竹内力が映画賞とは無縁の俳優人生を振り返る「俺は“無冠の帝王”。心情が重くなる役は苦手なんだよ」
進化した猿たちが人類を支配する今から300年後の世界を描いた映画『猿の惑星/キングダム』(5月10日より全国公開)。村と家族を奪われた猿・ノアが、巨大な王国(キングダム)を築く支配者のプロキシマス・シーザーに立ち向かう姿を描いた同作。その日本語吹替版で、プロキシマス役の声を担当したのが俳優の竹内力だ。
今回はそんな竹内に、この映画の話題を軸に、相次ぐ俳優たちの事務所独立のこと、そして映画賞とは無縁の俳優人生や芝居への考え方、さらに今後の生き方について話を訊いた。
「敵役であってもどこかに愛される要素がないとダメ」
――竹内さんが声優を担当したプロキシマス・シーザーですが、もっと“オラオラ系”かと思いきや、全然そうではなくて意外でした。
そのあたりが『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015年)のイモータン・ジョー(竹内が日本語吹替版の声を担当)とは異なる部分だよな。あっちは逆にそういうものではなく、とにかく暴力性で人を支配していたから。でもプロキシマスからは知性が感じられるし、ノアたちのこともうまく口説いて引きこもうとする。いろんな面があるから、俳優としては演じていて楽しみが膨らむんだよ。やっぱりさ、「俺がやる」となったらどうしてもいろいろオカズを入れちゃうから。
――オカズとはどういうものですか。
脚本家や監督の考えに沿って、キャラクターを壊さないことを前提に、台本をそのままその通りにはやらないというか。それは実写でも、声優でも同じ。たとえば台本に書かれていなくても、ちょっとした笑みをこぼすとかさ。それが怖さを際立たせたりする。後ろ姿だけであっても、「これは竹内力の芝居だ」と思ってもらえるようなものを見せたいなって。
――今回のプロキシマスもそうですし、『ミナミの帝王』シリーズの萬田銀次郎など、竹内さんは「怖いけど知的」という役も似合うなと思っていました。そういう考えが作用しているんですね。
映画のキャラクターだから、敵役であってもどこかに愛される要素がないとダメだと俺は思うんだよ。プロキシマスだって、単に憎たらしい感じじゃなかったでしょ? 敵としての魅力がないといけないし、そうすれば今回の主人公のノアも立ってくる。あと俺も映画の製作側に回ってキャスティングをすることもあるけど、「どの役に誰を当てるか」「この役者だったら、こういうことをしてくれるんじゃないか」とかいろいろ期待して声をかけるからさ。実際、その役者が現場で「そうきたか」という芝居を見せてくれたら、「やっぱりキャスティングは楽しい」となるし。逆に自分が俳優で出るときは、キャスティングしてくれた人にそう思ってほしいからね。
「萬田銀次郎もカオルちゃんも結果的に弱き者を救っていく」
――プロキシマスは、リーダーとして集団をまとめあげるコントロール術にも長けていましたね。
ある意味、相手を洗脳させる能力があるんだろうね。たらしこむというかさ。だって腕力だったら部下のゴリラたちの方が絶対に強いじゃん。でも立場的にはそうじゃない。ってことは、コントロールできる能力がすごいんだよ。あとね、愛される要素も必要だと思う。
――たしかに俳優としても、ダークヒーロー的なキャラクターを演じることが多いですよね。プロキシマスもエイプの発展を考えてはいるという点で、単なる悪党ではない。
『ミナミの帝王』の萬田銀次郎もそういうふうに仕上げたからね。萬田銀次郎は最初、そのあたりがちょっとグレーで中途半端な部分があったんだよ。原作を映像化したとき、爽やかで好青年っぽく見えそうなところがあった。でも、ヒーローだって闇がないとダメだ、と思うわけさ。だから、人間の心の突かれたくないところを突くキャラクターをどういう風に作っていくかを考えるんだよ。
――危うい面があるヒーローっておもしろいですもんね。
自分的におもしろかったのは『岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説』シリーズのカオルちゃんかな。知性が全然なくて腕力だけで全国制覇を目指すじゃん。でもオッサンみたいな風貌の中高生というキャラクター像が逆に親しめて、カオルちゃん自身が意識してないところでまわりの人が救われたりしてさ。あれもある意味、ダークヒーローみたいだな。萬田銀次郎もカオルちゃんも結果的に弱き者を救っていくからね。
相次ぐ俳優たちの事務所独立「重要になるのはどういう人たちと関わるか」
――“俳優・竹内力”としての野心はどうですか。
それがまったくないんだよね。今はもう、自分やりたい仕事しか受けていないし。たとえば『欲望の街』シリーズなんかは70歳までやりたいけど、その先はどうなるか分からない。元気でやっていけるのも、あと10年くらいだと思っておこうって。つまり今、俺は終活中なんですよ。還暦にもなったことだし、とにかく今は健康第一で残りの人生を楽しく過ごしたいなって考えている。仕事は30代、40代でたくさんやったから、60代は俳優としてあくせく働かずに裏方として作る側に時間を費やしたいね。
――竹内さんの「やりたいことをやる」という考え方のスタート地点は、1997年、独立してRIKIプロジェクトを設立したところだと思うんです。以降、活躍の場を広げましたね。今、俳優やタレントの独立が続いていますが、竹内さんはそういう俳優たちの良いモデルケースである気がします。
自分がやりたいことを、やっていきたかったからね。主演作をやりたい、と思って独立したからさ。しかもそれでメシが食えるようになった。ただね、俺の場合はタイミングが良かったからいろいろ仕事ができたけど、本来はそんなにスムーズにいくものではないよ。事務所から独立して、まず重要になるのはどういう人たちと関わっていくか。マネジャーとか、陰で支えてくれる人たちの存在が今まで以上に大きくなる。まぁ、簡単じゃあないよね。
「いろんな作品のなかで死を演じてきたけど、ほとんどが分かりやすい死に際だった」
――一方、竹内さんは、これだけのキャリアがありながら個人の映画賞とは無縁じゃないですか。Vシネ含め、アウトローな役だけどもっと評価されて良いものがたくさんあるのに。それこそ残りの俳優人生で、竹内さんが大きい映画賞なんかを受賞したら喜ぶ方も多い気がします。
賞とはまったく無縁だな。“Vシネの帝王”と呼ばれて、『ミナミの帝王』もやったけど、実際の俺は“無冠の帝王”だから。もちろん、もらえたら嬉しいけどさ。でも俺はそこまで役者を追求しているわけじゃないんだよ。キャラクター重視でやっているし。それに、心情が重くなるような芝居とかはちょっと苦手なんだよね(笑)。
――ハハハ(笑)。たとえば「死の間際に立ち、最後の力を振り絞って誰かに思いを託す」みたいな役とか、無理ですか。
無理、無理! そういう役は、芝居とは言えきっと苦しくなるからさ。芝居って追求しだすとキリがないし、100点なんて叩き出せない。だからそういう役はやればやるほど苦しくなる。俺はもっと娯楽的な役がいいんだよね。だからさ、俺もいろんな作品のなかで死を演じてきたけど、ほとんどが分かりやすい死に際だったと思うよ。銃で撃たれたり、爆破されたり。
――その点では今回のプロキシマスは果たしてどうなるのか。プロキシマスの終盤の描かれ方は一つの見どころになりますよね。
そうそう。主人公たちはもちろんだけど、敵役のプロキシマスの運命も楽しみにしてほしいよね。一つ言えることは、観た人は「終盤、プロキシマスがあんなことになるなんて」と思うんじゃないかな!
映画『猿の惑星/キングダム』は5月10日より全国公開
竹内力:1964年生まれ。代表作は『難波金融伝 ミナミの帝王』『仁義』『岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説』(いずれもシリーズ作品)など。「Vシネの帝王」の異名をとり、熱烈な支持を集めている。また1997年に映像製作会社・RIKIプロジェクトを設立。同社は近年、二階堂ふみ、磯村勇斗が出演『月』(2023年公開/制作協力)、阿部サダヲが出演『死刑にいたる病』(2022年公開/製作・制作)、のんが出演『私をくいとめて』(2020年公開/製作・制作)などを手がけている。