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中央派VS下側派 将棋の駒はます目のどこに置く?

松本博文将棋ライター
ます目の下線に揃えて置かれた駒(撮影:筆者)

「日本の将棋の駒は、盤上のどこに置きますか?」

 もしそんなクイズがあったとしたら、何が正解でしょうか?

「当たり前のことを聞かないでよ」

 と思われる方もおられるかもしれません。正解例はもちろん「ます目の中」でしょう。

 世界中には、交互に駒を動かして遊ぶボードゲームがたくさんあります。その中で、日本の将棋や、西洋で発展したチェス、それらの基となったとされるインドのチャトランガは、線で区切られたます目の中に駒を置きます。

 一方で中国のシャンチーや、韓国・北朝鮮のチャンギのように、線の交点に駒を置くゲームもあります。また将棋とはゲーム性が大きく違いますが、囲碁は線の交点の上に、黒白の石を置いていきます。

 では次の問題です。

「日本の将棋の駒は、盤上のます目の中のどこに置きますか? 中央? それとも下の線に揃える?」

 現代の将棋界では、この問題に正解はありません。将棋界風に回答すれば、「ます目の中ならどこでもええやないか」ということになりそうです。

 では、かつての将棋界では、どうだったでしょうか。

「駒はます目の真中に置く」

 これがスタンダードな考えでした。

「それはそうだろう。だって昔、そう習ったもの」

 そういう年配の方も多いはずです。

 棋士の養成機関である「新進棋士奨励会」(略して奨励会)では、将棋界の未来を担うたちに、駒はます目の真中にきちんと並べるよう、厳しく指導した幹事役の棋士もいたと聞いたことがあります。

 ところが現代では、ます目の下側の線に揃えて駒を置く人が増えてきました。

 「駒はます目の真中に」は将棋界の変わらぬ伝統ではないのか。そうでないとすれば、いつから変化があったのか。本稿では、その経緯をたどってみたいと思います。

 以下しばらくは便宜上、それぞれを「中央派」「下線派」と呼ぶことにします。

下線派の始祖、有吉道夫九段

 中央派がほとんどだった時代に、ほぼ唯一の下線派として注目されたのが、有吉道夫九段(83歳)です。

 有吉九段は1935年生まれ。1968年には名人戦七番勝負で、師匠である大山康晴名人に挑戦し、名人位まであと1勝と迫ったこともある名棋士です。棋聖のタイトル1期、A級通算21期、生涯成績1088勝1002敗など、数々の偉大な実績を残し、2010年に現役生活を退きました。

 有吉九段の駒の並べ方については、昭和の半ばにあっては特異なものでした。そのため「変わっている」として、しばしば言及されてきました。

 有吉九段のライバルといえば、同年代で4歳年少の内藤國雄九段です。両者は同じ関西本部所属で、名勝負を繰り広げてきました。

 内藤-有吉戦の際、内藤九段にしてみれば、有吉九段が駒を下線に揃えて並べているのが気になる。そこで休憩時、有吉九段側の駒を、黙ってます目の中央に置き直した。しかし対局が進んでいくうちに、いつしか元の下線揃えに戻っていた。そんなエピソードも伝えられています。

 有吉九段自身は、駒を下線に揃える並べ方についてどう思っていたか。文筆家の山口瞳さん(1926-1995)が貴重な一文を残しています。

 山口さんはアマとしては高段者でした。当時の一流棋士に大駒落ちで挑戦し、自戦記を発表して好評を博しました。飛落編は『血涙十番勝負』(1972年刊)、角落編は『続血涙十番勝負』(1974年刊)としてまとめられています。

 山口さんは角落の第1局で、有吉道夫八段(当時)に挑戦する際に、こう記しています。

 こういうことも聞いた。有吉さんの駒は、将棋盤の筋の手前のほうにつけてならべられるという。そういう棋士は有吉さんだけである。遠慮をしているのか、手もとに引きつけておいて飛び出そうとしているのか。それも見たいと思った。

(中略、対局が始まる前)駒をならべおわって、ふきだしそうになった。なるほど有吉八段は駒を下の線にそろえて置く。癖なのだろう。

出典:山口瞳『続血涙十番勝負』

 山口さんの目にも、有吉八段の駒の並べ方は珍しいものと映ったようです。

 対局の結果は、有吉八段の勝ちとなりました。駒落も角落ともなれば、トッププロはほとんど勝たせてくれません。山口さんはトップバッターの有吉八段に敗れ、トータルでは1勝9敗という成績に終わっています。

 さて有吉八段との対局の後。山口さんは有吉八段に駒の並べ方について尋ねています。

 僕は有吉さんに駒のならべ方について質問した。

「えっ? そうですか。それは気がつきませんでした」

「おかしいなあ。みんな言っていますよ。僕でさえ知っているんですから」

「はじめて聞きました。……癖なんでしょうねえ。それと、駒を取られないように大事にしているのと違いますか」

 純粋な人である。邪念がない。それを人は美しいという。まっすぐで美しい人が笑った。

出典:山口瞳『続血涙十番勝負』

 記された通りならば、有吉九段が駒をます目の下線に揃えて並べていたのは、意識せずに、ということになります。

 有吉九段は猛烈な攻め将棋でした。そして、攻める際には下線に揃えていたはずの駒が、前のめりになっていく。そんな声も残されています。それもまた、無意識のうちにそうなったのでしょう。

現代下線派の代表格、島朗九段

 有吉九段の後には、島朗(しま・あきら)現九段(56歳)が下線派の代表格として現れます。

 島九段は若手だった頃、テレビ対局の映像を後で見て、終盤で自身が前のめりになり、盤面を隠してしまうことに気づきます。そこで盤から離れて座るようになりました。

 島九段は著書『将棋界が分かる本』(1995年刊)にこう記しています。

 盤から離れて座ることになったからかどうかはわからないけれど、私は自分の駒を升目の下線にくっつけて置くようにもなった。本来は升目の中央に置くのがいいらしいが、下線についていないと駒がふわふわ浮いている感じがするのだ。プロ棋士の私のように駒を升目の下線につけて指す人は全体の一割ぐらいだろうか。火の玉流の有吉先生はつとに有名だ。

 以前、板谷先生が「駒を升目の中央に置かなきゃいかん。(兄弟子の)中原さんに言って注意してもらわないと」と笑われたことがあった。

出典:島朗『将棋界が分かる本』

 有吉九段、島九段ともに「本来は升目の中央に置くのがいい」という旧来の考えは認識していました。その上で、有吉九段は意識せず、島九段は比較的意識して、下線派となったようです。

増えていく下側派

 島九段以降の世代から、次第に下線派が増えてきました。

 将棋ジャーナリズムの定跡(?)としては、ここで現役棋士167人が、中央派か、それとも下線派か、統計データを示すべきところかもしれません。

 実は筆者はそれを試みようとしました。映像や写真などのデータは多く残されているので、目視で判断していけば可能かと思われました。

 しかし有吉九段や島九段のような完全下線派以外にも、「限りなく下線派に近い下側派」「中央派と下線派の中間である下側派」なども存在します。厳密な分類は、筆者一人での判断では難しいことがわかりました。もしこの先、統計を取る必要に迫られた場合には、何人か視力のいい人を揃えて判定委員会を設置するか、あるいはAIで自動的に判定した方がもしれません。

 とはいえ改めて、ざっくりとではありますが、広義の下側派(下線派を含む)が増えていることはよくわかりました。以下はざっくりと「下側派」とカテゴライズしたいと思います。

 羽生善治九段(48歳)や佐藤康光九段(49歳)などは中央派です。一方で、森内俊之九段(48歳)、藤井猛九段(48歳)、丸山忠久九段(48歳)、久保利明九段(43歳)などは下側派のようです。

 下側派が増えるにつれ、有吉九段の頃のように「駒を下線に揃えて珍しい」と言われることは、ほとんどなくなりました。

 現代の20代から30代にかけての棋士は、かなり下側派が増えています。

「下線に揃える方がきれいに並べやすい」

「憧れの先輩を真似して」

 などの理由を聞いたことがあります。

 渡辺明二冠によれば、下線派同士による最初のタイトル戦は、2017年名人戦七番勝負・佐藤天彦名人-稲葉陽八段戦だそうです。他には2019年叡王戦七番勝負・高見泰地叡王-永瀬拓矢七段戦(肩書はいずれも当時)も、両対局者は下側派でした。

 渡辺二冠自身は「私は自分では中央に置いてるつもりですが、下寄りのようです」とのことでした。

中央派と下側派、それぞれの未来

 駒の並べ方という点においては、筆者はどちらかといえば古い人間です。幼い頃に覚えた「駒はます目の真中に」というマナーは永遠不変、まさにこれなどは将棋界が常日頃主張するところの「伝統」なのではないかと思っていました。ところがそうではなかったということに、わりと早い段階で気づかされました。

 子供たちが乱雑に駒を並べている場合には、以前であれば「駒はます目の真中に、まっすぐ置いた方がいいよ」とアドバイスしました。しかしプロの間で下線派が増えるに従って「真中に」とは言わなくなりました。

 中央派と下側派、いずれであっても、棋士のほとんどは、駒をまっすぐきれいに並べていることに代わりはありません。駒をまっすぐに並べているアマは、もうそれだけで強そうに見えます。

 アマ大会や子供大会においても、下側派はずいぶんと増えている印象があります。最新の戦法や定跡などと同様に、そこもプロの影響を大きく受けていることは間違いありません。

 現在の傾向が続けば、下側派がさらに増え、いずれ多数派となる未来も予想されます。

 一方で、藤井聡太七段(16歳)はオールドスタイルの中央派です。藤井七段がこの先もさらに活躍を続け、藤井七段に影響を受けた若き中央派が増えていく。そんな未来も、もしかしたらあるのかもしれません。

藤井聡太四段(当時)が29連勝を達成した際の盤面(撮影:筆者)
藤井聡太四段(当時)が29連勝を達成した際の盤面(撮影:筆者)
将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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