東京新聞杯における今はなき「ダイワ」との思い出を、縁の深いジョッキーが語る
自身重賞初制覇の思い出
今週末、東京競馬場で行われる東京新聞杯(GⅢ)を、デビュー2年目で制したのが北村宏司だ。
2000年1月30日、彼が騎乗したのはダイワカーリアン。美浦・二ノ宮敬宇調教師(勇退)が管理する馬だった。北村は言う。
「ダイワカーリアンに乗るのはこの時が初めてでした」
当時まだ十代で、重賞勝ちもない北村に、重賞でいきなりお鉢が回ってきた経緯を次のように続ける。
「この少し前くらいから大城(敬三大和商事代表社長)さんに度々声をかけてもらえるようになり、ここでも乗せていただけました」
後にダイワメジャーやダイワスカーレット等の名馬を世に送り出した大城オーナーは、ご存知“ダイワ”の冠名を自らの愛馬に付ける大オーナーだった。
そんな大オーナーから指名を受けた北村はダイワカーリアンの印象を次のように言った。
「競馬ぶりをチェックして少し難しそうな馬だと思いました。ただ、東京新聞杯の舞台となる東京競馬場の芝1600メートルは成績が安定していたので、その点に期待して臨みました」
結果、見事にこの好機を活かし、自身初となる重賞制覇を決めてみせた。
「うまく乗れたわけではなく、ゴールの瞬間は勝ったかどうか分かりませんでした(結果アタマ差で勝利)。ダイワカーリアンが力のある馬だったので勝てたという競馬でした」
実際、ダイワカーリアンは能力の高い馬だった。北村で重賞勝ちをした後も、田面木博公騎手(引退)を背に札幌記念(GⅡ)や富士S(当時GⅢ、現GⅡ)などグレードレースを優勝した。
「田面木さんだけでなく、柴田善臣さんら他のジョッキーでも勝っていました。それにもかかわらず、結構大事なところで自分が乗せてもらえていました」
北村がそう述懐するように、2000年、01年と2年連続で安田記念(GⅠ)では北村が騎乗した。01年に高松宮記念(GⅠ)に挑戦した際も鞍上は北村だった。
「大城オーナーには本当に可愛がってもらいました。感謝しかありません」
ダイワカーリアンで初重賞勝ちを記録した00年、北村は更に3つも重賞を制する。ダイワテキサスによる関屋記念(GⅢ)と新潟記念(GⅢ)、そしてダイワルージュによる新潟3歳S(GⅢ、現新潟2歳S)。どの馬も“ダイワ”を冠としている事からも分かるように、大城オーナーの所有馬だった。
突然のお別れ
月日は流れて01年11月4日。この日、北村は福島で騎乗していた。一方、ダイワカーリアンは東京競馬場のメイン・アルゼンチン共和国杯(GⅢ)に出走し、4着でゴールを駆け抜けていた。上々の成績ではあったが、直後に悲劇は起きた。脱鞍所から厩舎まで戻る馬道でダイワカーリアンは突然倒れた。そして、再び立ち上がることはなく、唐突に天に召されてしまったのだ。
「そんな事になっていたのは後から知りました。まだ若い自分に初めて重賞を勝たせてくれた馬で、当然、思い入れも強かっただけに愛着がありました。それだけに本当にショックでした」
北村を可愛がった大城オーナーは20年に鬼籍に入った。つい先日の23年1月18日には最後の“ダイワ”の馬・ダイワキャグニーがJRAの登録を抹消。これにより“ダイワ”の冠を持つ現役競走馬はついにいなくなった。また一つ、時代が幕を下ろしたが、北村はまだまだ元気に乗り続けている。大城オーナーも空の上から変わらず応援を続けている事だろう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)