今年の「スポーツの日」と第1回東京オリンピック前日まで続いた雨
「スポーツの日(体育の日)」の天気
令和5年(2023)10月の第2月曜日、つまり、今年は10月9日が「スポーツの日」です。
起源となったのは、昭和39年(1961)に開催された(第1回)東京オリンピックの開会式が行われた10月10日を「体育の日」に定め、国民の祝日としたことです。
最初の「体育の日」は、昭和41年(1966)10月10日で、偶然月曜日でした。
平成12年(2000)から、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律(平成10年法律第141号)によって「ハッピーマンデー制度」が適用され、「体育の日」は10月の第2月曜日に変更となりました。
さらに、「スポーツ」は、「体育」より広い意味を持ち、自発的に楽しむことを含意するこということから、平成28年(2016)からは、「スポーツの日」に名称変更となっています。
このような経緯がありましたが、スポーツの日(体育の日)は、晴れるというイメージがついています。
これは、昭和39年(1961)に開催された(第1回)東京オリンピックの開会式が、「オリンピック晴れ」と称された晴天の中、盛大に行われたからです。
しかし、10月10日は晴れることが多いという晴れの特異日ではなく、前後の日に比べて晴れやすい日いという程度の日です。
事実、昭和39年(1961)の東京オリンピックの時も、15日間の開会期間中に、東京で0.5ミリ以上の日降水量があった日は、約半分の7日もあります(図1の黒丸)。
ただ、人気種目についていえば、マラソンなどの屋外競技の日は雨が降っていません。
また、女子バレーボールの決勝戦(対ソビエト連邦)などは雨でしたが、室内競技であり、雨の影響は全くありませんでした。
このことも、東京オリンピックを晴れの大会と印象付けています。
まして、「スポーツの日(体育の日)」はハッピーマンデー法により、10月の第2月曜日となっていますので、ますます東京で晴れやすい日、屋外活動に適した日とは限らなくなっています。
今年のスポーツの日
今年の10月9日のスポーツの日は、北日本を移動性高気圧通過し、 日本の南岸を前線を伴った低気圧が通過する見込みです(図2)。
このため、九州から東北までの広い範囲で雨が降り、日本海側は次第に雨の降り方が弱まる見込みですが、太平洋側は雷雨となる所もあります(図3)。
関東地方の沿岸部や伊豆諸島では、前線や低気圧に向かって暖かく湿った空気が流れ込むため、大気の状態が不安定となる見込みです。
関東地方の沿岸部では9日夜遅くにかけて、伊豆諸島では10日午前中にかけて、雷を伴った激しい雨が降り、大雨となる所がありますので、土砂災害、低い土地の浸水、河川の増水に注意・警戒してください。
第1回東京オリンピックを決めた東京の気候
東京の10月10日の頃は、秋の長雨が終わる頃といっても、まだまだ雨天の可能性が残っています。
11月であれば、晴れやすい確率は10月より高くなりますが、気温は10月より低くなります。
過去の統計から秋の長雨が終わって晴れやすい時期で、屋外競技を行うのに寒くない時期ということから10月10日が選ばれたというのが、一般的な説明ですが、実際は、別の理由で日程が絞られ、その中で「わずかに晴天の可能性が高い」ということで決められただけです。
現に、東京オリンピック開会式の10月10日9時は朝鮮半島に中心がある大きな移動性高気圧に覆われたことで、「オリンピック晴れ」と言われた晴天ですが、前日、10月9日は、関東の南海上を通った低気圧の影響で雨が降っています。一日ずれていれば雨の開会式でした。
東京でオリンピック開催をとの意見がでてきたのは、戦後の占領政策が終わりに近づいてきた昭和26年(1951)7月5日のことです。
東京都は、戦後の日本復興を世界にアピールするため、昭和35年(1960)のオリンピック大会を東京で開催したいと国際オリンピック委員会(IOC)にアピールしていますが、ローマに敗れています。
そして、その次の昭和39年(1964)大会では、7月26日からの16日間として立候補し、その後、開催時期を雨期と台風シーズンを避けた7月25日からと、10月17日からの両論併記の形で国際オリンピック委員会に修正提案をしています。
昭和34年(1959)5月26日に西ドイツのミュンヘンで開催された国際オリンピック委員会総会では欧米の3都市を破って東京開催が決まりましたが、日程については、さらにもめます。
その後、スポーツ関係者等からスポーツをするなら10月が適しているとの意見が盛んになり、日本オリンピック委員会が国際オリンピック委員会に10月開催に変更したいとの表明したのは、昭和36年(1961)4月3日で、国際オリンピック委員会で10月開催が正式に決まったのは、同年6月1日のことです。
ただ、このときの開会式の提案は10月11日(日)でした。
その後も、日程を十分にとるため、開会式を10月9日(金)に早める案などが出て、10月10日(土)に確定したのは、昭和37年(1962)の6月になってからです。
このように、昭和39年(1964)の東京オリンピックは、スポーツに適した日を選んで開催を決めたのではなく、曜日を含めたいろいろな総合判断があり、その中で、比較的スポーツに適した日ということで10月10日が決まったのです。
ただ、東京は昭和39年(1964)10月7日から東京オリンピック開幕前日の9日まで秋の長雨が続いており、関係者は、開会式の天気をやきもきしながら気にしていたといわれています(図4)。
「本当に10月10日が晴れるのか」と、頻繁に聞かれていたのは、オリンピックの開催日決定などで協力していた気象庁の窓口であるった大野義輝さんでした。
アイデアマンの初代天気相談所長
大野義輝さんは気象庁の初代天気相談所所長で、アイデアマンでした。
現在も使われているいろいろな気象解説の方法を編み出していますが、桜前線のような「花の前線」を造語し、広めたのが大野義輝さんです。
定年は函館海洋気象台(現在の函館地方気象台)の台長でしたが、その時に筆者は函館海洋気象台に新採用となりました。
大野義輝台長は、小柄で温厚な紳士で、新人の私に対しても、分かりやすく話をしてくれました。
東京オリンピック開会日が10月10日になった件については「気象だけで決めたのではないんだよ」と、東京オリンピックは晴れの特異日で決めたという世間一般の見方に対して、軽く否定されていました。
今となっては、戦後に急速に充実してきた国民への気象情報提供についての話を、もっとお聞きしておけばと思いました。
図1の出典:気象庁ホームページをもとに著者作成。
図2の出典:気象庁ホームページ。
図3の出典:ウェザーマップ提供。
図4の出典:気象庁ホームページに著者加筆。