた石垣なども整備されている。さらに令和元(2019)年には西側の土塁の上に上がれるようになり、天王山なども眺望できるようになった。
また公園内には細川忠興とガラシャ像が設置されており、この城で新婚生活を送った二人の幸せな様子も伝えている。しかし二人がここで暮らしたのは3年。その後二人は、細川家の新しい領地となった丹後へ旅立つこととなった。
勝竜寺城公園から北へ徒歩5分。かつて勝竜寺城の城域にあった神足神社は、旧神足村の産土神で、祭神は「舎人親王」である。
「桓武天皇の夢」という伝説によると、天皇の夢の中で田村(神足村の旧名)の池に天から神が降り立ち、宮中を南から襲おうとした悪霊を防いでいたのを見たという。目覚められた桓武天皇は、田村にこの神を祀る神社を建てさせ、太刀と絹を秘蔵させたと伝わる。
この伝説から、この社は「神足神社」と名付けられ、田村の地名は「神足村」と呼ばれるようになった。のちに神足氏が神足城を築き、神足氏没落後、細川藤孝が勝竜寺城築城に際して曲輪の一部として取り込んだとされており、現在も境内の一角にその空堀と曲輪の跡が残されている。
神足神社を後にするとJR長岡京駅まで徒歩5分ほど。山崎合戦の古戦場から光秀が後方の拠点とした勝竜寺城公園まで、歴史をリアルに体験しながら巡れるので、ぜひこの時期に訪れてみてほしい。