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刑事免責を初適用 司法取引との違いは

前田恒彦元特捜部主任検事
(提供:アフロ)

 2018年6月にわが国でもスタートした刑事免責。国際郵便を使った覚せい剤密輸事件の裁判員裁判で、この制度を初適用した証人尋問が実施された。司法取引との違いを含め、制度の概要や留意点を示したい。

刑事免責制度の概要

 刑事訴訟法や刑法は、事案の真相を解明するため、証言拒絶罪や偽証罪を設け、証人に真実の証言を義務づけている。一方で、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」という憲法38条の趣旨に基づき、刑事訴追や有罪判決を受けるおそれのある証言を拒絶する権利をも認めている。

 宣誓証言が自らの犯罪に関する証拠となり、刑事責任を負わされるリスクを考慮して、証言をためらうのは当然だ。そこで、その証人に対する関係ではその証言を証拠として使わないといった交換条件をつけ、証言を強制しようというのが刑事免責制度にほかならない。

 それでもなお証言を拒絶したり虚偽の証言をすれば、振り出しに戻り、証言拒絶罪や偽証罪で処罰される。証人が真実をありのままに証言すれば何ら問題ないわけで、これにより真相解明を図ろうというわけだ。

導入までの経緯

 わが国でこの制度がクローズアップされたのは、東京地検特捜部が立件したロッキード事件の時だった。長期裁判の過程において、刑事免責で得られた重要証人のアメリカにおける証言調書が証拠として使えるか否かが問題とされた。

 これに対し、最高裁は、1995年の判決で、刑事免責を採用するか否かはこれを必要とする事情の有無、公正な刑事手続の観点からの当否、国民の法感情からみて公正感に合致するかどうかなどの事情を慎重に考慮して決定されるべきであり、採用するのであれば、その対象範囲、手続要件、効果等を明文で規定すべきだと判断した。その上で、わが国にはそうした規定がない以上、刑事免責によって得られたアメリカでの証言調書を証拠として使うことは許されないとした。

 以後、法務・検察にとってこの制度の導入は悲願だった。2010年から刑事司法制度の抜本改革に向けた議論が進められる中、取調べの録音録画を一部で導入するバーターとして、司法取引制度とともにようやく導入に至った。

刑事免責制度の留意点

 刑事免責は、検察官の請求または裁判所の決定によって行われる。同時に導入された日本版の司法取引制度と大きく違うのは、次のような点だ。

(1) 検察側とあらかじめ協議や合意をするわけではない

 司法取引は組織の幹部など共犯者の関与状況に関する供述をしたり、物証を提供するなどして捜査当局の協力者となることが前提だが、刑事免責はそうではない。

(2) 捜査当局から恩典を与えられるわけではない

 司法取引は捜査当局の協力者となった見返りとして不起訴や求刑引下げ、起訴取消しといった恩典を与えられるが、刑事免責にはそうした恩典はない。

(3) 弁護人は関与しない

 司法取引は取引に応じる被疑者・被告人の弁護人が同意をし、合意書まで作成しておかなければならないが、刑事免責にはそうした仕組みはない。

(4) 対象犯罪に限定がない

 司法取引では対象となる犯罪が絞り込まれており、殺人、傷害致死、暴行、傷害、業務上過失致死傷、性犯罪といった人身事件は対象外だが、刑事免責には限定がない。

デメリットとメリット

 特に重要なのは、(1)と(2)だ。刑事免責が行われたからと言って、検察側にとって希望どおりの証言が得られるとは限らないし、証人が必ず真実を語るわけでもない。もし捜査段階における供述調書の内容と食い違う証言をすれば、これまでと同じく、裁判所に対し、その供述調書の方が作成状況などを含めて信用できると主張し、証拠として採用するように求めることになる。

 また、アメリカだと、刑事免責下で証言することで証人が懸念している自らの犯罪の訴追を免れることができる。しかし、日本では、単にその証言を証拠として使わないというだけで、それ以外の証拠があれば、起訴や有罪の可能性は残る。

 他方で、逆に言えば、(2)の恩典を受けるために自分の行為を共犯者がやったことだと嘘をついたり、全く無関係の者に罪を被せて引きずり込むといった、司法取引制度で指摘されている弊害はない。

 また、検察側には一切協力しないと断言しているような者や、捜査段階で黙秘や全面否認をして一通の供述調書にもサインしなかったような者を法廷に引っ張り出し、その口を開かせ、何らかの証言をさせることが可能となった。

まだ始まったばかり

 冒頭で挙げた覚せい剤密輸事件の裁判を見ると、証人として呼ばれた共犯者の男は、「日本語学校のクラスメートである被告人から代わりに知人宅まで郵便物を取りに行ってもらいたいと依頼され、実際に取りに行ったが、洋服が入っていると聞いており、中身が覚せい剤だとは知らなかった」と証言するにとどまった。また、被告人からの指示をまとめたとみられるメモについて尋ねられても、何度も「覚えていない」と繰り返した。

 証人自身もこの覚せい剤密輸事件で起訴され、同様の弁解をし、容疑を否認していることから、検察にとっては予想された証言だった。覚せい剤の認識を否定したことについては被告人の弁解に沿ったもので、被告人に有利な内容だが、他方、少なくとも被告人の要請で郵便物を取りに行ったことは認めたし、検察側としても容疑を否認する証人の証言は物証に反するので信用できないといった主張も可能となった。

 検察側は懲役10年、罰金400万円を求刑し、結審した。裁判官や裁判員がこうした刑事免責下での証言をどのように評価するのか、注目される。

 いずれにせよ、この制度はまだ始まったばかりだ。検察側は積極的に運用していく方針だ。本当に組織犯罪などの真相解明に役立つものなのか、また、わが国の国民性に馴染むものなのか、その見極めを行うには、今後こうした実例が蓄積されていくのを待つ必要があるだろう。(了)

(参考)

拙稿「捜査当局の強力な武器となるのか 日本版司法取引制度の概要と留意点

拙稿「佐川氏に『刑事訴追を受けるおそれ』がなくなったから再喚問で証言義務あり? 本当か

(追記)

 東京地裁は、「中身が覚せい剤だとは知らなかった」という刑事免責下での証人(共犯者)の証言について、物証のメモと矛盾していることなどからおよそ信用できないとした上で、被告人に懲役8年、罰金300万円の有罪判決を言い渡した。裁判員らが判決後の会見で「新しい証言は出ず残念だった」「判断材料になった」などと語っているが、結果的にはまずまずの滑り出しだったと言えよう。

元特捜部主任検事

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。刑事司法に関する解説や主張を独自の視点で発信中。

元特捜部主任検事の被疑者ノート

税込1,100円/月初月無料投稿頻度:月3回程度(不定期)

15年間の現職中、特捜部に所属すること9年。重要供述を引き出す「割り屋」として数々の著名事件で関係者の取調べを担当し、捜査を取りまとめる主任検事を務めた。のみならず、逆に自ら取調べを受け、訴追され、服役し、証人として証言するといった特異な経験もした。証拠改ざん事件による電撃逮捕から5年。当時連日記載していた日誌に基づき、捜査や刑事裁判、拘置所や刑務所の裏の裏を独自の視点でリアルに示す。

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