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【戦時の献立】白米禁止で考案された節約めしの数々。藤の花の色だから『藤飯』(昭和15年4月7日)

Sake Drinker Diary映像をつくる人

「もし戦時中に料理ブログがあったら?」

今日の献立は『藤飯』である。
昭和15年4月号の婦人之友を見ると「経済的で美味しい節米献立」と題して、数多くの節米料理が掲載されている。
その中の一品だ。

なぜ『藤飯』という名前なのか?
それは黒豆を使って炊いたその色が、藤の花に似ているからだ。

なんだ、豆の入ったご飯ならそりゃあ美味しいだろうというのが最初の印象である。
いや、黒豆が入っているなら美味しいどころか、ちょっと豪勢に感じる。
お正月に食べるイメージだから。

しかしこれも、れっきとした戦時下の質素な献立なのである。

この献立が掲載される前年、昭和14年11月に『米穀搗精等制限令(べいこくとうせいとうせいげんれい)』が出された。
米を精米する際、十分づきの米(白米)は禁止となり、七分づきまでが許された。
七分づきなら、胚芽やぬかが残るから、可食部分が増える。
その結果、これまでよりも少ない量の米でお腹がいっぱいになる=米の節約になるはず。
それがこの“白米禁止令”の狙いだった。

白米禁止のワケは、しこたま白米を食べていた!?

なぜ米の節約が必要だったのか?
まず、当時の日本の人々が驚くほど米を食べていたためである。
なんと一人当たり一日に3合も食べていたという。
茶碗一杯あたりが0.4合ほどだというから、3を0.4で割ると…7.5!
つまり一日に白飯を7〜8杯も食べていたことになる。
朝飯に2杯、昼飯に2杯、それでもまだ夕飯で4杯ほど食べられる。

どう考えても食べ過ぎだ。令和の世ならそう思うだろう。
しかしこの頃は、支配下にあった朝鮮や台湾から米が入って来ていたから、米が安く手に入るようになっていた。
一方で、人々の中には『白米=ご馳走』という感覚が根強く残っていた。
ご馳走が安く買えるのだから、しこたま白米を食べたのだ。

そのため当時の人々は、現在ほどおかずを食べずに、主に米からエネルギーを摂取するという状態だった。
そんな時に、

  • 干ばつの影響で朝鮮の米が大凶作。朝鮮からの米が入って来なくなった。
  • 長引く日中戦争で、農村部の働き手は兵士として戦地に。国内の米の生産量も減っていく。

などといった事情が重なった。
この調子で白米を食えば、戦争は継続できない。
だから政府も節米を声高に叫んだ。

政府の広報雑誌ともいえる『写真週報』では、白米や七分づき、玄米などの見た目の違いや、精米過程でいかに栄養分が失われていくかを説明している。
栄養面で劣っているから、白米はやめましょうということだ。

「写真週報」昭和14年11月22日号の誌面
「写真週報」昭和14年11月22日号の誌面

婦人雑誌も、政府の方針に沿って節米を呼びかける。
しかしこれまで8杯食べていた人々にとってみれば、それを7杯…6杯…と減らすなんて耐えられない。お腹いっぱい食べたい。
そんな気持ちに応える形で『藤飯』なんてものが登場したのである。

節米には、大きく分けて三種類の方法がある。

  1. 雑炊…水分を多くして、たくさんあるように見せかける
  2. 代用食…パンやうどん、そばなどを主食にする
  3. 混食…雑穀や、野菜、芋などを混ぜて炊くことでかさ増しする

『藤飯』は3番の混食である。
『藤飯』以外にも、野菜雑炊、茶粥、蒸しパン、スコン(スコーンのこと)、焼きそば、すいとん汁、里芋ごはん、タケノコごはんなどが主食として紹介されている。

タケノコごはんはご馳走だろう!と思うが、当時はそれほどでもなかったのかもしれない。
なにしろ「経済的で美味しい節米献立」だ。
タケノコごはんに、おかず(わかめの卵とじ)をつけて、五人前・57銭ほどで作ることができると書かれている。

57銭、現在のお金に換算するといくら?

日本銀行がその計算方法を掲載している。
あくまで一つの目安としてだが、当時と現在の企業物価指数(卸売物価指数)をもとにすることで、おおよその価値を算出できるという。

2022年の企業物価指数859.4を、昭和15年の企業物価指数1.641で割る。
すると、出てくる数字は523.7。
つまり2022年のお金の価値は、昭和15年のおよそ524倍ということがわかる。
昭和15年の1万円は、現在の524万円に相当するということだ。

これをもとにすると、タケノコごはんとわかめの卵とじでおよそ299円。五人前でこの値段なのだから、確かに経済的だ。
今回の『藤飯』も、おかず(鶏肉やたけのこ、椎茸、さやえんどうなどを使った八宝汁という汁物)がついて五人前で65銭だ。
現在の価値に換算すると341円ほど。つまり一人当たり2品で68円である。
当時、おかずの材料よりも米の方が安かったようだから、藤飯の材料費は68円の半分もしなかったのではないだろうか。
安い…

ところが、ちょうどその季節の花である藤の色になぞらえると、趣きを感じるし、そこはかとなく豪華さが漂ってくる。
質素な献立という雰囲気は、微塵もなくなる。
『藤飯』…その名前にはちょっとした魔法のような力があるような気がする…

というわけで『藤飯』である。一体どんな作り方で、どんな見た目なのか?

◇ここから先は、昭和15年4月7日だと思ってご覧ください

昭和15年4月7日、日曜日。
今年も桜が見事だった。
ハラハラ舞い落ちる桜に包まれると、そこは純粋に私だけになる。
タン、と手を叩くほどの一瞬の出来事かもしれない。
しかし私にとってその一瞬は、一瞬と一瞬が積み重なった物である。
一瞬をどれだけ細かく切り刻んでも、小さな一瞬が永遠に続いているだろう。
その永遠の中で、私は私だけになる。
嫌なことも、煩わしいことも、戦争もない。

桜が私の体を洗ってくれている。
深く一息吸うと、ただ一つの思いが、私の腹の中にハラリと落ちてくる。
来年の桜を見るまでは生きていよう。

そして私は家路につき、家内と何かうまい物でも食おうと考えるのだ。
さて、今日作ったのは藤飯である。
藤の花は月末に見頃を迎えるであろう。

では、こしらえ方を見てみよう

材料(5人前)
米 カップ4杯
黒豆 カップ一杯半
水 カップ4杯とカップ5杯
塩 大さじ1

うちは家内と2人だけだが、今回は献立通りに5人前作ることにする。

まず黒豆カップ一杯半に、水カップ4杯を加へて、20分間煮る。

20分間たったら豆を取り出そう。

献立によると、この煮汁は取っておいて苺シロップにできるという。
砂糖大さじ1を溶かして、酒石酸を入れると赤色になるそうだ。
それを好みの甘さにのばし、苺エッセンスを入れれば、苺シロップが出来上がる。
興味がある人はお試しあれ。

次に、新たに水カップ5杯を入れ、塩大さじ1を加へ、豆が柔らかくなるまで静かに煮る。

柔らかくなったら、豆と米を一緒に炊き上げる。

といでおいた米カップ4杯と、豆を煮汁ごと合わせる。
この時に気をつけなければならないことがある。
煮汁が少なくなっていれば、普段米を炊く時の水分量になるように水加減をすることだ。
ちょっと面倒だが、失敗しないように気を配るべし。

ふたをして、あとはいつも通りに炊き上げれば良い。

藤飯の完成なり

土鍋を開いた瞬間は、やや衝撃的な見た目だ。
しかし混ぜれば大丈夫。

では、いただきます!

もっちりとした飯に、ほくほくと炊けた黒豆が良く合う。
味は赤飯に似ているが、豆が大きい分、その味とほくほく感を強く感じられる。
塩加減も程よい。これは存分にやれる。

赤飯のような色になるかと思ったが、全然違うもんだナァ。
黒豆なのに、仕上がりは藤色。
不思議なものである。
なんだか赤飯よりも、こっちの方がめでたい感じがして良いナァ。

ちなみに家内はというと、思った以上に藤色で驚いていた。
味もなかなか気に入ったようで、箸が進んだ様子。パクパク食べていた。
しかし食べすぎると節米料理の意味がなくなってしまうから、本末転倒なり。
気をつけるべし。

ごちそうさま。
残った分は明日以降も食べることにする。
またうまいものを作ろうと思う。

動画もご覧いただけると有難し!

最後に、野菜や雑穀などを混ぜたご飯について思うこと

混食のご飯は「かて飯」といって、農村部ではもともと日常食として食べられていたものである。それを改めて節米料理として重宝がるのは、農村部の人々にとっては腑に落ちなかったであろう。

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映像をつくる人

左利きの映像製作者。気分転換は料理です。「左利き」とGoogle翻訳に入力してみたところ「Sake Drinker」と出てきたため、それに日々の記録という意味での「Diary」を足しました。お酒は好きですが、浴びるほどは飲みません。

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