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安倍政権に無罪推定の適用はない

渡辺輝人弁護士(京都弁護士会所属)
答弁に立つ安倍首相(写真:つのだよしお/アフロ)

 森友学園問題の捜査の進展、森友に関連して決裁文書の改ざん問題、さらに安倍首相や官僚の国会での虚偽答弁問題、加計学園問題、防衛省・自衛隊の南スーダンやイラクの日報隠ぺい問題、「働き方改革関連法案」の基礎となる裁量労働制のデータ改ざんなど、安倍政権が、事実や資料の隠ぺい、改ざんや虚偽答弁の問題で揺れています。

 これらの問題で散見されるのが「無罪推定を無視するのか」という議論です。安倍政権や安倍首相がいつから刑事事件の被疑者・被告人になったのか、私には皆目分からず、法的には論外なのですが、マスメディアで弁護士がそういうことをしゃべったという話も側聞しており、何かを誤解されている方も多いようなので、無罪推定の原則について、最低限の確認をしておこうと思います。

大家の本には何と書いてあるか

 私が説明するよりも、その道の権威にご説明頂くのが良いでしょう。日本学士院会員、東京大学名誉教授の故・松尾浩也教授の本を引用します。あとで私なりの要約を示すので、名著を味わう時間のない方はこの項を読み飛ばしても結構です。

松尾浩也『刑事訴訟法 上 補正第二版』211頁

 刑事手続における被疑者ないし被告人に対して、「無罪の推定」の利益を与えることは、近代的な刑事司法の大原則である。その罪責が適法な手続を経て立証され、有罪の判決が下されるまでは、かれはできるだけ「罪のない」(innocent)人として扱われなければならない。むろん、被疑者の中には、「罪のある」(guilty)人が多数含まれており、まして、被告人となれば、統計上の有罪率がきわめて高いことからみても、有罪を推定する方が、むしろ真実に近い。それにもかかわらず、「無罪の推定」という一見逆説的な主張が表明されるところに、市民的自由を守ろうとする近代法の特色がある。

 もっとも、被疑者・被告人を自由な市民と全く同一に取り扱うわけに行かないことは自明の理であり、かれの「自由」は、刑事手続の進展に応じて制約を受ける。したがって、「無罪の推定」は、被疑者・被告人の処遇の原理としてみるときは、その自由をできるだけ尊重し、制約を必要最小限に止めるべきだという--立法者を含めてすべての関係者に対する、むしろ訓示的な--規範にすぎない。

 しかし、公判における立証段階では、「無罪の推定」は、挙証責任の所在を指示する規範として、明確な法的意義を持つ。犯罪事実が十分に立証されない限り、被告人は「無罪」であり、換言すれば、被告人を有罪とするための挙証責任はすべて検察官にあるという法原則が設定されることになる。挙証責任が当事者間に分配される民事訴訟の場合と異なって、刑事訴訟の被告人は受動的当事者に徹してよい地位におかれるのである。

筆者による要約

 松尾浩也教授の上記文章を私なりに即席で要約すると以下の通りです。学生時代、こういうことをすると大抵、教授に怒られましたが、忙しい読者のために・・・。

(1)無罪推定とは、その罪責が適法な手続を経て立証され、有罪の判決が下されるまでは、かれはできるだけ「罪のない」(innocent)人として扱われなければならない、という考え方。

(2)無罪推定は、市民的自由を守ろうとする近代法の主張であり、近代的刑事司法の大原則である。

(3)実際は被疑者・被告人を自由な市民と全く同一に取り扱うことができないのは自明。被疑者・被告人の処遇の原理としての無罪推定は、その自由をできるだけ尊重し、制約を必要最小限に止めるべきという規範。

(4)公判の立証段階では、犯罪事実が十分に証明されない限り、被告人は「無罪」であり、有罪とするための挙証責任はすべて検察官にあるという法原則(無罪推定の原則)が設定される。

行政や内閣による隠ぺい・改ざん・虚偽答弁の追及とは関係がない

 上記(2)からして、無罪推定は、市民の自由を守ろうとする原理であり、誰に対する自由かと言えば国家権力に対する自由であり、典型的には行政権に対する自由です。したがって、「安倍内閣」という行政主体に適用がないのは明らかです。むしろ、安倍政権は、市民の無罪推定を守らなければならない立場です。

 そして、(4)に現れているように、無罪推定は、刑事訴訟における有罪立証についての原則です。恐らく、安倍政権を擁護する文脈で巷間言われる「無罪推定」もここに着目したものと思われます。しかし、安倍政権(安倍内閣)を犯罪者として裁くことは、想定できず、現在、安倍首相や麻生財務大臣など、内閣を構成する個人について何らかの犯罪が現実的問題になっている訳でもありません。

 一方で、例えば、文書の改ざん行為について、職員個人が文書偽造罪に問われる段階になった場合、その個人には無罪推定が適用されます。

 このように、政権による事実や資料の隠ぺい、改ざん、虚偽答弁が問題になっているときに、無罪推定を持ち出すのは、最初から誤りである上、安倍首相個人について無罪推定に言及すると「安倍首相っていつから犯罪被疑者になったんだっけ??」という疑問が湧いてくることになります。

果たすべきは責任行政と説明責任

 今、国会で問題になっているのは、安倍内閣による行政の執行状況についての説明責任の問題です。

 憲法66条3項で「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」とされ、(民主的)責任行政などと言われます。ここでいう「責任」は刑事責任など法的責任ではなく、政治責任とされますが、政治責任であるゆえ、むしろ、国会を通じて国民に対して無限の責任を負っているといえるでしょう。

 また、行政には説明責任(アカウンタビリティ)の原則もあり、特に、国民に対する情報公開との関係で語られます。黒塗り文書や改ざんが乱発されている現状からすると信じがたいですが、我が国の情報公開法1条には「この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。」と明記されています。そして、この行政の説明責任は、単に情報公開との関係だけでなく、行政の執行一般に及ぶものとされます。

 これらの原則からすれば、内閣以下の行政が、国会に対して、改ざんした行政文書を提出したり、あるものをないと言ったり、虚偽の国会答弁をすることは、言語道断でしょう。

 まずは、安倍政権が、上記諸処の問題について、嘘偽りなく、事実や文書を包み隠さずにあきらかにし、責任行政、説明責任をまっとうすることが求められます。

弁護士(京都弁護士会所属)

1978年生。日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事、京都脱原発弁護団事務局長。労働者側の労働事件・労災・過労死事件、行政相手の行政事件を手がけています。残業代計算用エクセル「給与第一」開発者。基本はマチ弁なので何でもこなせるゼネラリストを目指しています。著作に『新版 残業代請求の理論と実務』(2021年 旬報社)。

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