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「高級ワインの法則」温暖化で崩壊 注目浴びる「北限」越えの新興産地

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
夕日を浴びるオカナガン・バレーのブドウ畑。奥に見えるのがオカナガン湖(筆者撮影)

歴史上、世界の高級ワインはほぼ例外なく緯度30度から50度の間で造られてきた。この「高級ワインの法則」が近年、音を立てて崩れつつある。地球温暖化の影響で、これまで寒過ぎてブドウがよく育たなかった北緯50度付近のボーダーライン上や、それより北の地域が新たな高級ワインの産地として脚光を浴びているのだ。中でも専門家が特に注目するのがカナダ。知られざる銘醸地を訪ねた。

北緯49度から51度に220超が集積

「カナダワインと言うと、ほとんどの人はいまだにアイスワインしか思い浮かべない」。こう苦笑いするのは、ワイナリー「バロウイング・アウル」のブランドアンバサダーを務めるスティーブ・ニューマンさんだ。

アイスワインは氷点下の寒さで凍結したブドウを収穫して造る甘口のデザートワイン。日本でもカナダ旅行の土産として人気がある。しかし、アイスワイン全体の8~9割を産出する東部オンタリオ州でさえも、州のワイン生産量全体に占めるアイスワインの割合は低下傾向にあり、2022年は0.5%を切った。

バロウイング・アウルがあるのは、万年雪を抱くカナディアンロッキーの西側に位置するブリティッシュ・コロンビア州のオカナガン・バレー。南北に細長いなだらかな渓谷地で、緯度は北緯49度から51度の間。中央には広大なオカナガン湖があり、湖を囲むように広がる丘陵地帯に220を超える数のワイナリーが集積する。

従来、北半球におけるブドウ栽培の北限は北緯50度と言われてきた。欧州の高級ワイン産地の最北とされるフランス・シャンパーニュ地方やドイツ・モーゼル地方が、北緯49度から50度あたりだからだ。距離にすると、緯度1度で約110キロメートル違う。

北限のハンディはけっして小さくない。

例えば、シャンパーニュがスパークリングワインの「シャンパン」に特化しているのは偶然ではない。冷涼な地域ではブドウがなかなか熟さず、未熟なブドウから造られたワインは酸味が強すぎて飲みにくい。その欠点をカバーするため、発泡酒にし、なおかつ仕上げに糖分を添加するというスタイルに磨きをかけてきた。(そのシャンパンも近年は温暖化でブドウが熟すようになり、糖分添加を必ずしも必要としなくなった。“泡なしシャンパン”まで登場している)

モーゼルも、ブドウはもっぱら冷涼な気候に適した白ブドウ品種のリースリング。また、ドイツの白ワインにやや甘口のスタイルが多いのは、冷涼な地域特有の酸味の強さを和らげる狙いもある。

南フランス・ローヌ地方のワインのスタイルを目指す「ル・ヴュー・パン・ワイナリー」。ローヌ地方で栽培されているのと同じ品種から造った白ワインは、香りが華やかでボディもしっかり(筆者撮影)
南フランス・ローヌ地方のワインのスタイルを目指す「ル・ヴュー・パン・ワイナリー」。ローヌ地方で栽培されているのと同じ品種から造った白ワインは、香りが華やかでボディもしっかり(筆者撮影)

フルボディの赤ワインも

ところが、オカナガン・バレーはシャンパーニュやモーゼルと同じ緯度かそれより北にあるにもかかわらず、多種多様なブドウ品種を栽培している。ワインのスタイルも、冷涼な産地特有のエレガントな味わいのワインが多いものの、温暖な産地の特徴であるフルボディのワインも少なくない。しかも、おしなべて高品質だ。

例えば、南部のワイナリー「ブラックマーケット」で試飲し印象に残った中に、メルローやカベルネ・ソーヴィニヨンなどフランス・ボルドー地方の主要品種を使った、いわゆるボルドータイプの赤ワインがあった。フルボディだが、酸味、タンニン(渋み)とのバランスに優れ、本家ボルドーにも引けを取らないフィネス(緻密さ)を感じた。

夏場の気温は40度

高品質のワインを生む秘密はまず、オカナガン・バレーの位置と地形にある。太平洋から遠く離れた内陸に位置し、かつ周囲を山に囲まれているため、場所によっては夏場の気温が40度前後まで上がる。とても北緯50度とは思えない暑さだ。そのためブドウがよく熟す。特に近年は温暖化の影響でこの傾向が一段と強まっているという話を、現地で何人もの関係者から聞いた。

温暖化と歩調を合わせるかのように、1990年代からワイナリーの数が急増。今ではオンタリオ州ナイアガラの滝周辺に次ぐ、カナダ第2のワイン産地となっている。

ワイナリー「デイドリーマー・ワインズ」のオーナー兼醸造家、マーカス・アンセムズさんは「温暖化の影響でブドウの生育期間が延び、昔よりブドウがよく熟すようになった」と話す。デイドリーマーは、リースリングやピノ・ノワールといった冷涼な気候に適したブドウ品種から造るワインが主力だが、ボルドータイプのワインや、南フランスの主要品種シラーを使った赤ワインも造っている。

とはいえ、やはり冬の寒さはブドウの木が枯れることもあるほど厳しい。実際、昨年は突然の寒波に襲われて多くの木が深刻なダメージを受け、今年は例年に比べて収量が大幅に落ちたワイナリーも多い。また、緯度が低い温暖な産地と比べると、春の訪れが遅く冬の訪れが早いため、晩熟型のブドウ品種はあまり適さない。

「デイドリーマー・ワインズ」の醸造家でマスター・オブ・ワインのマーカス・アンセムズさん(筆者撮影)
「デイドリーマー・ワインズ」の醸造家でマスター・オブ・ワインのマーカス・アンセムズさん(筆者撮影)

有能な醸造家が次々と移住

高級ワイン産地としてのオカナガン・バレーの将来性を見越し、有能な醸造家が他の地域から次々と移り住んでいることも、高品質のワインを生む要因の一つだ。

実はアンセムズさんもその一人。ワインの世界的権威「マスター・オブ・ワイン」の称号を持つワインのプロ中のプロであるアンセムズさんは、オーストラリアの出身で、世界各地でワイン造りを学んだ後、1999年にカナダに渡った。初めはオンタリオ州でワインを造っていたが、オカナガン・バレーの将来性を感じ2006年にこの地にやってきた。

農薬も化学肥料も使わない土に優しい有機農法でブドウを栽培し、醸造も小さなタンクで丁寧に行う。「オカナガンの気候や土壌を表現するワインを造りたいから」とアンセムズさん。そのとおり、ワインのスタイルは白も赤も一貫してエレガントだ。

オカナガン・バレーの南の外れにあるワイナリー「リトルファーム」のオーナー兼醸造家、リーズ・ペンダーさんもマスター・オブ・ワイン。偶然にもアンセムズさんと同じオーストラリア生まれだ。ワイナリーの開設は2011年で、やはり有機栽培にこだわる。

白ブドウ品種のシャルドネとリースリングから造る白ワインはキリっとした酸味が持ち味だが、完熟した果実の甘味もあり、非常に高品質。とりわけ、リースリングから造るオレンジワインは、これまでに飲んだオレンジワインと比べても屈指の味わいだ。

「リトルファーム」の醸造家でマスター・オブ・ワインのリーズ・ペンダーさん(筆者撮影)
「リトルファーム」の醸造家でマスター・オブ・ワインのリーズ・ペンダーさん(筆者撮影)

小規模の強み

オカナガン・バレーが高級ワイン産地として注目を浴びる3番目の理由は、小規模経営のワイナリーが大半を占め、手作業に頼る割合が多いことだ。例えば収穫はプロのピッカーによる手摘みが一般的。手摘みだと十分に熟した房だけを選んで収穫することも可能なため、ワインの品質向上につながる。現地を訪れた時も、プロのピッカーが手慣れた様子でブドウを収穫する様子を見ることができた。

温暖化で注目を浴びるオカナガン・バレーだが、気候変動は必ずしもよい面ばかりではない。アンセムズさんは「温暖化でブドウがよく熟すようになった半面、年による天候の差が激しくなった」とデメリットを指摘する。

例えば、2021年は「ヒートドーム」現象がブリティッシュ・コロンビア州の広い範囲で起き、気温が40度台後半まで上昇。暑すぎて一時、ブドウの木が光合成をできなくなり、ワインの質にも影響が出た。また、同年は大規模な山火事が発生し、煙のにおいがブドウに付着してワインの味わいに影響を及ぼす「スモーク・テイント」の被害が起きた。

南部のワイナリー「ブルーマウンテン・ヴィンヤード&セラーズ」は、欧州の高級スパークリングワインやフランス・ロワール地方の白ワインを彷彿とさせる味わいの高品質のワインを造っているが、2021年は販売を断念した。ほとんどのワインがスモーク・テイントにやられたためだ。ワイナリーの評判を守るための苦渋の選択だったと販売担当のクリスティ・マヴェティさんは振り返る。

評論家からの評価が高いワイナリー「マイヤー・ファミリー・ヴィンヤーズ」では、収穫はすべてプロのピッカーによる手摘みだ(筆者撮影)
評論家からの評価が高いワイナリー「マイヤー・ファミリー・ヴィンヤーズ」では、収穫はすべてプロのピッカーによる手摘みだ(筆者撮影)

新興産地ならではの柔軟さ

最後に、注目される理由をもう一つだけ挙げるとすれば、自然環境やマーケットの変化に柔軟に対応できる点だろう。

温暖化はオカナガン・バレーに限ったことではない。シャンパーニュやモーゼルなど欧州の北限の産地でも起きており、平等に恩恵をもたらすはずだ。だが、欧州の伝統ワイン産地は、使用できるブドウ品種や栽培・醸造方法が産地ごとに細かく規定されており、各ワイナリーは、産地名をボトルに表示したければ、それに従わなければならない。

気温がちょっと上がったからといって、勝手にリースリングを引き抜いてカベルネ・ソーヴィニヨンを植えることはできないのだ。変化に柔軟に対応しすぎると、伝統産地としてのアイデンティティーやブランドイメージを失うリスクもある。大きなジレンマだ。

その点、オカナガン・バレー、さらに言えばカナダの他の産地や米国、南米、オセアニアなどの新興ワイン産地は欧州のような厳格なルールがないため、自由な発想でワイン造りができる。それが強みでもある。

日本市場に強い関心

世界的な影響力を持つ米国のワイン専門誌『ワインスペクテーター』は、オカナガン・バレーなどカナダのワイン産地を「世界で最も無名な偉大なワイン産地」と紹介。ファッション誌『ヴォーグ』は昨年、「過小評価されている世界のワイン産地12」にオカナガン・バレーを挙げた。

現地で得た感触では、オカナガン・バレーのワイナリーの多くは日本市場に強い関心を抱いている。日本でカナダワイン専門店「ヘブンリーバインズ」(東京・渋谷)を経営するカナダ人のジェイミー・パクインさんは、「高級なカナダワインはエレガントなスタイルのものが多く、日本人好み。エレガントだから和食にも合わせやすい」と話す。

ブドウ畑からオカナガン湖を見下ろす(筆者撮影)
ブドウ畑からオカナガン湖を見下ろす(筆者撮影)

(猪瀬聖=WSET Diploma)

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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