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【落合博満の視点vol.75】落合博満がバッティングに関して解明できなかったこととは何か

横尾弘一野球ジャーナリスト
バットを見詰める大谷翔平。一流打者への条件は、時代が変わっても不変だろう。(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 落合博満と野球観戦をしていると、「次はインコースに真っ直ぐだな」と言えば、その通りのボールが投げ込まれる。局面、投手の持ち球、捕手のリードの傾向から瞬時に弾き出される配球の読みは抜群。現役時代には、その読みが高い数字を残せる要因だと言われることもあった。

 実際、巨人時代の1996年8月27日の広島戦では、こんなにシーンがあった。

「通算1500打点に王手をかけたのが、優勝争いの真っ只中だった。私個人の記録にスポットが当たっている場合ではなかったから、早くクリアしてしまおうとチャンスの打席で白武佳久がスライダーを投げてくるのを読み、二塁ランナーが還れるようにライト線に打ち返した」

 だが、これは稀なケース。プロ入り3年目に江夏 豊から「1球ごとに待ちを変えてくる打者は、その読みが俺の投げるボールと偶然に一致した時しか打たれる心配がない。根気強くひとつのボールを待たれるほど、ピッチャーにとって嫌なことはない」と言われてから、対応するのに最も時間がない内角高目のストレートに照準を合わせながら、自分が打てるボールが来るのをひたすら待ち続ける姿勢になった。

落合博満を三冠王に成熟させた江夏 豊の言葉

 だから、落合は配球を読める打者ではあるが、読みで打つ打者ではなかった。もちろん、いわゆる“ヤマを張る”こともない。そして、配球を読むこともヤマを張るスタイルも否定はしないのだが、野球人生を通じてどうしても解明できないことがあるという。

「ヤマを張る打者って、どうして自分が打てないボールにヤマを張るんだ?」

「あいつのカーブは打てないんですよね」と言う打者が、その投手のカーブを打ちにいって空振りする。落合は「カーブが打てないなら捨てて、なぜストレートや他の球種を狙わないんだろう」という疑問を抱く。

 中日の監督を務めていた時には、こんなこともあった。初球から投げ込まれたフォークボールを空振りした選手がいた。凡退してベンチに帰ってきた際、「初球は何を狙っていたんだ?」と問うと、「フォークボールです」という答えが返ってきた。「そうか」と言って落合はこう思う。

「初球からフォークボールを狙って、その通りにフォークボールが来て、きっちり打ち返せる確率が高い、あるいは自分にその技術があると思っているのかな」

 バッティングをはじめとする野球の技術は時代とともに高度になり、落合の現役時代と大谷翔平(ロサンゼルス・ドジャース)の考え方や取り組み方にも違いはあるはずだ。それでも、目立つ数字を残すには理に適った考え方と対応力が求められる部分は不変だろう。

「どうせヤマを張るのなら、ストレートを読んで打ち返せばいいのに」

 バッティングについて探求し続ける落合が、この件を解明する時は来るだろうか。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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