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羽生選手はなぜ大怪我をしながらも出場しなければならなかったのか?ショービジネス化とフィギュアスケート

溝口紀子スポーツ社会学者、教育評論家

フィギュアスケートGPシリーズ中国杯で羽生結弦選手は、直前の練習で中国の閻涵選手と衝突したが滑りきり、羽生選手は超人的な不屈の精神を見せた。

とはいえ影響力のある選手だけに、競技の安全性の観点でいうと、決して美談で終わらせることはできない

とりわけ激しい衝突事故で頭部から流血し、直後は起き上ることができず、顔面蒼白で視点が定まらなかったうえ、コーチとの会話で混乱があったことから脳震盪の可能性も危惧された。

脳神経外科医らで組織する日本脳神経外傷学会員の野地雅人・神奈川県立足柄上(あしがらかみ)病院医師は、テレビや新聞の報道を基に推測した激突後の羽生選手の状態が、(1)すぐには立てなかった(2)視点が定まらなかった(3)コーチとの会話で混乱があった(4)演技で5回も転倒するなどバランス感覚を失っていた−−ことなどから、脳しんとうが疑われたと指摘。「絶対に演技をさせるべきではなかった」と懸念した。

出典:毎日新聞

脳への影響はなかったとはいえ、すでに重傷だった羽生選手

日本スケート連盟によると、診断結果は、頭部挫創、下顎挫創、腹部挫傷、左大腿挫傷、右足関節捻挫の5箇所で脳への影響はなかったものの全治2〜3週間であるという。

日本スケート連盟の診断結果の報告
日本スケート連盟の診断結果の報告

日本スケート連盟の伊東秀仁フィギュア部長によると、日本チームには今大会、医師が同行しておらず、2人の激突後に羽生選手は米国、閻涵選手はカナダのチーム医師の診察を受け、競技に支障がないと判断された。伊東部長は「(氷には)頭を打っていなかったし、医師のゴーサインもあった」と述べ、フリー演技を行った判断に問題はなかったとの認識を示した。

出典:毎日新聞

スケート連盟は、羽生選手が出場したいという強い意志と、アメリカの医師に診てもらって競技に支障がないという診断で出場をさせたということであるが、それは誤った判断ではないだろうか。

なぜなら、試合後、これだけの重傷を追うことになったのだから。

それに日本チームではないライバル国のアメリカの医師にどこまで権限があるのだろうか。スケート連盟がスター選手を派遣しテレビ生中継を行うような大会に、チームドクターを派遣していなかったことはリスクマネージメントとして致命的なミスである。

羽生選手は2位に入賞したものの、負傷のため表彰式には出れず、翌日には精密検査のために緊急帰国した。

なによりその姿に驚愕した。自力では歩けず、車いすで移送される憔悴しきった羽生選手がいた。これは私たちが望んでいた彼の姿ではない。そこまで彼を追い込ませる必要があったのだろうか。

そもそも、なぜ五輪のような大きな大会ではなかったにも関わらず、彼のような五輪チャンピオンが小さい大会で無理をしなければならなかったのか?

棄権すれば全治3週間程度の大怪我に至ることはなく、回復はもっと早まったのではないだろうか。

僭越ながら、私自身も若いときは無理をして、目先の試合ばかりに注視しピーキング*を考えずに怪我や病気をしても試合に臨んだがそれが原因で失敗したことがある。心の中で、ケガをして棄権する選手は根性がない選手だと思っていたからだ。

フランスのコーチになってわかったことは、'''ケガをして棄権することは、リスク回避になり賢明な判断ということ。周囲が期待するなかで、棄権するというのはとても勇気のいる行動であることをしった。それはサボりでも根性なしでもない。

'''

ショービジネス化しているフィギュアスケート

とはいえ、フィギュアスケートは他のスポーツ選手と事情は異なるとおもった。

羽生選手の渾身の演技終了後、銀盤が見えなくなるほどの花束やぬいぐるみが投げ込まれるのをみて、もはやショービジネスだと思った。

五輪種目で選手のプレー後、プレゼントが投げ込まれる競技はフィギュアスケートくらいだろう。

フィギュアの世界では、「棄権する」というのはもはや選手の判断レベルを超えている。

会場のファンの期待に応えようとするほど、フィギュアの選手やコーチにとって棄権することはプレッシャーになっているにちがいない。それに主催者側にもスター選手の棄権は、生放送している主催者側にも大きな痛手になる。

スケート連盟は再発防止策を講じるべき!

日本スケート連盟や国際スケート連盟には、事故の再発防止策を提示してほしい。コンタクトスポーツではないとはいえ、今回のように選手が負傷した際の出場制限など明記すべきであろう。とりわけ脳震盪ガイドラインについてはスケート界だけでなく、スポーツ界全体で推進すべきだ。

今回の対応をみても日本は、スポーツにおける脳振とうの問題について世界から遅れているといってもいい。米国ではオバマ大統領がホワイトハウスで脳振とうをテーマにした会議を行い啓発活動に努めている。

フィギュアスケートだけでなく他の競技も、東京五輪にむけてますます強化育成が進むだろう。

今回のことが、五輪をめざす子どもたちや指導者に「チャンピオンになるためには、怪我をしても無理しても試合に出る精神力が必要」とリスクを誘発するような誤ったメッセージを送ることは絶対にあってはならない。

「チャンピオンになるためには、あえて棄権することでリスクを回避するという賢明な判断ができることも必要」、と子どもたちに伝えていくことも大切である。

注)

*目標の大会をピークにもっていく調整方法

スポーツ社会学者、教育評論家

1971年生まれ。スポーツ社会学者(学術博士)日本女子体育大学教授。公社袋井市スポーツ協会会長。学校法人二階堂学園理事、評議員。前静岡県教育委員長。柔道五段。上級スポーツ施設管理士。日本スポーツ協会指導員(柔道コーチ3)。バルセロナ五輪(1992)女子柔道52級銀メダリスト。史上最年少の16歳でグランドスラムのパリ大会で優勝。フランス柔道ナショナルコーチの経験をもとに、スポーツ社会学者として社会科学の視点で柔道やスポーツはもちろん、教育、ジェンダー問題にも斬り込んでいきます。著書『性と柔』河出ブックス、河出書房新社、『日本の柔道 フランスのJUDO』高文研。

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