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世界を知るプリンシパルが伝える「好き」の育み方

宮下幸恵NY在住フリーライター
Kバレエスクール本校で指導を行う浅川紫織さん(写真=Kバレエ提供)

子供には「熱中できるものを見つけてほしい」と願っても、子供を思うがゆえ、「好きな気持ち」を潰してしまうのも、悲しいかな親の性だったり・・・。

4歳の時、テレビで見た海外バレエ団のコマーシャルに釘付けになった。2001年、浅川紫織さんは16歳でプロへの登竜門として名高い「ローザンヌ国際バレエコンクール」でセミファイナリストに輝くと、熊川哲也氏率いるKバレエカンパニーのプリンシパルとして日本バレエ界を牽引した。

2001年「ローザンヌ国際バレエコンクール」でセミファイナリストに輝いた浅川さん。(写真=浅川さん提供)
2001年「ローザンヌ国際バレエコンクール」でセミファイナリストに輝いた浅川さん。(写真=浅川さん提供)

「好き」を突き詰めてプロとなった浅川さんに、上手な「好き」の育み方を聞いた。

子供を教えるのは責任重大

Kバレエスクール本校にて現在主任を務める浅川さん。生徒を指導している様子。(写真=Kバレエ提供)
Kバレエスクール本校にて現在主任を務める浅川さん。生徒を指導している様子。(写真=Kバレエ提供)

Kバレエスクールでは、「世界への扉を開く子供のためのバレエスクール」として全国に6教室を展開。中でも、オーディション制の東京本校はプロのダンサーを目指す生徒が集まる。そこで現在主任を務めているのが浅川さんだ。

日中は、Kバレエカンパニーでプロダンサーを指導し、夕方からは現在小学校4年生から20〜21歳までの未来のプリンシパルを夢見る子供たちを指導する。

「ダンサーだった時は全て自分の責任でしたが、子供を教えるのは責任重大。子供の人生を左右するかもしれないので・・・」

同時に「私たちが小さい頃に受けていた厳しい教育的なものをしても、今の子供たちは傷ついてしまいます。それがたとえ、愛がベースにあったものだとしても、愛と気づいてくれるのに時間がかかります」と時代の変化も感じている。

「私が子供の頃の当たり前と、今の子供たちの当たり前は違うというのは、常に頭に置いています。時代と子供の特徴に合わせて、子供にどう言ったら伝わるのか。伝わらなかったらアプローチを変えながら、トライの連続と経験で、自分なりの方法を探しています」

一番大事なのはメンタル

バレエは体型も大きく左右するが、「誰がどこで突然伸びるかわかりません」という。

「小学校4、5年生でプロになれるかは本当にわかりません。身体の条件が良ければアドバンテージにはなりますが、一番大事なのは、メンタルです。頑張り続けること、意思の強さ、が1番大事。それがあれば体の条件のマイナスポイントもカバーできます。気持ちが続かなくなったら、成長も止まりますね」

子どもの「心」を育むために、小さなバレリーナは「楽しむこと」も優先させる。

東京本校以外で指導していた時は、部活をやりたい、勉強を優先したいとバレエを辞めてしまう子もいたが、頑張るためにも「クラシックバレエを正しく知ってもらうこと」が必要だという。「実力不足の時はきちんと伝えます。オブラートに包んだりせず」。嘘をつかず、真摯に親子に向き合うようにしている。

バレエ以外のことを知らない子供にならないように

技術的なこと以外で、小学生から20歳前後の子どもたちに共通して大事にしていることは、「公平に、平等に同じ時間接すること」と「挨拶」だという。この挨拶、「当たり前すぎて、教わってない子が多い」のが現状だ。

「立ち止まって、目を見て、『おはようございます』と言うとか、お世話になったら、次に顔を合わせたらすぐ『ありがとうございます』と関わった先生に言うとか。そういうのができないと、プロのダンサーになっても恥ずかしい思いをするので、挨拶は身につくまでしつこく、うるさく、いつも言っています」

浅川さん自身、バレエを辞めた後に大学に進学し教師になった友人や、プロではなく指導者の道を進んだり、他分野で活躍するライバルたちも見てきた。

将来、多くの選択肢があるからこそ、「バレエ以外のことを知らない子どもにはなってほしくない」と力を込める。

「バレエって、プロになるだけが全てではありません。他の道に進んだとしても、自分が豊かになるツールとしてすごくいいと思います。違う道に進んだとしても、バレエを習うことで得た経験は無駄ではないです」

バレエに熱中するあまり、バレエ以外の事に興味がないという子供も少なくない。視野を広げるためにも、「恋愛ドラマでも漫画でも音楽でもいいので、自分にいろんなエンターテイメントを入れて、感じなさいと言っています」。

親が絶対にしてはいけないこと

母・久美子さん(左)に抱かれる幼少の頃の浅川さん。見守るのは父・武彦さん。(写真=浅川さん提供)
母・久美子さん(左)に抱かれる幼少の頃の浅川さん。見守るのは父・武彦さん。(写真=浅川さん提供)

浅川さんのようないい指導者に巡り会えたらラッキーだが、子供が好きなことを始めた時、親はどうサポートしたらいいんでしょう?

「保護者の方がどれだけ盛り上がって夢を持っても、子供が頑張らないと始まらないので、見守りながら、応援しているのが一番だと思います」

浅川さんは、4歳でバレエを始めてから、ご両親からやりなさい、とは一度も言われなかった。

「親にやりなさいって言われなかったのが、私には1番良かったと思います」と振り返る。

その一方で、親から「毎日やりなさい」とうるさく言われて良かったというダンサー仲間もいた。

「その場合は、子供が好きでないと成り立たないですし、同じくらいの熱量で向かっていったのでプロになれたわけで、子供がやりたいと思わないと、親が言ってもうまく進んでいきません。できればですが、そーっと見守りながら応援してあげたらいいと思います」

舞台メイクも裁縫も自分で

長野県で育ち、雪深い冬は「スキーの時に履くような靴で登校していました」。中学校までは徒歩45分。高校も家からバス停まで20分歩き、バスを乗り継がないと通えなかった。夜遅くまで練習すると、朝の登校が辛い。たまらなくなり「車で送って」とねだっても、「頑なに送ってくれませんでした。それとこれは別だと、そこだけ厳しかったです」。

ご両親の方針は「自分でやれることはやりなさい」。

幼少の頃の浅川さん。舞台メイクも小学校低学年から自分でやっていた。(写真=浅川さん提供)
幼少の頃の浅川さん。舞台メイクも小学校低学年から自分でやっていた。(写真=浅川さん提供)

「当時通っていた教室の方針でもあったのですが、舞台メイクも小学校低学年から自分でやっていましたよ。ぐちゃぐちゃでしたけど・・・。綺麗か綺麗でないかより、自分でやれたかどうか。トウシューズに紐を縫い付けるのも、自分で縫っていました」。

16歳で「ローザンヌ国際バレエコンクール」に出場。当時のコーチも子供の自主性に任せるタイプだっただけに、「他のお教室では1秒おきに『体調大丈夫?』って聞く先生もいらっしゃって、驚きました」。そして、初めて見る海外の同世代ダンサーは「桁違いに上手でした」という。

だからこそ、「生徒には、自分でできるものは自分でやりなさいと言っています。バレエは自分で練習する時間がすごく大事です。クラスで先生に教わる時間プラスアルファ、自分を追求する時間、自主練習も大事なのです。自分でなんでもしようとすることは、自分と向き合う時間にも繋がってくると思います。プロになったら先生はつきっきりではいませんから・・・」。

大自然の中でのびのび育ち、学業とバレエの両立に励んだ頃の1枚。(写真=浅川さん提供)。
大自然の中でのびのび育ち、学業とバレエの両立に励んだ頃の1枚。(写真=浅川さん提供)。

コロナ禍で不安が増す子供たちへ

本来なら、舞台を目指して鍛錬に励む子供達だが、コロナ禍で舞台や発表会を例年通りに行えず、練習時間も減っている。

「表に見せる以上に内面が不安なのです。今はバレエ界も少なからず不安定ですし、子供達も賢いので、それがわかっています」と辛い心情を思いやる。

順風満帆に見える浅川さんのバレエ人生だが、「1度も自信が持てないままダンサーを終えました」というぐらいネガティブ思考だったという。

「私は優等生ではなかったですし、自信もありませんでした。いつも周りの子達が優れているように見えていたので、子供達の不安な気持ちがすごくわかります」

優等生でなく、ずっと自信も持てなかったが、ローザンヌを経験し「よりバレエへの執着心が出ました」という。努力の末に、Kバレエカンパニーのプリンシパルになった。

自信をなくしたり、落ち込んでいる生徒には「私も優等生じゃなかったし、身体の条件も良くない。でも、頑張ったら、上にいけるよ」と話している。

「今完成してなくても、不安でも、この先の頑張り次第でどうにでもなれます。それは信じ続けて欲しいです」

今の頑張りが、子供の未来を作る。

親にとってみれば、黙って見守るのが一番難しいが、つい口を出しそうになった時は、浅川さんの言葉を思い出したい。

NY在住フリーライター

NY在住元スポーツ紙記者。2006年からアメリカを拠点にフリーとして活動。宮里藍らが活躍する米女子ゴルフツアーを中心に取材し、新聞、雑誌など幅広く執筆。2011年第一子をNYで出産後、子供のイヤイヤ期がきっかけでコーチングの手法を学び、メンタル/ライフコーチとしても活動。書籍では『「ダメ母」の私を変えたHAPPY子育てコーチング』(佐々木のり子、青木理恵著、PHP文庫)の編集を担当。

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