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がん公表から8年目、ピッチに立つ塚本泰史にインタビュー(前編)

平野貴也スポーツライター
2010年に骨肉腫の罹患を公表した塚本泰史(大宮)が、OB戦で再びピッチに立つ(写真:築田純/アフロスポーツ)

2010年2月、1人の若いJリーガーが、涙を流して病状を告白した。前年、大卒2年目で大宮アルディージャの右サイドバックとして活躍した塚本泰史だ。ドライブ回転と無回転、2種類を蹴り分ける直接FKは、将来を期待させるのに十分。さらなる飛躍が期待された矢先だった。発表した病名は、右大腿骨骨肉腫。骨にできる「がん」だ。骨を取り除いて人工関節を移植する手術が必要で、プレーを続けることができなくなった。手術、抗がん治療、リハビリに臨んだ彼が立てた目標は「もう一度、ピッチに立つ」こと。

8年の歳月を経て、そのときがやって来た。9月24日にNACK5スタジアム大宮で行われる「クラブ創立20周年記念OBマッチ supported by 竹内電機株式会社」。浦和レッズOBと対戦する大宮アルディージャOBの一員として、塚本の名前が発表された。自転車に乗ることさえままならなかった日々から、サッカーをプレーできるようになるまで。病気との戦い、プライドが生む葛藤を経て、目標にたどり着こうとする塚本に、心境を聞いた。

(※インタビュー内容は、前編、中編後編の3回に分けて掲載)

――まずは、近況を伺います。8月31日にOB戦出場が発表されました。あと3週間ほどですが、準備の状況はいかがですか

自転車を漕ぐのが辛かったという状況から、再び走ってボールを蹴れるようになったという塚本アンバサダー【筆者撮影】
自転車を漕ぐのが辛かったという状況から、再び走ってボールを蹴れるようになったという塚本アンバサダー【筆者撮影】

塚本  OB戦への出場は2017年、クラブのフロントの方から話をもらいました。OB戦出場を目標に頑張ったらどうかという話で、昨年3月からクラブのバックアップを受けて(クラブのトップパートナーで「アンダーアーマー」ブランドを手掛ける)株式会社ドームさんのアスリートハウスに週に1回、通っています。病気をしてから、様々なチャレンジをしてきました(※中編で紹介)。でも、いつも、直前になると「もっとできたんじゃないか」とか「もっと、やれることがあったんじゃないか」と思います。病気になる前は、こんなこと考えませんでしたね。でも、やれるだけのことは、やってきました。

――手術以前とは、身体の使い方が違いますよね

塚本  以前は右利きでしたけど、今は、ボールを蹴るのは、左足ですね。OB戦のポジションも左サイドだと思います。FKですか? 左足で練習していますけど、今回のメンバーは良いキッカーがたくさんいるので、蹴らせてもらえない気がします(笑)。病気になる前とは、もちろん(プレーの質は)違いますけど、かなり動けるようになったので、僕と同じように骨肉腫になった患者さんに対しては、大きなものが伝えられるんじゃないかと思っています。見る人によって見え方は違うと思いますけど、どんなプレーであれ「僕は元気でやっています、これくらいできるようになりました、ありがとうございました」という気持ちを伝えられればと思っています。

――ジム以外でもトレーニングをしているのですか

塚本  昨年からは、クラブが行っているスクールキャラバン(幼稚園や小学校に出向いて行う出張型のサッカースクール)を担当していて、それが終わってからトレーニングしています。あとは、兄(浩史さん)が参加しているアマチュアチームの練習に参加しています。最近は人数の集まりが悪くて、フットサル場でしかやっていないので、長い距離を走るのと、長いボールがちょっと不安ですね。(手術をした)右足では、ショートパスくらいしか蹴れませんけど、左足なら(トップチームの左サイドバックの)河面旺成か塚本かというくらいには……冗談です(笑)。

――ロングパスを蹴れるというのが、驚きです。かなり劇的に動けるようになったのでは?

手術後は、2012年の東京マラソンを皮切りに様々な挑戦を行ってきた【筆者撮影】
手術後は、2012年の東京マラソンを皮切りに様々な挑戦を行ってきた【筆者撮影】

塚本  そうですね。以前とは全然、違います。2012年の東京マラソンの頃は、まだ右足をひきずるようなフォームで走っていたと思いますけど、今は普通に走れます。それこそ、リハビリを始めたばかりの2011年は、ヒザが曲がるようになって心肺機能を高めようと思って自転車を漕いだら、本当に辛かったですから。ちょっとでも向かい風が吹けば前に進まない。想像できなかった世界でした。それが、自転車の性能に違いがあるにしても、仙台や佐賀まで行けるようになりましたからね。

――ボールを蹴るようになったのは、いつからですか

塚本  手術後にボールを蹴ったのは、2013年くらいだったと思います。最初に蹴ったときは、インステップ(足の甲)でリフティングをしてみて、これならいけると思いました。でも、インサイドで初めて蹴ったときは、ボールに足を持っていかれてしまって、これは無理だと思いました。怖かったですね。人工関節は、前を向いた状態でヒザを曲げる動きには強いのですが、横の動きには弱いのです。でも、ドームさんのジムに行ってから、体の使い方が分かってきて、今はインサイドでも蹴れるようになりました。

――どのように鍛えたのですか

塚本  手術で患部(ヒザ周り)の近くの筋肉も取ってしまったので、筋力を鍛えて取り戻すのかなというイメージを持っていたのですが、違いました。主に、お尻と腰、それから太ももを鍛えていくことで、体がすごく安定して、身体を上手に動かせるようになりました。2年前は、寝そべった状態から足を上げることができませんでした。お尻の筋肉に力が入らなくなっていたからです。でも、今は、できます。選手のときは筋力トレーニングが苦手で嫌いで、先輩のトミさん(冨田大介=水戸)に「お前、筋トレできないのに、試合に出られて良いな」と言われていたのですが(笑)、今回は、かなり筋トレをやってきました。ただ、普通に、元通りのプレーができるようになったと思う方もいるみたいです。「無回転シュートを期待しています」というコメントをいただいたんですけど、それは無理です(笑)。

中編に続く

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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