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試合終了の2秒前に、優勢だったチャンプにTKO負けを告げたレフェリーのポリシー

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
撮影:筆者

 1990年3月17日に催されたWBC/IBF統一ジュニアウエルター(現スーパーライト)級タイトルマッチは、ラスベガス、ヒルトンホテルに9300人の観衆を集め、当時のボクシング界で最も注目されたファイトだった。

 66勝(56KO)無敗のWBCチャンピオン、フリオ・セサール・チャベスvs.24勝(14KO)1分けのIBF王者、メルドリック・テイラー。共に負けなしであったが、この日ラスベガスに駆け付けたファンの75%にメキシコの血が流れており、チャベスのホームアリーナと言って良かった。

 加えて、テイラーが花道に姿を現しても入場時の音楽が掛からず、”あくまでも主役はチャベス”といった空気が流れていた。

 が、テイラーはチャベスのパンチを空転させ、コツコツとショートパンチを当ててリズムに乗る。11ラウンドまでの採点は、5ポイント差、7ポイント差と2名のジャッジがテイラー優勢としていた(残る一人は1ポイント差でチャベス)。

 最終ラウンド、激しく消耗しながらも逃げ切りたいテイラーに対し、チャベスは攻め続ける。そして、試合終了まで残り24秒となったところで、チャベスの右ショートがヒット、グラついたテイラーに更にWBC王者が右ストレートを浴びせると、IBFチャンプは腰からキャンバスに沈んだ。終了ゴングまであと、16秒。

 その後、レフェリーのリチャード・スティールはカウントを数えながら、テイラーが続行不可能として両手を交差する。公式タイム2分58秒で、チャベスは勝利を掴んだ。

 この試合を放送したHBOのアナウンサー、ジム・ランプリーは「Unbelievable(信じられない)!!」を連発した。それは、チャベスの逆転劇ではなく、レフェリーの判断に対するクエスチョンであった。

 試合後、レフェリーを務めたリチャード・スティールの判断を巡って大論争が起こる。

撮影:筆者
撮影:筆者

 現在78歳となったスティールは2008年にレフェリーを引退し、ラスベガスに自身のジムを構えて小中学生を育成している。彼のジムを訪ねると、スティールは語った。

 「当初はボクシングを教えるつもりだったんだが、今は人生に役立つように規律を中心に教養を身に付けてほしいと思ってレッスンしている。学校だけじゃ躾が行き届かない部分もあるだろう。幼い子を支えたいんだ。

 このところボクシングビジネスが下火なのは、良い選手が減っているからさ。基礎をきちんと習得してほしい。アメリカのアマチュアボクシングは、8歳から試合に出られるからね」

撮影:筆者
撮影:筆者

 物議を醸したチャベスvs.テイラー戦について訊くと、彼は言った。

 「確かにあの時点ではテイラーがポイントをリードしていた。でも、彼の目を見て、いかにダメージが深刻なのか分かった。もし、試合を止めなかったら、リングに上がれない体になっていたさ。

 私は12歳からボクシングを始めて、アマでは19勝4敗。プロでは21勝4敗。プロ生活ではすべての試合でエディ・ファッチがコーナーに付いてくれた。エディの指導を受けたことを誇りに思っている。彼の教え子である以上、恥ずかしい仕事は絶対に出来ないと今日までやってきた。今、子供たちを教えている行為についても、ベースはエディの哲学があってこそだ」

 エディ・ファッチはジョー・フレージャー、ケン・ノートン、ラリー・ホームズ、マイケル・スピンクス、トレバー・バービック、リディック・ボウなどヘビー級だけで6名、他にもライトヘビー級のボブ・フォスター、マイク・マッカラムら、数々のチャンピオンを育てた名伯楽だ。トレーナーとして芽が出るまでは、レストランでバスボーイをしながら暮らした苦労人でもある。

 ファッチは常に「ファイターにとって最も大事なものは、ボクシングに対する姿勢だ」と言い続けた。

 スティールは師の教えを継承しようと努力しているのだ。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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