野村證券の投資信託はもっとすごい
三井住友銀行で一番売れている投資信託は、「欧州ハイ・イールド・ボンド・ファンド(豪ドルコース)」というものです。なぜ、豪ドル建てなのだろう。野村證券で一番売れている投資信託は、「アムンディ・欧州ハイ・イールド債券ファンド(トルコリラコース)」というものです。おお、さすがに上手ですねえ、トルコリラ建てですか。しかし、すごすぎませんか。
妙な通貨ばかり
この野村證券の売れ筋一位の投資信託は、欧州のハイイールド債券に投資するもので、本来の通貨はユーロ(販売資料をみる限り、ユーロ以外の通貨には、投資していないようですが)です。それに対して、投資に際しては、通貨選択ができるようになっています。
そのうち、ユーロ建ては、一番自然なものですし、また、円ヘッジのものも、為替変動を回避したい投資家には便利なものです。しかし、この投資信託の場合は、ユーロと円ヘッジに加えて、なんと、米ドル、豪ドル、ブラジルレアル、メキシコペソ、トルコリラ、更には、資源国通貨(ブラジルレアル、豪ドル、南アフリカランドの均等平均)という不思議なものまで、用意されています。
野村證券で取り扱う投資信託のなかでは、現時点で、このうちのトルコリラ建てのものが売れ筋第一位で、第五位が豪ドル建てのものだというわけです。
三井住友銀行と同工異曲
この野村證券の売れ筋一位の投資信託、三井住友銀行の売れ筋一位の投資信託と、同工異曲のものです。ただし、同工異曲ですが、より醜悪で、より投機的です。また、投資運用業の社会的意義を信じて、人生を賭けて投資の質の向上に取り組んできた私個人の立場からいえば、より腹立たしく、より強い憤りを感じるものです。
また、「資産運用の高度化」を重点施策の第三位に位置付けている金融庁の立場からみても、看過し得ない事例だと思います。
特に、金融庁の重点施策の筆頭にあるのは、「顧客ニーズに応える経営」なのですが、野村證券の経営者の立場というのは、自信をもって、欧州ハイイールド債券のトルコリラ建てにこそ、顧客ニーズがあるのであって、故に、売れ筋一位になるのであるから、何ら問題はない、そう確言できるものなのかどうか、私には、非常に、興味があります。
なぜ欧州のハイイールド債券か
野村證券と三井住友銀行で売れ筋一位になっている投資信託に共通する問題性について、確認しておきましょうか。驚くことは、奇しくも、両方とも、欧州のハイイールド債券であることです。
ハイイールド債券は、低格付の社債なのですが、低格付であること、即ち、信用リスクの大きいことは、利回りの高さで補償されているのですから、何ら投資価値を損なうことではありません。
むしろ、理論的な信用リスクに対応する利回りの高さ以上の利回りが得られることも多く、資産運用の専門家の立場からいえば、玄人好みの対象として、私は、ハイイールド債券が好きです。特に、米国では、歴史が長く、市場規模も非常に大きいので、常に、重要な投資対象として、念頭に置いておかなければならないものです。
さて、問題の第一は、なぜ、欧州なのか。それは、米国のものよりも、少しでも利回りが高いからです。しかし、欧州ハイイールド債券は、歴史が短く、市場規模が小さいのです。
この点、野村證券は、明らかに、意識しているわけです。その販売資料には、欧州ハイイールド市場が、近年、急速に大きくなっていることが書かれています。しかし、そのことは、逆に、近年までは、市場が小さかったこと、野村證券や三井住友銀行の営業努力もまた、市場規模の拡大に貢献していることを示しているのです。
第二の問題として、日本の個人向けの投資信託として、ハイイールド債券は適当なものなのか。米国では、巨大な社債の市場があり、そのなかで、ハイイールド債券は、固有の地位を確立しており、個人向けの投資対象としても広く認知されています。しかし、日本では、社債市場が極端に小さく、ハイイールド債券などないのです。
日本の個人投資家のなかでは、投資対象としての社債の認知すら十分でなく、故に、社債の信用リスクについての理解も十分であるはずもないなかで、まずは、米国のハイイールド債券が売れ筋上位にでて、ついで、欧州のハイイールド債券が人気の投資対象として登場してくる、それが、「顧客ニーズ」に基づいて自然に人気化した結果であると、どうして素直に信じられましょうか。
表面金利を高くする操作
また、原通貨と異なる通貨にして、為替投機の要素を取り込むと同時に、表面金利を高くみせていることは、全く同じです。
野村證券の場合、通貨を転換することで、金利格差による上乗せ利回りを得ることが目的になっていることは、極めて明瞭です。つまり、ユーロよりも金利の高い通貨で、金利格差が大きくなるように、妙な通貨ばかり選ばれているのです。
このような操作は、もはや、投資ではありません。単なる数字の遊びです。あるいは表面的な金利のお化粧です。しかも、そのお化粧の裏には、とんでもない為替投機が潜んでいるのです。三井住友銀行のユーロと豪ドル間の為替リスクにも驚きましたが、ユーロとトルコリラ間の為替リスクとなれば、もはや、言葉もありません。
法外な手数料
手数料が法外に高いのも、同じです。まずは、販売手数料ですが、投資金額の3.24%(税込)です。三井住友銀行の売れ筋一位の投資信託は、なにしろ、3.78%(税込)ですから、それに比べれば、まだしも上品ですが、法外に高いことに変りはありません。それにしても、野村證券を凌駕する三井住友銀行のすごさには、妙に、感心しないでもありません。
もちろん、これに加えて、毎年、残高比例の信託報酬として、1.0908%(税込)かかります。ただし、この投資信託は、日本の多くのものがそうであるように、海外の投資信託に投資する二重構造になっています。その海外の投資信託の運用報酬は、残高に対して、年率0.67%です。従いまして、実質的な信託報酬は、1.7608%(税込)となります。
簡単に計算できますように、3年間、この投資信託に投資しているとして、その間の手数料等の累積額は、投資金額の約8.5%になります。つまり、年率3%の投資収益があって、かろうじて、投資家の手元にわずかな収益が残るというわけです。これでは、投資家は、販売会社と運用会社の利益のために、大きな危険を負担しているだけ、ということにならないでしょうか。
報酬の正当性
報酬については、水準もさることながら、報酬を正当化するような顧客へのサービスの提供の実態が問題です。
実際に運用している会社は、アムンディですが、そのアムンディが受け取る報酬の年率0.67%というのは、年金基金等の資産運用における事例と比較しても、正当な報酬であるとみなせます。そこには、少しも問題はないでしょう。
しかし、実際に運用するわけでもない、販売会社にすぎない野村證券の受け取る報酬というのは、一体、何の対価だというのか。野村證券は、販売時の3.24%(税込)に加えて、毎年の信託報酬1.0908%(税込)のうち、0.756%をとっているのです。
つまり、3年間の累積の手数料は投資額の約8.5%であるわけですが、そのうち、約5.5%、即ち、概ね三分の二が、販売会社の取り分になるということです。
「箱」貸し
運用をしていないで、投資信託という「箱」を提供するだけで、報酬を得ている投資運用業者というのも、おかしなものです。
この投資信託の場合は、形式的な運用会社は、投資信託を運用する投資運用業者として法律上の登録をしているアムンディ・ジャパンです。しかし、実際の運用会社は、同じアムンディのなかの別な海外法人です。三井住友銀行の売れ筋一位の投資信託の場合は、もっとおかしくて、形式的な運用会社は、野村アセットマネジメントなのに、実際の運用会社は、海外のピムコです。
こういう仕組みになるのは、法律上の登録の問題があるのですが、ならば、そのような名板貸しみたいなことが、道義的に、許されるのか。実質的な役務提供があるとしたら、それは、一体何なのか。いずれにしても、単なる事務的なことにすぎないはずなのに、それで、報酬を正当化できるのか。ちなみに、アムンディ・ジャパンは、年率0.3024%(税込)を得ています。
報酬の根拠
販売会社等は、主張するでしょう、報酬というのは、商品説明だとか、運用報告書の作成だとか、配当金の支払い事務だとか、そのようなことの対価であると。
では、商品説明とは何か。運用報告とは何か。それらは、営業行為であるか、もしくは、法律上、免責になるための儀式ではないのか。顧客に視点に立ったもの、顧客の利益に資するものなのか。そうではなくて、より多く、販売会社等の自己保身の利益のためのものではないのか。
配当金とは何なのか。表面的な配当利回りでもって、要は、目に見えるわかりやすい現金の力でもって、実際の収益率をわかりにくくしてしまう仕組みではないのか。元本を取り崩して配当(理論的には、配当ではなくて、部分償還であるはず)がなされる場合があることについて、投資家は、完全に理解しているのでしょうか。
また、見かけの配当を出すために、ユーロをトルコリラや豪ドルに転換しているわけで、そのことに伴う著しい危険の増大は、全て、投資家の負担のもとになされるわけですが、それが、本当に、顧客の真の利益に資するものなのでしょうか。
ランキングの巧妙さ
法律上の免責といえば、売れ筋のランキングを公表するという行為自体が、実は、巧妙な営業です。
通常、自分で投資すべき投資信託について、明確な意思をもって販売会社に来る投資家は少なく、多くは、販売員に対して、お薦めを求めるでしょう。そのとき、結果を保証できない投資信託の場合、助言をすることは、後の紛争の可能性を考えれば、簡単ではありません。
そこで、「今、一番売れているのは、これです」という話法になるわけです。これは、客観的な事実の表明ですから、法律上の責任についていえば、完全な安全地帯にある行為です。故に、ランキングが作られているのです。
ここには、重大な欺瞞が潜む可能性があります。つまり、初期段階において、一定の営業活動を行い、ランキングのトップにしてしまうと、後は、極めて容易に、その投資信託が売れ続けていくわけです。売れ筋一位というのは、本当に客観的事実なのか、それとも、巧妙な営業政策の結果なのか。
果たされないフィデューシャリー・デューティー
金融庁は、「商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる」としていますが、野村證券にしても、三井住友友銀行にしても、実際に果されているかどうか、大いに疑問だということです。
フィデューシャリー・デューティーは、英米法の概念です。そのなかの最大の要素は、報酬の合理性です。金融機関が受け取る報酬は、その正当性について、合理的な説明ができるのでなければなりません。はたして、日本の投資信託において、そのような合理的な説明は可能なのか。
フィデューシャリー・デューティーは、法体系の違う日本では、法規範ではなくて、倫理規範として、あるいは商業道徳として、機能するものです。今、敢えて、これをもち込んだ金融庁の意図は、明白です。それは、野村證券にしても、三井住友銀行にしても、法令違反の事実を指摘することが不可能だからです。
何よりも小憎らしいのは、何よりも道義的に許し難く感じるのは、形式的には完全に合法的な行為として、実質的には著しく問題性の高いことが、堂々と、公然と、大胆に、行われていることなのです。しかも、日本を代表する大金融機関の屋号のもとで。
フィデューシャリー・デューティー違反は、金融庁にも、取締りのしようがない。違反は、顧客の行動によってのみ、投資信託であれば、投資家の行動によってのみ、正されるのです。
野村證券にしても、三井住友銀行にしても、批判にすら値しないのです。要は、投資家から、顧客から、見捨てられればいいのです。今の日本で求められるのは、投資家の行動による制裁であり、そのような行動をとれる賢い投資家なのです。