【幕末こぼれ話】芸者が贈った手鏡が長州志士の命を救った、ドラマのような話
ドラマなどではよく、ピストルで胸を撃たれたもののたまたま懐に堅いものが入っていて、弾丸が通らず助かったという場面がある。
そんな都合のいい話はないだろうと思いがちだが、幕末に実際にそういう状況に出くわし、命が助かった男がいる。
男の名は、長州藩士・井上馨(旧名は聞多)。のちに明治政府の重鎮となった大物政治家だ。
井上を愛した勤王芸者・君尾
井上聞多は、文久3年(1863)5月に伊藤博文らとともに、長州藩から留学生としてイギリスに派遣される。当時は海外に出ることは幕府に禁止されていたから、これはいわば密航だ。
決死の覚悟で渡航を決めた井上だったが、そのころ井上には京都に馴染みの女性がいた。祇園の芸妓で、名を中西君尾といった。
イギリスに向かったら二度と会えないかもしれないと思った井上は、別れ際に君尾に何か形見の品をくれないかと告げる。すると君尾は、帯の間から小袋を取り出して、これを形見にと申し出たのだった。
袋の中には君尾が愛用していた一枚の手鏡。当時、武士の魂といえば刀だが、女の魂は鏡といわれていた。しかも君尾が差し出したそれは、松儀という有名店が作った研ぎ澄まされた逸品だった。
井上はよろこんで受け取り、代わりに自分の小柄(武士が身につけていた小型のナイフ)を君尾に与えた。君尾はその小柄を井上自身と思って大事にし、井上は手鏡を君尾と思って懐に納めて洋行に旅立ったのだった。
手鏡が救った井上の命
井上がイギリスに留学中、長州藩が攘夷行動の報復として当のイギリスを含む四か国連合艦隊に攻撃されるという情報が入った。藩の危機を知り、留学生5人のうち井上と伊藤の2人は予定を変更して帰国することになり、1年後の元治元年(1864)6月に長州に帰還した。
井上らは四か国艦隊との講和交渉の通訳をつとめ、なんとか事態は収まったが、そのあと大変なことが起こった。攘夷派の井上らのせいで藩が窮地におちいっていると見た保守派の者たちが、井上の暗殺をくわだてたのだ。
9月25日夜8時頃、藩庁での会議を終え、下僕一人を従えて帰宅する途中の井上に、突然数人の刺客が襲いかかった。
刺客は井上に何太刀も斬りつけ、うつぶせに倒れた井上の背中をばっさりと斬った。しかしこの時は井上が腰に差していた刀が背中のほうにずれていたため、それが敵刃を防ぐ形になって致命傷を負わずにすんだ。
井上は力を振りしぼって逃げ出そうとしたが、溝に足をとられて再びころび、その右腹のあたりを刺客がぐさっと突き刺した。今度こそやられたと思ったその時、刃は井上の懐中の何かにカチンと当たり、はね返されていた。
そうこうするうちに、通行人の物音が聞こえたので刺客たちはまずいと逃げ去った。瀕死の井上は助け出され、40針も縫う処置を受けた結果、どうにか一命を取りとめたのだった。
このとき井上の懐中にあった何かというのが、まさしく馴染みの君尾から過日贈られた手鏡だったのである。
井上は君尾から贈られた手鏡を大事にし、洋行以来片時も離さず懐に入れていた。それが刺客の刃から身を守ることになったのだから、運命の不思議さを思わずにはいられない。
愛しい人を思う君尾の真心が、明治の大政治家として歴史に名を残す井上馨の命を救った――、というドラマのような話である。