「試合が怖かった時も」ジュニアテニスの教訓、子育てへの活かし方
乳幼児睡眠コンサルタント兼テニスコーチ
ラインぎりぎりのボールを追いかけて、子供が歯を食いしばって走る。でも、届かない。そんな時、「そこで諦めてないのがいいね!。走ってるのが偉いよ! 絶対いつか届くようになるから。だから一生懸命頑張れば、絶対取れるようになるから、諦めないで!」。ニューヨーク州郊外のテニスコート。体育会系コーチの一言に、子供の頬は緩み、「ニコッとする」のだという。
優しい眼差しでテニスを教える女性コーチの本業は、6歳と3歳の男の子のママであり、日本人初の乳幼児睡眠コンサルタントとして活動する愛波文さん(36歳)。初の著書、『ママと赤ちゃんのぐっすり本 「夜泣き・寝かしつけ・早朝起き」解決ガイド』(講談社)は重版を重ね、赤ちゃんの寝かしつけに悩むママたちの救世主だ。
父の仕事の関係で5歳の時に米ニューヨーク州へ。郊外の伸び伸びした環境のなか、テニス好きの両親とたまたま始めたのが始まりだった。9歳の時、文さんを見ていたコーチからの「この子を教えたい。伸びると思う」という言葉で真剣にテニスに取り組むことに。
当時クラシックバレエを習っていたが、「体幹がしっかりしていると言われた。バランスがとてもいいって。どんどんうまくなっていく自分も好きだった。学校とは違うテニス仲間とやるのも楽しかった。試合に出て、違う学校の子と戦って、その子たちとまたチームで会って遠征して。すごく楽しかった」とテニスにのめり込んでいった。
「試合が怖かった時もあった」ジュニア時代
朝練に始まり、学校へ。帰宅後すぐにまたコートに戻り、夜まで練練習が続く。車で送り迎えをしたのは母だった。毎日練習するようになるとメキメキと頭角をあらわし、ETA
(ニューヨーク州、コネチカット州、ニュージャージー州北部を合わせたテニス協会)の年間ジュニアランキングでは、12歳以下のシングルス7位、14歳以下シングルスでは14位。慶應義塾ニューヨーク学院時代にはニューヨーク州でダブルス3位に。ETAを代表し、全米から有望なジュニアが集まるナショナルチームの合宿にも参加した。
上のレベルへ進むと同時に、一生懸命文さんの練習や遠征につきそう両親からのプレッシャーも徐々に感じるようになった。
「どんどん結果を出せたのも、両親が熱心に付き合ってくれたからだと今は感じられますが、当時は、コーチから渡された試合記録用紙に、ファーストサーブが入ったとか、何ショット目にミスした、フォアハンドを決めたなど全部分析したり。負けると親にどういう顔を見せればよいかわからなかったし、試合中に負けていると、泣きながらボールを打とうとしてボールが見れなくて空振りしてまた泣いて・・・。そんなことをよくやってました」
試合に負けた日には、帰宅後、地下にあるランニングマシンで足に重りをつけてトレーニングに励んだりしたことも、プレッシャーに感じるように。
「コートに出るのが怖い時期がありました」
それでも、練習を続けたのは、強くなりたい一心だった。
「私が勝った相手の子は、コートから出られないくらい震えていた。お父さんが怖くて。それでもコートから出られない」。恐怖に震える同年代の子供の様子は、いまでも「頭に残っている」という。
アメリカのジュニアアスリートの怪我の正体
錦織圭の躍進に続き、日本人の母を持つ大坂なおみが昨年の全米オープンに続き、先月の全豪オープンでグランドスラム連覇。多くの子供たちに夢を与えるなか、「我が子を錦織君に」「なおみちゃんに」と願い子供にラケットを握らせる親もいるだろう。
日本に比べ、子供の時から複数のスポーツを掛け持ちするといわれているアメリカですら、全米アスレチックトレーナー協会の調べでは、6―18歳のジュニアアスリートの怪我の半数は「オーバーユーズとトラウマ」だという。言い換えれば、怪我の半数は子供に関わる大人次第で防げるもの。それほど、子供がコーチや親から受けるプレッシャーは大きいのだ。
文さんの対戦相手のように、子供の結果に熱が入りすぎるあまり、度を過ぎた行動をしてしまう親もいる。
燃え尽きたテニスを再び始めた理由
文さんも、慶應義塾ニューヨーク学院で青春を謳歌し、慶應義塾大学時代には厳しい日本の体育会の雰囲気になかなか馴染めず、テニスへの情熱が薄れテニスから離れた時期もある。
30歳で再びニューヨークへ戻ってきた文さんは、十年以上のブランクを経て、再びラケットを握る。子供たちにテニスを教えるようになれたのは「テニスが純粋に楽しい」からだった。
自分が親になり、ジュニア時代には気づかなかったことに気づくこともあった。
「どれだけ時間とお金を費やしてくれたのか、だからあんなへんな試合していたら両親が怒る気持ちもわかるなって」
躍進したライバルのママがしていたこと
厳しかったジュニア時代、記憶に残っているローレン・バーニコーというアメリカ人の友達がいた。
文さんがETAランキングのトップ10に入るなか、ローレンはトップ20に入るかどうか。対戦したことはなかったが、「雰囲気のいいママ」だったことを覚えている。
そのローレン。14歳になるとETAランキングでトップ3に顔を出し、全豪オープンジュニア、全米オープンジュニア、ウィンブルドンジュニアと世界を舞台に戦うトップ選手に成長。米西海岸にある文武両道の名門大学、スタンフォード大学に進学し、現在は全米テニス協会(USTA)で働いているという。
10代後半で急成長したローレン。お母さんが行っていたのはこんな言葉がけだった。
「あなたのここのポイントが良かった」
「この前これができてなかったけど、今日はこれができていたね」
「もしかしたら、ローレンのお母さんはメンタルのことを勉強していたのかも。 ナショナルの試合に行くと、メンタルを強くする講座が夜あったんです。もっときちんと聞いていればよかった。当時は友達とわいわいとやっているのが楽しくて。日本にあるかはわからないんですけど、メンタルケアがすごく大事だなって感じています」(文さん)
文さんが大学生の頃、「ローレンがすごいことになっているよ!」と母にいうと、「ローレンのお母さん、あのとき褒めていたし、5年先を見ている感じがした。私も褒めてたけど、5年先は見てなかったなぁ」と語ったいう。
スポーツを頑張るお子さんを持つ「スポーツペアレンツ」は近視眼的視点に陥りやすい。今週末の試合、来月のトーナメント、今シーズンの結果・・・。それが全てを左右すると思うと力が入る。
しかし、子育てのゴールは?そんな長期的視点を持っていたのが、ローレンのお母さんだった。
ジュニアテニス時代の教訓を子育てに
親は愛情がゆえ、厳しい言葉をかけるが、それが正しいとは限らない。子供が伸びる環境づくりを目にした経験が、母として、乳幼児睡眠コンサルタントとして、テニスコーチとしての文さんに大きく活かされている。
やんちゃ盛りの息子2人にも、「1日1回は褒めてあげたい」といいことを探し、テニスコーチとしては「こうい言われたらもっとやる気がでるかな」という言葉がけを実践。乳幼児睡眠コンサルタントとしては「自分の子供をもっと信じてあげて」と声をかける。
「乳幼児睡眠コンサルタントとして私がいつも接するのは、とにかく一生懸命なママさんたち。私に悩みを相談するのも勇気が必要だと思うんです。楽、というと語弊があるかもしれませんが、睡眠の悩みを改善し、育児を楽しんで欲しい。子供も一人の人間。うちの子は寝ない子だと決めつけてしまうママさんがいますが、自分の子供は寝る力があると信じてあげて欲しいと思ってます」
テニスコーチ仲間と話していると、最近はテニスしか知らない子供達が増えているという。
「スポーツの世界では結果を出すことは大事ですが、感情を学ぶいい機会にもなると思います。負けたときの悔しさから、次に自分はどうすればよいのかを考えるきっかけになったりしますよね。それって今後の人生でとても役立つ能力だと思うんです。スポーツを通じてもっといろんなことを学んで欲しい。コミュニケーションだったり、感情のコントロールだったり、精神力だったり、周りへの感謝の気持ちだったり」
自分が厳しいプレッシャーを受けたジュニアアスリート時代を経験したからこそ、伝えられることがある。
「自分で考える力をきちんと持って欲しい。テニスは孤独なスポーツ。コートに立ったら1人。どうするかっていうのを自分で判断しないといけない。それってすごく難しいことで、どうしようもない時、何をしたらいいかわからない時、テンパった時、そういう時に自分を落ち着かせて、前向きに、プラスに考えていけるか」
スポーツ一辺倒になりがちなジュニアアスリートに、文さんの言葉が届くことを願わずにはいられない。